綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

10年後も笑ってお茶を。

少女革命ウテナに出てくる「10年後も笑ってお茶を飲もう」というセリフが好きで。このセリフをはじめて聞いた頃、僕は今よりだいぶ若くて、その頃の僕にとって10年先と永遠はほぼ同義だった。

それからとても長い長い時間が過ぎて、今では「10年後」が「一瞬」とほぼ同義になってしまった。

人生の1/5が1年だった5才の頃、
人生の1/10が1年だった10才の頃、
人生の1/25が1年だった25歳の頃、
人生の1/50が1年な50才の頃。
そりゃあ10年という時の流れの持つ意味も違うよね・・・。


このままもしまんがいち長生きしたら、10年なんてまばたきほどになってしまうんだろう。そりゃあ物事に動じなくもなるよなあ。

でも日々のうつろいも大好きなひとと過ごす時間も全部目で追えないくらいの速さで過ぎ去っていってしまうとしたら、それは少しさびしいねえ。

「無限の中の一度」でユーミンはこう唄った

どんなに短くてもきみと愛し合い
どんなに傷ついても決して悔やまない
きっと過去も未来も君とめぐり逢い
きっと過去も未来もそして離れていく

なんかほんとに過去とか未来とかそういう感覚が失われていくのがわかる。失われていくというか「1週間前」と「30年前」がたいして違わなくなっていて、そうなると「今日の午後」も「20年後の夜」もあんまり変わらなくるわけ。そしてそれは同時に「またね」が明日のことでもあるし来世のことでもあるわけで。


僕の中では今もレベッカNOKKOはおへそを出してガリガリの手足を大きく動かして踊ってる気がするし、プリンセスプリンセス奥居香は19 GROWING UPを元気よく唄ってる。今も。いやマジで笑。

なんていうんだろうな、そうなると寂しくなくなってくるんだよな、なんとなく。


ちなみにつらいことはぜんぶ忘れました!
遠い昔のつらいことが今のつらいことのように思えたらそれは本当につらいからねえ。

人は忘れることで生きていけるっていうのは本当のことよ。
ちゃんと忘れて下さい。


GachifloZ
Don't Stop my love

悪魔の倒す唯一の方法

こんにちは。

体重を減らそうとあれこれやっている中、実は週に一度チートデイを設けて好きなものを食べているのですが、これがたまらなく美味しい。あたりまえですが。


先日はランチで日本橋金子の天丼をいただきました。
いやもうこれがうまいのなんの。涙流しながら食べました。

 

 

でも僕はこれが少しばかり気に入らないのです。我慢して我慢して我慢して、週に一度一食だけ好きなものを食べる。当然美味しい。当然美味しいけど・・・これは幸せなの?と考えてしまいます。


苦しんで苦しんで、そのぶん幸せをたくさん感じられるわけだけど、このしあわせって相当ブースト掛かってるというか、ほんとうにしあわせなの?って気がしてならない。いや美味しいんですけどね。


僕は常日頃から『本当は良い人』にロクなやつはいないから気をつけろと娘らに言っているのですが、まさにこれと同じで本当に良い人は常日頃から良い人であって、10の黒の中に1つの白があると目立つだけで10全部白の人のほうが白に決まってる。


同じように「飲まず食わず運動して苦しんで苦しんで、その先にある一杯の天丼の幸せ」に惑わされてはいけないと思ってしまう。そんなのより毎日ふつうに家族と笑いながら食べてたほうが絶対幸せだ。


青春時代を全部つぶしてなにかに打ち込んで、それで一時大成したとして、それはしあわせなんだろうか。


ただ一つ言えると思っているのはしあわせは絶対値で測るものであって相対値で測ってはいけないということだ。隣の家の奥さんよりしあわせだからといってしあわせなわけじゃない。大企業の社長の奥さんより不幸せだからといって不幸せなわけじゃやない。甲子園で優勝したチームにいたからしあわせ、地方大会で一回戦負けしたからふしあわせなんてことはないのだ。


あなたがしあわせと思えば絶対しあわせなのだ。

 

GachifloZ


P.S.

はてなブログで有料記事が書けるようになったとのことなので、お試しで以下を有料部分にしますが、個人的なテストなのでまかり間違ってご購入いただいても苦情は受け付けませんのでご容赦くだだだださい笑

 

 

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マージ・ジルマ・ジンガ(暗証番号125)

毎日つらいことがある。


先日、駅ビルで買い物をした時に「Suicaで支払います」と言おうとしたのに「Suica」という名称が突然出てこなくなり、5秒くらい売り子のお姉さんと見つめ合ってしまった。「私のことが好きなのかしら」と思ってくれていればよいが、おそらくは「おじいちゃんこのまま死んじゃったらどうしよう、困ったわ」と思われていたような気がする。

 

90年代に聴いた曲が流れてきて「あれっこれなんてタイトルだっけ」と思うことはある。随分昔に流行った映画の原題が思い出せないことはある。
だけど日常的に頻繁に使用している言葉が出てこないなんてことは生まれて初めてで、「えっオレこれの名前が思い出せないの?」と呆然としてしまった。

 

いや待て「生まれて初めてで」と言ったけれど、生まれて初めてかどうかを覚えていないだけで何回も何回もこういったことがあったのかもしれない。
もしそうなら本当にもうだめだと思う。

ひょっとしたら同じ内容の日記を毎日毎日書いたりしていないか?

 

 


駅前のブックオフがホビー屋さんになったので覗いてみた。
ワンピースや鬼滅の刃、呪術廻戦のフィギュアはたくさん置いてあったけれど、僕が欲しいランボルギーニミウラやアルカディア号、マジドラゴンはなかった。

 

DVDコーナーへ行くとたくさんの中古DVDが売られていた。子どもたちと最後に行ったももクロさんのアマランサスツアー(2016)のDVDが1100円で売られていた。
大切な思い出が叩き売りされている気がしてとても悲しかった。

 

 

毎日毎日つらいことがある。


でも「たまに日記を見ています」なんてメッセージをもらうこともあるので

生きていればたまにはいいこともあるよねと

 

そんなふうに思いながら生きています。

 

GachifloZ

あしたのために

日々過酷な減量を行っている。
別に「おじいちゃん健康ボクシング大会」に出場するわけではない。

9月に定期健康診断があるのだ。
そこでメタボチェックがあるからなのである!
お腹が3年に及ぶコロナ生活でぶよぶよぶーりんなのである!


まあ要するにダイエットをしているんだけど、「おじいちゃんがダイエットでもあるまい。何を思い違いしているの?」というFrom自分To自分の罵詈雑言が脳内エンドルフィンに乗って駆け巡る青春なので「これはダイエットではない、減量だッ」と言い聞かせている。

 


「ダイエットじゃなくて減量だと何が違うの?」と首をかしげる若者もいるだろう。だが違う。まるっきり違うのだ!おじいちゃん世代にとっては!!

 


「ダイエット」といえば思い浮かぶのはハイレグ(死語)レオタード(死語)に身を包んだソバージュ(死語)ヘアのお姉さんがフラッシュダンス、もしくはキャッツアイのリズムにあわせてワンツーワンツーやっている姿だ(えっ、違うの??)。

 

しかしこれが「減量」となればどうだ!?

 

ジョーが、力石が、「水、水だぁ、水をくれえ~」と叫びながら左ジャブからの右ストレートを丹下段平の構えるミットめがけワンツーワンツーと打ち込んでいる姿が目に浮かぶだろう(えっ、平成生まれは浮かばないの?)。

 

まあ君らの脳裏に浮かぼうか浮かぶまいが、あしたのジョーの洗礼をウケているおじいちゃんは体重を落とすといえばまっさきに梶原一騎方式の減量方法が思い浮かぶのだ(えっ俺だけ?)。

 

 

昭和スポ根漫画の大名作「あしたのジョー」に出てくる減量方法はこうだ。

 

まずはハードトレーニング。これはもちろんだ。
そして食事は少量のサラダのみでラーメン二郎など厳禁だ。
もちろん昭和なので水を飲まない。乾いた唇を濡らしたスポンジでうるおすだけだ。
そしてガムを噛む。なぜガム?と思った君。ガムを噛んで口の中に出た唾液をペッ!とするのだ。街中ペッペッしながら走るのだ。
さらに下剤だ。宿便だの老廃物などすべて出し切る。
次はサウナだ。汗を絞り出す。ストーブをガンガンに炊いた部屋に引きこもるのもアリ。ただし換気には気をつけよう。
最後は献血だ。規定体重になるまで抜くのだ。
【↑↑絶対に真似をしないで下さい↑↑】

 


というわけで
2週間で4キロ落ちたぜフフフ
あと2週間で何キロ落ちるだろうか


健康診断まで生きてるかのほうが心配になってきたけども。


GachifloZ

思春期に恋をしなかったら変わった人になりました。

「スタバでMacBook」みたいなの、あるじゃないですか。Airでもいいんだけど。
わたしはMac好き好きマンなので家にMacBookはあるんだけど、「スタバでMac」はやったことないんです。だって恥ずかしいんだもん!絶対バカにされる!

 

Macじゃない人たちには「おじいちゃんがスタバでMac笑~笑」と言われるだろうし、Macファンには「おじいちゃんそれ何世代前のMac笑~笑」と言われるに決まってる!かといって最新のMacBookProを購入したところで1年後には笑われるじゃないですか!(そうなのか?)。

そう思うと怖くていけないわけです。
まあ実際に自分が「スタバでMac」な人を見掛けても上記のようなことはぜんぜん思わないんですけどね・・・。

 

なんでこんなことを書いているかと言えば、先日「人生においてやるべきことでやらなかったこと」はなんだろうと問われ、答えられなかったからです。

「ふつうみんな経験していること」「経験すべきこと」で「自分が通らなかった道」って何があるだろう?これまで「やったこと」ばかり数えてきて、「やらなかったこと」は数えたことがなかった。いやだってそれって「悪魔の証明」じゃない?だから考えたこともなかったんだけど・・・。

 

 

「ふつう」「みんな」「経験していること」「経験すべきこと」ってなんだろう。

幼い頃、両親に誕生日を祝ってもらったとか
家族で海や山に行ったとか
おじいちゃんおばあちゃんにランドセル買ってもらったとか
小学校入学式の日に校門前で写真を撮ったとか
運動会や学芸会、修学旅行とか

 

中学高校で淡い恋をしたとか失恋したりとか
反抗期で親や兄弟にいろいろ言ってしまったとか
友達とゲーセン行ったり喧嘩したり仲直りしたりとか
スポーツに限らず部活に打ち込んだとか
受験勉強して合格だったとか不合格だったとか
大学でコンパしたとか合宿したとか学園祭が楽しかったとか

 

就活したり今後のご活躍をお祈りされたり
出世したりしなかったり
おしゃれしたり旅行したり
結婚したり出産したり
熱を出したこどもを病院につれてったり
家を買ったり引っ越ししたり
親を介護したり看取ったり

 

 

まあもちろん人それぞれなんだけど、だいたこんな感じ?

これを「人生においてやるべきことをやらなかった人」にあてはめると、例えば「中高生の頃に誰かを好きになっていないヤツ」とか「みんなおしゃれしたり旅行したりする年頃に一切それらをしなかったヤツ」とかそういうことになる。

 

やっぱりこうやって並べてみると中高の頃かな・・・恋だの友情だの全く通って来ていない・・・。これはなんというかもはやトラウマなんだけど、中学、高校の頃に恋どころか異性を好きになったことすらないというのはやはり欠陥人間だと思う(同性が好きだったわけではもちろん無い)。異常者だよ。そう思う。トラウマって体験したことが心に深く傷をつけた場合が多いけど、体験していないというトラウマも確かにあるような気がする。

 


私の場合その反動が大学生になってから来るんだけど、やっぱり中高生が中高生の時に体験しておくべきことというのはあると思う。
大人になってから中高生の時に出来なかったことを追体験しても、それはおもちゃやお菓子の「大人買い」と同じで、あの頃の自分が手に入れたかったたものとはやっぱり少し違う「別のもの」だ。

 


まあ今更言ってもせんないことなので私は今したいことを、今すべきことを、がんばっていたします。ハイ。

 

GachifloZ

 

 

ある夏の悲しい覚え書き

諸事情により休日に家にいることが許されていないため11時ころに自宅を出た。
あてもなくブラブラするのは得意なんだけど、14時には自宅に戻ってよいとの許可が出ていたので「まあ3時間くらいなら」とiphoneの充電器を持たずに出た。

 

駅についていつものように路線図を見上げ「今日はどこへ行こうかしらん」とボケーっとしていたらあまりの暑さに「行って、帰って、ちょうど14時くらい」のところまで電車で行くことにした。電車の中は涼しいから。

 

都内から往復で3時間というと横浜は近すぎるし宇都宮は遠すぎる・・・というわけで久しぶりに小田原に行くことにした。小田原はいつか住みたいと思っていた街のひとつ。小田原へ行ってしらす丼でも食べて、時間があればちらっとだけ御幸の浜の海を見て帰ろうと小田急線に乗り込んだ。

 

のんびり電車にゆられ、iphoneしらす丼の美味しい店などをふむふむと調べていると思いのほか電池残量が減ってきていた。まあ駅のそばのコンビニかなんかでレンタル充電器を借りればいいやと気楽に思いつつ小田原駅に着いた。

 

ネットで調べたしらす丼の有名店に行くとやはり行列が出来ていた。でもせっかくなのでと名前を待機簿に書きこんで並ぶことにした。僕の前には4組くらいの人たちが待っていた。ふと周りを見渡すとたまたま店の向かいにコンビニがあったので、そうだここでレンタル充電器を借りようとコンビニに入った。

 

 

嘘だろ① 
レンタル充電器を借りようとQRコードにカメラをかざしたところ、QRコードを認識しない。認識しないというよりは認識したURLに飛ばない。何度やっても通信エラーになる。飛行機モードにしたり、iphoneを再起動したり、いろいろ試したが状況が変わらない。ましてや何度も何度もそんなことをやっていたら更に電池残量が減ってしまった。場所が悪いのかもしれないと思ったが、しらす丼の待機リストに名前を書いてしまっている以上そんな遠くには離れられない。しかたないのでとりあえずコンビニを出てしらす丼屋へ戻った。

 

 

嘘だろ② 
しらす丼の店頭にある待機リストを見ると先ほど書いた自分の名前にすでに△と斜線が引かれていた。どうやら名前を呼ばれたが不在だったので後回しということらしい。どうしようどうしようと思案していたら店員が出てきて僕のあとに書き込んだ人たちを店内に呼び込み始めた。
こんな時「あっ、すみませんコレ私なんですけど」と店員に声掛けをできればいいのだが、そこは天性のコミュ症なのでそんなことは切り出せない。絶対に。もう仕方ないと諦め唇を噛み締めながらその店を離れた。

 


嘘だろ③ 
「とりあえずiphoneのバッテリーレンタルが先!」と、別のコンビニを探した。さいわいすぐ近くにレンタル充電器が置いてあるコンビニがもう一軒あり、レンタル出来る充電器も1個だけ残っていた。心底ホッと安堵した。しかもそこは微弱ながらも通信が出来、QRコードからレンタル手続きが無事行えた。カチッと親機から外れた充電器を取り出そうとしたその瞬間、汗でスッと充電器が手から離れてしまい充電器は親機に吸い込まれるようにカチっとセットされてしまった。えっ!と声を出す間もなく「返却完了」のサインが出た。「いやいや返却じゃないって!」ともう一度充電器を取り出そうとするも、すでに親機は僕の最後の1個の充電器を充電するモードに入ってしまい取り出せなくなっていた。

 


嘘だろ④ 
呆然としながら僕はさらに別のレンタル充電器を求めてさまよった。次に見つけた充電器を慎重すぎるくらい慎重に操作しながらなんとかレンタルに成功。ふたたびしらす丼の店を探し始めたが、どこにもしらす丼の看板のある店がない。ネットは相変わらずつながらないし、36度超えの猛暑の中、僕は汗をダラダラ流しながら小田原の街をさまよった。蜃気楼でも出そうな暑さの中、店先にしらす丼ののぼりの出ている店を見つけ、僕は勇気をふりしぼって店内に入った。


席に案内されお水とおしぼりを出されたところで「すみません、今日はお刺し身系がもう終わりで、コレしか出来ないんですが』と言われて店員が指を指したのが「しょうが焼き定食」「野菜いため定食」「ハンバーグ定食」だった。
もう涙が滂沱のごとく溢れ出てくる中、勇気を絞り出して「ごめんなさい・・・また来ます・・・ごめんなさい」と店を飛び出した。心が引き裂かれそうだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ま、その後とってもきれいな海を見て、綺麗なビキニのお姉さんを見て、量はとっても少ないけれどとても美味しいしらす丼を食べて、今日はほんと大変だったからと帰りは奮発してロマンスカーに乗って帰った。日陰になる側の窓際の席で流れ行く景色を見ながら僕は「ああラッキーだなあ」と思った。



今日の敗因はなんだったんだろうと考えた。

やっぱり型落ちの娘のお古のiphoneを使っている以上、携帯バッテリは持ち出すべきだったこと。帰宅後に調べたら小田原駅周辺はドコモの電波が全く入らないので有名らしかったのだが、型落ちのiphoneを使っている後ろめたさから「きっとこのiphoneに原因があるはず」と思い込んでしまったこと。待機簿に名前を書いたのにまだまだ先だろうとその場を離れてしまったこと。ろくに調べもせずランチタイム終わりに店に飛び込んだこと・・・。

 

家に戻って少し横になり、スパイスカレーを作った。
なんか不思議と上手く出来て、とても美味しかった。
でもとても疲れた。やっぱり少し悲しかった。


GachifloZ

笑いながら怒るおんな

昨日テレビで「THE CONTE」がやっていてとても楽しく観ていたのですが、その中でロングコートダディのやった「あくまで提案」というコントがとても胸にささりました。正直観ていられませんでした。

以下一部ネタバレ含みます

 

 

女AとBが動物園に来ている。
女A 「あら、あの動物なんていう名前だったかしら」
女B 「◯◯じゃない?」
女A 「え、絶対ちがうわよ、なんだっけ、あ、名前が書いてあるわ。ふーん△△ですって」
女B 「そっかー」


その日の夜、女Bより電話
女A 「あ、Bさん?今日は楽しかったねー。こんな時間に電話なんてどうしたの?」
女B 「あのさ、なんであんな言い方したの?」
女A 「え?なんのこと?」
女B 「すごく傷ついたわ。なんで『絶対違う』なんてひどい言い方したの?」
女A 「え?え?なに?なに言ってるの?」
女B 「自分だって△△のこと知らなかったよね?なのになんであんな言い方するのかな?」
女A 「ちょ、ちょっと待って?」

 


以下、女Bによる女Aに対する理不尽というかめちゃくちゃなバッシングが延々続くというコントでした。

 

ふつうに観ればとっても面白いコントだと思うんですが、今はそうは思えない。

これをなんで観ていられなかったかと言うと、まさに今私がこの女A状態だからです。
少なくとも自分は「良好な関係だと思っている相手」と、全く悪意のない「普通の会話」をしているつもりなのに、相手は「最悪な関係性」の人間が「自分を執拗に一方的に責め立てている」と感じており、ひたすら憎悪を蓄積している。

 

これは本当に怖いことで、同じ空間にいて同じ時間を過ごしているのに、感じていることが180度違うわけです。一見よくあることのように思えますが、こんなに恐ろしいことはありません。

 

 

認識相違、認知の歪み、認知の不一致、認知的不協和についてしっかり学び直したいと思います・・・。

 

「常に自分の常識を正とせず、手間を惜しまずにコミュニケーションを心掛ける」

そういえば私の苦手な行動でした・・・。

 

GachifloZ