綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

お元気ですかと陽水は笑った

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シュビダバドゥ~お元気ですか。

 

ハゲはつらいですが、デブもかなりつらいです。
もともとチビなので、三重苦です。

放っておくといじめられるので身体を鍛えました。
バカだとバカにされるのでお勉強しました。
いろんな本を読みました。

 

大人になるとたまに蹴られるくらいで身体的ないじめは大してありませんでしたが、心をやられました。
しばらく会社を休んで、映画を観たり、散歩をしたりしました。

少しずつ、少しずつ元気になりました。

 

 

生まれついてなのか知りませんが、とにかく妄想癖があって、一瞬でズドドドドドドドドドドドドと思考が展開してしまいます。
だから一生懸命「考えない」トレーニングをしてきました。
思えば小学校低学年のころからこれをやっていました。

 

クラスに嫌いな子がいて、僕の脳が1ミクロンであってもそいつのこと(名前や顔など)を記憶するために使われているのがとにかく嫌で嫌で、いっさい記憶しないように(=考えないように)しようとしていたのをよく覚えています。

おかげで僕はそいつの名前も顔も思い出せません。
ざまみそカンカンというやつです。

そしてそのテクニックは今も役立っています。
僕はつらいことは考えません。


「つらいことに立ち向かわないといつまでたっても同じだよ!」という人がいます。本当にそうでしょうか。

別にいいんじゃないでしょうか。
大切なのはつらいことに打ち勝つことではなくて明るく元気に前へ進むことではないでしょうか。問題解決とつらいことに立ち向かうのは必ずしもイコールではないと思います。


昔、「まあいっか禁止令」というのを自分に出したことがあります。僕はなにかにつけて「まあいっか」「まあ・・・いっか」と言っていたのですが、「それは逃げだ」「現実逃避だ」と自分を戒める嫌なやつがいたのです。自分の中に。

 

それでしばらくの間は結構がんばって「まあいっか」と言わないように、そう思ったら「よくなーーい!」と思ってタチムカったりもしていたのですが、なんかあんまり効果があがらないんです。

 

しつこいというか、細かいというか、「そんなのどうでもよくね?」みたいなことにとにかくたくさん時間を取られてしまって。すごく遠回りをしているような感じになってしまったのです。

「ん?」と思ったことに対し常に「正解」を出していかないと前に進めないというのはこれはほんとうにめんどくさい。そしてたぶんまた心をヤラれます。

 

だから気にしなーい。

ハゲでも気にしなーい。
デブでも気にしなーい。
チビでも気にしなーい。


・・・
あーでもやっぱり少しお腹は引っ込めておこうっと。

問題は解決しつつもあまり考え込まず明るく前を見て元気にいきましょうと思うのですがやっぱりダメでしょうか。


GachifloZ

 

わたし、だまされやすいので・・・

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専門家会議の「クラスター対策」の解説 ――新型コロナウイルスに対処する最後の希望

https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9


こんちは。

今から10年ほど前、会社帰りに近くの床屋さんへ行った時のこと。
散髪が終わり、床屋のオバちゃんがぶっきらぼうに「後ろ、こんな感じでー」とかざした手鏡に写った自分の後頭部がいまだに忘れられないでいる。

厳密に言えば「正面の大鏡に写っている、ハゲている自分の後頭部に気付いて絶望した自分の表情」が忘れられない。


子供のころから頭髪についてはむしろ剛毛で両親もハゲていなかったから、万が一にも自分がハゲになるとは思っていなかった。あの夜の絶望たるやすさまじいショックで、たぶん僕はあの時の情景を決して生涯忘れえぬと思う。ほんとに悲しくて脳内に「全世界が泣いた!」というキャッチコピーが流れまくった。

 

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同じように「絶対忘れねえな~、コレ」と思う情景は他にもいくつかある。
3.11や9.11もそうだし、今回のコロナ騒動もきっとそうだろう。


僕が携わっている福祉の世界ってのは景気やら世界情勢に実に左右されないある意味安定したすばらしい商売で(「最下層で」というのが玉にキズだが)、不況だろうがなんだろうが収入が減るわけでもないし経費が増大するわけでもない。ましてや大して仕事が増えるわけでもなくて、今回だって消毒時間がそれなりに増えたくらいだ。

ただ、そんなお気楽な無競争業界であってもひとたび施設内に感染が起これば話は別になる。


今はこうして仕事中にのんきにハゲ日記を書いて勝手に絶望したりしているけれど、もし今、施設利用者に感染者が出たらその瞬間から僕は「最低」14日間ここから出られなくなる。

さらにまず間違いなく感染者は一人ではすまない。あっという間に施設内に蔓延し、ほぼすべての利用者が重篤化するだろう。支援者ものきなみ罹患だ。そうなれば全員地域の医療機関へ運ばれ、施設内は自衛隊による徹底的な消毒が行われ、数ヶ月から半年は施設としての機能を失うだろう。当然その間ワシはひさしぶりのプータローだ。

そして新たな話題が世間を賑わすまで連日連夜施設の前をテレビラジオ新聞雑誌が取り囲むのは目に見えている。あな恐ろしや。

 

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で、言いたいのはここで大切なのはこういった妄想に怯えることではないということだ。


「ほうほう、会社都合で仕事を休む場合は休業補償が会社から出るわけね」「ははあ、この会社こはこういう規則になっているのか」「おっ、オレの入ってる生命保険にこんな特約があるじゃんか!」「このパターンは悲惨になるからこれやっとくか・・・」といったことをしっかり把握して、準備して、さらに大切なのはそれを「共有」しておくことだ。

オレが死んだら1億円もらえる保険に入っていたとしても、それを請求するヤツが知らなければ何の意味もない。
死ぬ時はノートパソコンに仕込んだボタンをポチることで家にある全てのMacPCからエロ画像が自動削除され、同時に何がもらえてどこへどういう手続きをすればいいか、情報が必要な人間がわかるようにしておかなければならないのだ。

 

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コロナウイルスそのものについてもそうだ。
脳内お花畑の連中の撒き散らすデマに引掛かるわけにはいかん。大本営発表をひたすら鵜呑みにするわけにもいかん。正しい情報、そしてその真贋を判断する情報へ瞬時にたどり着ける検索能力がこれからはなによりも大切だ。知識量より検索力だ。


コロナに限らずなんでもそうなんだけどあらゆることにはあらゆる意見があって、どれも正しかったり、どれも間違ってたりする。

 

意見書 公演中止で本当に良いのか
https://www.nodamap.com/site/news/424

 

ただ、正しいか間違ってるかという自分の判断ってあんまり意味がないと思っている。問題はいろんな意見を受けて「自分がどうするか」、大げさに言えば「どう生きるか」が問題であって、他のひとがどんな意見を持っていようがあんまり気にしてもしょうがないのだ。気にするだけ心に毒だ。


こんなときこそのんびりしよう。
手洗いうがいをして、たくさんお金を使いましょう。

 

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https://twitter.com/Gachiflo/status/1241590179946565633?s=20

    ↑ ちなみにこれはCGでした


GachifloZ

 

 

「年相応」の話

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僕が就職したのはバブル末期で、当時の先輩社員から「年齢×1万円が年相応の平均的な月収だよ」と教わった。大学新卒なら22万円だから、まあ額面で考えればそんなに無茶苦茶な数字でもないように思えた。

これでいくと50歳の時には月収50万だからボーナス4ヶ月分として年収800万だ。これもまあ無茶苦茶とは言わないけれど、どうも「平均的」ではないような気がする。

 

僕が今お手伝いしている業界は残念ながら世間様でいうところの最下層業界なので決して「年相応」の年収ではないけれど、障害者がいて年金をもらえたり持ち家で家賃がなかったりするので相対的には「年相応」の暮らしがなんとか出来ている。

 


問題は精神的なところだ。

昨日も書いたし今日も書いたけれど、この厨二病気質だけはとてもとても「年相応」には程遠い。


早熟な子だったので、小学生の頃には50歳くらいまでの生活設計を思い描いていた。子供の考えることだから、○○大学を出て一流企業に入ってきれいなお嫁さんをもらって女の子ふたり産んで、みたいなかわいいやつだ。

もちろん聴く音楽はジャズやクラシックで、趣味は絵画や海外旅行だ。会社では部長さんとかいう偉い人になって、夜には接待とかいうやつで「老舗の料亭」に行ってフグを食うのだ。それからバーとかいうところでお酒を飲む。休日には書斎で猫を膝に乗せて細かい文字ばかりのぶ厚い革の表紙の本を読む。そんな感じだ。

 


それが実際どうなっているかといえば、聴くのは筋肉少女帯ももクロで、読んでる本はミステリーか肩の凝らないエッセイ本ばかり。住んでいるマンションはペット禁止で書斎どころか自分の部屋もない。

でも、悲観はしていない。

社用で連れて行かれた料亭なんてぜんぜん味がしなくて「早く帰りてえなあ」とずっと思ってたし、退勤後にひとりでかっこむ吉野家のほうがよっぽど美味しかった。バーで呑んでるより家でプロレスを観てたほうが楽しいし、ベランダの鉢植えで薔薇を育てるのはお金もかからなくてしかもとても優雅だ。

 


僕が今、後輩社員の誰かに「平均的な月収っていくらくらいならいいんでしょうかねえ」と言われたらやっぱり「年齢×1万円くらいじゃね?」と答えるけれど、それは目標というかあくまでも単なる指標のひとつでしかなくて、人の倍稼いでるからしあわせなわけじゃないし、人の半分しか収入がなくても楽しく生きている人はたくさんいる
。だからむしろ「年齢×1万円」を念頭に置きながらも自分が楽しく充実している生活を送れてたらそれはそれでいいんじゃねーの、と思う。


ほんと妬みにしか聞こえないの承知で書くけど、金持ちでしあわせそうな人を僕は一人も知らない。みんないつも不機嫌で、まわりはおべんちゃらしか言わないコバンザメばかりだし、いつだって人を疑っていた。

 

「男子たるもの年相応に!」とは常々思うけど、僕は今の環境がいいなあ。

料亭行くならデートで行きたいわ。
どんな環境であっても、その中で楽しく刺激的に生きていきたい。

心からそう思う。

そう願う。

 

GachifloZ

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僕がPayPayを使わない理由

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めっちゃ暇なのでPayPayを登録してみた。

使う予定はない。
なぜならレジで「PayPayで!」と言うのが恥ずかしいからである。

CMの影響というか刷り込みというか「PayPayで!」とレジ係に伝える自分の姿が宮川大輔に思えてしかたないからである。縁の太い眼鏡をかけて、顔の横にスマホを持って、つばを飛ばしながら目をギラギラさせて店員に伝えているような気がしてならないのだ。


「お買い物」の99%が出勤前の昼ごはん用にパンをコンビニで買うだけの生活が続いている。服も買わないし、文房具も最近は会社の支給品だ。外食もすっかりご無沙汰だし、本屋も行かなくなった。

 

コンビニでの支払いはPasmoSuicaだ。

ちなみにレジでPasmoを使う時も僕は店員に「Suicaで」と伝える。Pasmoを使うのに「Suicaで」と伝える。なぜなら「Pasmoで」と伝えたらレジのお兄ちゃんに「Pasmoだってw」と笑われそうな気がするからである(←たぶん笑われない)。

イメージとしてSuicaのほうがPasmoよりメジャーな気がする。
逆に言えばPasmoのほうがマイナーな気がする。
交通系マネーで」でもいいのだろうが、あえてマイナーなほうを選んで伝えるのがどうにも厨ニ病気質に思われやしないかと思ってしまうのだ(←思わない)。


昔からずっとそうだった。
ドコモよりデジタルホン
野球よりサッカー。
WindowsよりMac
新日本よりUWF
AKBよりももクロさん。
昔で言うなら松田聖子より河合奈保子だ。
いろいろ時代錯誤のものも入っているが、こういった気質は今も変わらない。


言い方を変えれば厨二病というよりは「流行りに乗るのが苦手」なのかもしれない。
うまく流行りに乗れないから、あえて傍流を選んでしまうのかもしれない。
傍流にいれば流行りを考えなくていい。これは楽だ。


そしてたまに傍流が本流を凌駕することがある。
そうなった時はそれこそ得意満面だ。

「オレ、第一次UWFの旗揚げシリーズ、大宮スケートセンターに行ってるんだよね」
「94年に三ツ沢で観たエドゥーのフリーキックが」
ももクロさん?ああ、2009年のTIFは最高だったね。」
「ベビメタや旧BiSはやっぱりライブハウス時代が」
いろいろ自慢だらけだ。


もちろん最後までブレイクしなかったものもたくさんある。
アイドルでいえば鉄道アイドル「ステーション♪」は本当によかったけれど、メジャーシーンに躍り出ることはなかった。
今は全く違うグループになってしまったけど、本当に良いアイドルだった。ねねちやきなりん、ほののん、みんな輝いてた。解散ライブにも行った。今でもよく聴く。みんな元気だろうか。

 


閑話休題、僕はPayPayを使う日は来るんだろうか。

それならなんで登録したよ?という話なのだが、それは「傍流好き」のB面ともいえる気質であるところの「なんでもとりあえずやってみようの精神」ゆえである。

 

かつて中島らもさんは「人の行く裏に道あり菊の花 」と詠んだが、まさにそんな感じで、無性に脇道にそれてみたくなるのだ。

「とりあえずやってみよう」の精神はとても大切だと思うし、ずいぶんと素敵な景色を見せてもらった。ダイヤルQ2で国際電話の請求が来たとか店の奥から怖いお兄さんが出てきたとか痛い目にもたくさんあったけど、痛い目見るのも人生の勉強だ。なにが怖くて何がヤバいか、今では肌感覚でわかるような気がする。まあそう言う割には今でも始終ドツボにハマってるけど。

 

うーん、やっぱりマイナー臭のプンプンするファミペイにしとけばよかったかなー?

GachifloZ

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ふんどしが欲しい

 

 

唐突ですが白い布切れがほしいわけではありません。
アークザラッドRというスマホゲームの新キャラ?のことです。
トレードマークが白いふんどしのおっさんキャラなのです。

ガチャでGET出来るのですが、確率0.2%とのこと。まったくもって出る気がしません。
良心的なことに150連まわせば確実に出ることが決まっているのですが、だいたい10000円で40連なので最悪4諭吉となります。

「単なるデジタルデータに4諭吉!」
「かわいい女の子キャラならともかくふんどしおじさんに4諭吉!」
「(性能的に)GETしたところでたぶん使わないのに4諭吉!」
「受験生抱えているのに4諭吉!」

様々な心の声が自制を促すのですが、欲しいものは欲しいんじゃ!

 

 

「欲しい」とか「やりたい」とか「したい」という<意思>と、「GETする」とか「やる」とか「する」という<行動>は必ずしも一致しません。
自制して一致させないこともあるし、物理的環境的にできないこともあります。

少年の頃は女子更衣室や女風呂を除きたいと365日24時間思っていましたが、2019年現在覗けていません。他方「いつかきっと」と四半世紀願い続け、おっさんになってようやく叶えた夢もたくさんあります。


ただ、ここまで書いておいて言うのもなんですが「叶えられたかどうか」って実はあんまり大切なことではないような気がします。女風呂や女子更衣室覗いてたら捕まりますし。
大切なのは欲しいとかやりたいとかしたいとか「願う」ことそのものなんだと思います。

 


あきらめるのも違うと思います。
あきらめるのではなく「いつかきっと」と願い続けることが大切だと思うのです。


したり顔で「女風呂なんてしょせん夢は夢なのさ」みたいに気持ちをごまかしてはいけません。ぴあ秘境温泉マップで生き残ってる混浴風呂を探せばいいじゃないですか。
したり顔で「女風呂なんてどうせお婆ちゃんだらけさ」みたいに気持ちをごまかしてはいけません。自分がおじいちゃんになればおばあちゃんはバッチリ射程範囲かもしれないじゃないですか。

ももクロさんのライブが1回1万円くらいするから諦める?ライブビューイングなら3000円ですよ。しかもライブビューイングは映画扱いだから「ライブは月に1回まで」のマイルールもクリアですよ。最高じゃないですか。


かつてある野球マンガのピッチャーは利き腕の左手を壊して一度は野球界を引退したのですが、やさぐれて呑んでた居酒屋で「左手ダメなら右手があるさ」と思い立ち、右ピッチャーに転向してカムバックしました。

幼な心に「オイオイ強引だな!」と思いましたが、その後にさらに右手も壊してしまい、最終的にバッターとして再復活した時には呆れるを通り越して「すげえ・・・」と感動してしまいました。それくらいの執念がなくてなんの夢が叶うものかと。

 

 


強引だとか無理やりだとかこじつけだとか、そんなのは全部褒め言葉です。自分に対してなら。


初めてiPadが世に出た時、僕は少しだけお金がなくてそれを買えなかったのですが、実寸大にダンボールを切り抜いてディスプレイのスクリーンショットを光沢紙に印刷し、紙製のiPadを作りました。小学生のようですが、おっさんになってからのことです。

僕は日々それを眺め、指でスワイプしていました。もちろんそのたびに「シュッ!シュッ!」と声に出していました。くどいようですが小学生のように思えても壮年になってからのことです。

 

今うちには最新型のiPad-Pro含めiPadが3台ありますが,この紙製のiPadが一番軽くて(そらそうだ)かっこいいです。それにapple製のiPadはスワイプする時に「シュッ!シュッ!」って言わないんですよ!偽物かよっつーんです。


あきらめちゃダメです。
「かたち」なんてどうだっていいじゃないですか。
こう、欲しくて、そしてそれをむぎゅうと出来たなら、かたちなんてどうだっていいじゃないですか。欲しがりさんでいいんです。

 

以上、絶対なんの役にも立たない「ふんどし」をほしいと思う自分への口実筆記でした。

ふんどし、 ほしいなあ~。

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GachifloZ

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに離れていても僕は天使と暮らしていると言えるのではないだろうか

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このまえ筋肉少女帯のライブ(2019/10/20 EX THEATER ROPPONGI)に行ってきたんですけど、OP一曲目で機材トラブル?があってギターの音が出てなかったんです。
んで、とりあえず1曲目を演奏し終えたあとに「以上!サウンドチェックでした!」と言って舞台袖に下がっちゃったんですね、全員。そんで15分くらいしてから再度SEからやり直したんですけど、とてもめずらしい光景でした。筋少の音楽に対する姿勢は「オーケン以外全員完璧」がウリですから(←ほめている)。

MCでオーケンおじいちゃんが「はりきりすぎて機材蹴っちゃったんだゴメンゴメン」と言ってましたが真偽の程は定かではありません。エクトプラズマかソ連の陰謀か、はたまた地球の磁場が狂い始めたのか。いずれにせよ再開後のライブは素晴らしいものでした。

 

いろいろあって今現在「ライブは月に1本まで」「映画は3ヶ月に1本まで」「本は押入れの本を再読のみ」等々と貧乏くさくマイルールを決めているのです。

が、制約があるからこそひとつひとつの出来事を心に刻もうという意識が働くのか、それなりに毎日楽しくやっています。いやむしろ前述の筋少ライブのように、ピンポイントピンポイントで誰かが僕に「なにか」を与えてくれているような気すらしています。

 

yesterdaymovie.jp

昨日観に行った映画「Yesterday」もとてもよかった。

ネタバレはしませんが、不遇の時代を支えてくれた人っていうのは永遠の恋人なんですよ。やっぱり。
バットマンのやつでも、なんならプリキュアでもよかったのですが、たまたま選んだ「Yesterday」がとてもよかったのはやはりなんかしらの力が働いているような気がしてなりません。

きっと天使に守られているんです。

 


これまでいろんなことがありましたが、今はとても平穏で穏やかな日々を過ごしています。
日々平穏で穏やかだから、日記の更新も滞っているのかもしれません。
つらいときはいつだってここに吐き出していましたから。読んでくれてたひと、ありがとう。たまたま読んじゃったひと、ごめんなさい。


ライブも映画も心のバロメーターというか自浄装置というか、つらいときは筋少の曲がほんと心に染みて「見くびった奴ら全員燃やしてやる!」とか耐え難いモッシュの中で叫んでいたものです。映画もなにげないシーンで暗闇の中ボロボロ涙をこぼしたりして。

今はないなあ。
ぜんぜんない。

 


心がすとんと落ち着いているからか、ぜんぜん心を揺さぶるような衝動にかられません。
きっとこれはいいことなんだけど、寂しくもあります。
あんまりにも逆境好きで「逆境にいないとダメなタイプ」だからでしょう。
典型的な破滅型なんですね。
いつか訪れる破滅を待っているような感さえあります。


そのうちやってくるであろうとんでもない逆境。
でも平気へっちゃら大丈夫。これまでだってなんとかなってきたじゃない?
なんとかなるし、ならなくても別に受け入れてその中でのほほんと生きていこう。


あーでもやっぱりギターの音が出ないくらいの「逆境」にしてほしいな!
天使のみなさんよろしくおねがいします。

GachifloZ

 

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カフカ、フェリーニ、マザーグース、それより素敵な彼女

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こんちは。

ここのところずっと怠惰な日々を過ごしています。
やってることといったら昨年10月以降来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も来る日もず~~~~~~~っとスマホゲーム「アークザラッドR」をやっているだけ。朝から晩までほんとそれだけ。ゲームの合間にお仕事したりご飯食べたりお風呂入ったり寝たり。ほんとそんな感じです。


おかげさまでお腹はブクブク出てくるわ、筋肉量の減少からなのでしょうか、体力がすっかり落ちてしまってスタミナが一向に回復しません。本当に疲れが取れないし、お仕事もなんでもミスばっかり。


こうやって日々スマホをいじくり倒してそれで何かを得られるというなら、あるいは何かが形となって残るならまだいいと思うのですが、なんてったってスマホゲームですから配信元がサービス提供を停止したら「ハイそれまでよ」。上げに上げたレベルも何時間も何日もかけて練った攻略法もすべて消え去ってし何も残らないわけです。
こんなに虚しいものはありません。



ただ正直なところ、①こんなおじいちゃんが ②生まれて初めてのスマホゲームで ③四半世紀昔にプレイしていたゲームの続編を ④そこそこのプレイヤー人口のいる中で ⑤微課金というのも申し訳ないくらいの課金だけで ⑥全国アクティブプレーヤーのランキングトップ30に入ったりすることが出来ている、というのは正直嬉しいんですけどもね。

 

考えてみればどんなことだっていつかは消えてなくなります。
どんな出世したって会社やめたら何の価値もないし。
スポーツで実績を残したって何年かすれば「ああそうですか、すごかったんですね」って言われるだけでしょう。
がんばったんですね、才能あったんですねって言われたって、それを言われているその時の自分にそれはあんまり価値のあることでもない気がします。
もちろんその過去の勲章が生きがいな人もたくさんいるでしょうけど。


じゃあ何がいったい僕にとって価値あることなのか??

金でも地位でも名声でもないとなればそれはやっぱり「今この時の充足感」であったり「今この時の達成感」ではないのだろうかと思うわけです。

 

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好きな人を過去に抱きしめた事自体にあんまり価値はなくって、今好きな人を抱きしめているかどうかが大切な気がします。あるいは抱きしめようとしている今のその気持ちが僕には大切。

昔はこうだった、ああだったとか、割とどうでもいいんです。僕はね。
そんなの考えるのは罪を償う時くらいだけでいいんです。
(罪を犯しておいて「過去は過去w」とか言われたら許せないよな)

 

だからアークRを「あーでもない、こーでもない」と日々やってることに「将来の意味」はなくとも、今現在ではきっと意味があるのです。

サービス提供終了して何も残らないなんて、なおさら真っ白な灰になるまでやる以外ないじゃないですか!


やりたいからやる、きっとそれでいいんです。虚しくなんてないよ、俺よ!
未だ来ぬ未来に怯えて立ち止まってしまうよりナンボかましなんだろう。

 

明日は今年初めての筋少ライブです。
待たせやがったな!楽しむぜ!!


GachifloZ

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