綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

猪木は死ぬか?

小学生から中学生にかけてぐらいのとき、僕は「猪木信者」になった。


全盛期を過ぎ、リングの上でボロボロになりながら戦い続けるアントニオ猪木に本当に憧れた。
東スポを初めて自分のお小遣いで買ったのもこの頃だった。
アントニオ猪木著「燃える闘魂」「苦しみの中から立ち上がれ」を僕はむさぼるように読み、ひとり身体を鍛えた。初めて「プレイガイド」というところへ行き、プロレスのチケットを買った。
ひとりで後楽園ホールや蔵前国技館に行き、猪木の闘いに熱狂していた。

 

中学校に通う通学路の途中に文房具屋があった。ある日そこの軒先に見たことのない新聞が置いてあるのが目に止まった。それが「週刊ファイト」だった。

週刊ファイトは大阪で発行していたいわゆるタブロイド紙で、当時編集長をしていたのが井上義啓氏。いわゆる「活字プロレスの祖」と呼ばれるi編集長だ。

僕にとって猪木の「苦しみの中から立ち上がれ」はバイブルだったが、このi編集長の著作「猪木は死ぬか」に幼い僕はさらに強い衝撃を受けた。以下はその本の冒頭のモノローグである。


「茫洋たる人の海であった。
ある感動が、耐えられない怒涛となって押し寄せる。
<短かったのであろうか>
リングの下を、カラカラと風が吹き過ぎてゆく。
その上に・・・猪木はいた。」


これはいったい何なんだ??
「次期シリーズに狂犬マードックが再来日!」とか「猪木、シンに怒りの鉄拳制裁!」とかそういうのがプロレス記事だったはずなのに、i編集長の書くプロレス記事はそれらとは全く違う「プロレス文学」だった。
僕はi編集長の書く活字プロレスにのめり込んでいった。

 

「猪木のプロレスが、もし、『素晴らしき日曜日』であったとしたら、『カサブランカ』『凱旋門』であったとしたら、今日の猪木が存在したかどうかが疑問である。猪木のプロレスが『七人の侍』であり「蜘蛛巣城』であり『酔いどれ天使』であり『野良犬』だったところに、猪木の今日に至る軌跡があったと言えるのだ」


それまでSFと少女漫画しか読まなかった僕に黒澤明小津安二郎を教えてくれたのはi編集長であり、ハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマンを教えてくれたのもI編集長だった。猪木を媒介として、映画演劇にとどまらず村松友視椎名誠和田誠、僕の「世界」はとめどなく拡がっていった。

 

そんな猪木が死んでしまった。

僕にとって強さの象徴、生の象徴であった猪木が死んでしまった。
何があっても、どんなにうちのめされようとも「何だコノヤロー!」とこぶしを握りしめ何度だって不死鳥のように蘇ってきた猪木が本当に死んでしまった。

いつだって僕の背を支えていてくれた大きな大きな存在が失われた。無限に続いていくように錯覚していた世界が閉じられてしまったように思う。僕にとってはある意味で世界の終焉だ。

世界は有限であり、僕ももう手の届くところまで来てしまった。
今はそんなふうに思う。

合掌。