いくつかのこと あるレスラーの死のこと
僕の中で女子プロレスはGAEAJAPAN(1995)で止まっているのでなんとも言えないのですが、日本人プロレスラーが自殺したのって初めてなんじゃないだろうか。
不慮の死を遂げたレスラーはこれまで何人もいたけれど、自ら命を絶った日本人レスラーというのは記憶にない。
自殺がダメとかプロレスラーなんだからどうこうとか、そういうのはまあ全然書こうと思わないんだけど、なんかこうスターダムどころか全女だって知らねえだろうと思われる連中にどうこう言われるのがすごくイヤなのです。
なんていうのかなあ、ネットやリアル問わず誹謗中傷やヘイトスピーチの是非(是なんてあるわけないけど)を戒める意見についてはもちろん反対するつもりは毛頭ないんだけど・・・
なんかこう、「えっ、君たちこれまでさんざんこっち側にヘイトしてきたよね?いったいいつの間にこっちの味方になったの?」という感じなのです。
例えば、今回の新型コロナに伴う給付金手続きについて「諸外国ではもっとしっかりとしたマイナンバー制度があるのに日本は全然ダメ!」みたいなことを言ってるバカ野党を見るにつけ、国民総背番号制がどうこう国民を監視する制度とか散々文句言ってマイナンバー制度をまともに機能しないようにしてきたのはお前らだろうが!!と思うわけです。
「自粛自粛ではなくて、国民が外出できないよう罰則を設けないと!」とかというバカ意見に至っては本当にどの口が言うのかと。そう出来ないような国にしてきたのは誰でもないお前らだろという。
まあそれはいいんだけど
本当に死んではいけないと思うんだけど
つらくても苦しくてもやっぱり死んではいけないのではないかなあとそう思うんだけど
例えば事故にあって手足無くなって身体ほとんど原型失って絶望と激痛しか残ってない状態で
それでも生きろとは
なかなか言えないよなあと思うわけです。
ただ、どういう意見にしろ、今までむしろ蔑視してきた側の奴らがどうこう言うのがね。
ちょっとね。
もやっとするわけです、ハイ。
GachifloZ
いくつかのこと あかりちゃんのこと
あかりちゃんが第一子を妊娠したという報道が出て、いやもう本当におめでたい。めでたくてめでたくて。
毎日暗いニュースばかりの中でやはり赤ん坊という存在の持つオーラというか幸福のパワーというのはものすごいな!と思うばかりであります。
誰もが心からおめでとうと言い、誰もが無条件で祝福をする。
そんな幸せなことがあるだろうか。あかりちゃん、おめでとう。
さて、そんなおめでたいことこの上ない中で私が考えていることと言えば有安杏果、杏果ちゃんのことなのです。
(なんであかりちゃんの話なのに杏果ちゃんが気になるのかを文章化したところ400字詰め原稿用紙にびっしり5枚分書いてもまだ想いの半分も書けていないのでもうここには書かないのでありやす)
杏果ちゃん元気かな、早くライブ出来るようになるといいな、
6月に順延されたツアーも中止になっちゃったし本当に早く終息しろよまったく。
まあほんとうに10年先でいいので
あかりちゃんと杏果ちゃんを加えた6人の笑顔の写真が
笑顔の写真が見たいな、と思っています。
あかりちゃん、本当におめでとうね。
杏果ちゃん、ライブ期待して待ってるね。
みんなしあわせになりますように。
GachifloZ
コロナ真っ盛りは異常者の正常な世界
こんにちは。
あんまり暇なので日記を書きます。
なんで暇かというと仕事中だからです。
家にいる時はやる事が尽きず本当に忙しいので、出来れば家にいたいのですが、福祉関係の事務方のお仕事というのは医療関係の事務方と同様に休みたくても休めないのであります。
休めないのではありますが、平時よりもむしろ仕事は減っており、電話も鳴らなきゃ来客もないし面会も外出外泊もないので本当に暇なのです(ここらへんが医療との違いね)。
全国の皆様に先んじて医療福祉関係に届いたアベノマスクを装着し、ユザワヤ公式YouTubeで手作りマスクの作り方動画を眺めながらひたすら事務所をドアノブシュッシュ、窓をガラリ、机をシュッシュパソコンふきふきとほんとに5分ごとに消毒・換気・加湿をただひたすら繰り返すお仕事。うーん暇だ。
あんまり暇なのでTwitterなど見ていたらどこもかしこも国や都、行政への毒吐きばかりで本当に世の中の人はみんなストレス溜まってんだなあ、そんな毒ばかり吐いて疲れないのかなあと考えていました。
Twitterというのは基本フォローしているひとのつぶやきしか聞こえてきませんから、僕の見るタイムラインは普段はほんとうに平和で、くだらないヨタ話やくだらなくないヲタ話ばかりしか流れてこないのですが、そんな呑気な人しかいないはずのタイムラインがこうも毒吐きばかりということは、普段から不平不満愚痴ボヤキ悪口で埋まっている方の今のタイムラインたるや想像するだに恐ろしいと怯えています。
って、そうでもないのかな、むしろ「普段通り」なのかもしれない。平常な時の異常は異常時の平常というのはよく聞く話だから、おかしくなっているのは僕のTwitterのタイムラインぐらいなのかもしれないな。
みなさんストレス溜まっていますか?
僕はそうでもありません。
前述繰り返しですが、休みの日に家にこもっていると本当にやることたくさんあって楽しいし、飽きません。
筋少や特撮のライブに行けないのは寂しいしストレスになりそうなものですが、もともと筋少のライブは2019年末の次が2020年5月ですからコロナがあろうがなかろうが無いものは無い!わけで、そんなにストレスとは感じていません(2月の特撮は行けたし)。
大好きな映画も去年娘二人が同時に受験生だったことから「ワシも禁欲!映画は3ヶ月に1本しか観ちゃダメ!」と自分を律してきましたのでそんなに影響がありません。
友達はもともとひとりもいないから誰と会えなくとも寂しくないし、酒も呑まない、カラオケしない、パチンコしない、タバコもやめてだいぶ経つ・・・と、ことごとく今回のコロナ戦争にあわせたかのように長い年月を掛けて心身を整えてきた?ので、本当にストレスがないんです。
昨日帰宅途中に、いつもはギラギラまばゆいネオンの飲み屋街がひっそり静まり返っていて「あー、震災の時もこうだったなー」と考えていました。
あの悲惨な震災も乗り越えてきたんですから今回だって大丈夫。
あまり心配しすぎませぬよう。
たまには空を見上げて飛行機雲でも探しましょうよ。
おっと消毒消毒っと。
GachifloZ
お元気ですかと陽水は笑った
シュビダバドゥ~お元気ですか。
ハゲはつらいですが、デブもかなりつらいです。
もともとチビなので、三重苦です。
放っておくといじめられるので身体を鍛えました。
バカだとバカにされるのでお勉強しました。
いろんな本を読みました。
大人になるとたまに蹴られるくらいで身体的ないじめは大してありませんでしたが、心をやられました。
しばらく会社を休んで、映画を観たり、散歩をしたりしました。
少しずつ、少しずつ元気になりました。
生まれついてなのか知りませんが、とにかく妄想癖があって、一瞬でズドドドドドドドドドドドドと思考が展開してしまいます。
だから一生懸命「考えない」トレーニングをしてきました。
思えば小学校低学年のころからこれをやっていました。
クラスに嫌いな子がいて、僕の脳が1ミクロンであってもそいつのこと(名前や顔など)を記憶するために使われているのがとにかく嫌で嫌で、いっさい記憶しないように(=考えないように)しようとしていたのをよく覚えています。
おかげで僕はそいつの名前も顔も思い出せません。
ざまみそカンカンというやつです。
そしてそのテクニックは今も役立っています。
僕はつらいことは考えません。
「つらいことに立ち向かわないといつまでたっても同じだよ!」という人がいます。本当にそうでしょうか。
別にいいんじゃないでしょうか。
大切なのはつらいことに打ち勝つことではなくて明るく元気に前へ進むことではないでしょうか。問題解決とつらいことに立ち向かうのは必ずしもイコールではないと思います。
昔、「まあいっか禁止令」というのを自分に出したことがあります。僕はなにかにつけて「まあいっか」「まあ・・・いっか」と言っていたのですが、「それは逃げだ」「現実逃避だ」と自分を戒める嫌なやつがいたのです。自分の中に。
それでしばらくの間は結構がんばって「まあいっか」と言わないように、そう思ったら「よくなーーい!」と思ってタチムカったりもしていたのですが、なんかあんまり効果があがらないんです。
しつこいというか、細かいというか、「そんなのどうでもよくね?」みたいなことにとにかくたくさん時間を取られてしまって。すごく遠回りをしているような感じになってしまったのです。
「ん?」と思ったことに対し常に「正解」を出していかないと前に進めないというのはこれはほんとうにめんどくさい。そしてたぶんまた心をヤラれます。
だから気にしなーい。
ハゲでも気にしなーい。
デブでも気にしなーい。
チビでも気にしなーい。
・・・
あーでもやっぱり少しお腹は引っ込めておこうっと。
問題は解決しつつもあまり考え込まず明るく前を見て元気にいきましょうと思うのですがやっぱりダメでしょうか。
GachifloZ
わたし、だまされやすいので・・・
https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9
こんちは。
今から10年ほど前、会社帰りに近くの床屋さんへ行った時のこと。
散髪が終わり、床屋のオバちゃんがぶっきらぼうに「後ろ、こんな感じでー」とかざした手鏡に写った自分の後頭部がいまだに忘れられないでいる。
厳密に言えば「正面の大鏡に写っている、ハゲている自分の後頭部に気付いて絶望した自分の表情」が忘れられない。
子供のころから頭髪についてはむしろ剛毛で両親もハゲていなかったから、万が一にも自分がハゲになるとは思っていなかった。あの夜の絶望たるやすさまじいショックで、たぶん僕はあの時の情景を決して生涯忘れえぬと思う。ほんとに悲しくて脳内に「全世界が泣いた!」というキャッチコピーが流れまくった。
同じように「絶対忘れねえな~、コレ」と思う情景は他にもいくつかある。
3.11や9.11もそうだし、今回のコロナ騒動もきっとそうだろう。
僕が携わっている福祉の世界ってのは景気やら世界情勢に実に左右されないある意味安定したすばらしい商売で(「最下層で」というのが玉にキズだが)、不況だろうがなんだろうが収入が減るわけでもないし経費が増大するわけでもない。ましてや大して仕事が増えるわけでもなくて、今回だって消毒時間がそれなりに増えたくらいだ。
ただ、そんなお気楽な無競争業界であってもひとたび施設内に感染が起これば話は別になる。
今はこうして仕事中にのんきにハゲ日記を書いて勝手に絶望したりしているけれど、もし今、施設利用者に感染者が出たらその瞬間から僕は「最低」14日間ここから出られなくなる。
さらにまず間違いなく感染者は一人ではすまない。あっという間に施設内に蔓延し、ほぼすべての利用者が重篤化するだろう。支援者ものきなみ罹患だ。そうなれば全員地域の医療機関へ運ばれ、施設内は自衛隊による徹底的な消毒が行われ、数ヶ月から半年は施設としての機能を失うだろう。当然その間ワシはひさしぶりのプータローだ。
そして新たな話題が世間を賑わすまで連日連夜施設の前をテレビラジオ新聞雑誌が取り囲むのは目に見えている。あな恐ろしや。
で、言いたいのはここで大切なのはこういった妄想に怯えることではないということだ。
「ほうほう、会社都合で仕事を休む場合は休業補償が会社から出るわけね」「ははあ、この会社こはこういう規則になっているのか」「おっ、オレの入ってる生命保険にこんな特約があるじゃんか!」「このパターンは悲惨になるからこれやっとくか・・・」といったことをしっかり把握して、準備して、さらに大切なのはそれを「共有」しておくことだ。
オレが死んだら1億円もらえる保険に入っていたとしても、それを請求するヤツが知らなければ何の意味もない。
死ぬ時はノートパソコンに仕込んだボタンをポチることで家にある全てのMacPCからエロ画像が自動削除され、同時に何がもらえてどこへどういう手続きをすればいいか、情報が必要な人間がわかるようにしておかなければならないのだ。
コロナウイルスそのものについてもそうだ。
脳内お花畑の連中の撒き散らすデマに引掛かるわけにはいかん。大本営発表をひたすら鵜呑みにするわけにもいかん。正しい情報、そしてその真贋を判断する情報へ瞬時にたどり着ける検索能力がこれからはなによりも大切だ。知識量より検索力だ。
コロナに限らずなんでもそうなんだけどあらゆることにはあらゆる意見があって、どれも正しかったり、どれも間違ってたりする。
意見書 公演中止で本当に良いのか
https://www.nodamap.com/site/news/424
ただ、正しいか間違ってるかという自分の判断ってあんまり意味がないと思っている。問題はいろんな意見を受けて「自分がどうするか」、大げさに言えば「どう生きるか」が問題であって、他のひとがどんな意見を持っていようがあんまり気にしてもしょうがないのだ。気にするだけ心に毒だ。
こんなときこそのんびりしよう。
手洗いうがいをして、たくさんお金を使いましょう。
https://twitter.com/Gachiflo/status/1241590179946565633?s=20
↑ ちなみにこれはCGでした
GachifloZ
「年相応」の話
僕が就職したのはバブル末期で、当時の先輩社員から「年齢×1万円が年相応の平均的な月収だよ」と教わった。大学新卒なら22万円だから、まあ額面で考えればそんなに無茶苦茶な数字でもないように思えた。
これでいくと50歳の時には月収50万だからボーナス4ヶ月分として年収800万だ。これもまあ無茶苦茶とは言わないけれど、どうも「平均的」ではないような気がする。
僕が今お手伝いしている業界は残念ながら世間様でいうところの最下層業界なので決して「年相応」の年収ではないけれど、障害者がいて年金をもらえたり持ち家で家賃がなかったりするので相対的には「年相応」の暮らしがなんとか出来ている。
問題は精神的なところだ。
昨日も書いたし今日も書いたけれど、この厨二病気質だけはとてもとても「年相応」には程遠い。
早熟な子だったので、小学生の頃には50歳くらいまでの生活設計を思い描いていた。子供の考えることだから、○○大学を出て一流企業に入ってきれいなお嫁さんをもらって女の子ふたり産んで、みたいなかわいいやつだ。
もちろん聴く音楽はジャズやクラシックで、趣味は絵画や海外旅行だ。会社では部長さんとかいう偉い人になって、夜には接待とかいうやつで「老舗の料亭」に行ってフグを食うのだ。それからバーとかいうところでお酒を飲む。休日には書斎で猫を膝に乗せて細かい文字ばかりのぶ厚い革の表紙の本を読む。そんな感じだ。
それが実際どうなっているかといえば、聴くのは筋肉少女帯にももクロで、読んでる本はミステリーか肩の凝らないエッセイ本ばかり。住んでいるマンションはペット禁止で書斎どころか自分の部屋もない。
でも、悲観はしていない。
社用で連れて行かれた料亭なんてぜんぜん味がしなくて「早く帰りてえなあ」とずっと思ってたし、退勤後にひとりでかっこむ吉野家のほうがよっぽど美味しかった。バーで呑んでるより家でプロレスを観てたほうが楽しいし、ベランダの鉢植えで薔薇を育てるのはお金もかからなくてしかもとても優雅だ。
僕が今、後輩社員の誰かに「平均的な月収っていくらくらいならいいんでしょうかねえ」と言われたらやっぱり「年齢×1万円くらいじゃね?」と答えるけれど、それは目標というかあくまでも単なる指標のひとつでしかなくて、人の倍稼いでるからしあわせなわけじゃないし、人の半分しか収入がなくても楽しく生きている人はたくさんいる
。だからむしろ「年齢×1万円」を念頭に置きながらも自分が楽しく充実している生活を送れてたらそれはそれでいいんじゃねーの、と思う。
ほんと妬みにしか聞こえないの承知で書くけど、金持ちでしあわせそうな人を僕は一人も知らない。みんないつも不機嫌で、まわりはおべんちゃらしか言わないコバンザメばかりだし、いつだって人を疑っていた。
「男子たるもの年相応に!」とは常々思うけど、僕は今の環境がいいなあ。
料亭行くならデートで行きたいわ。
どんな環境であっても、その中で楽しく刺激的に生きていきたい。
心からそう思う。
そう願う。
GachifloZ
僕がPayPayを使わない理由
めっちゃ暇なのでPayPayを登録してみた。
使う予定はない。
なぜならレジで「PayPayで!」と言うのが恥ずかしいからである。
CMの影響というか刷り込みというか「PayPayで!」とレジ係に伝える自分の姿が宮川大輔に思えてしかたないからである。縁の太い眼鏡をかけて、顔の横にスマホを持って、つばを飛ばしながら目をギラギラさせて店員に伝えているような気がしてならないのだ。
「お買い物」の99%が出勤前の昼ごはん用にパンをコンビニで買うだけの生活が続いている。服も買わないし、文房具も最近は会社の支給品だ。外食もすっかりご無沙汰だし、本屋も行かなくなった。
ちなみにレジでPasmoを使う時も僕は店員に「Suicaで」と伝える。Pasmoを使うのに「Suicaで」と伝える。なぜなら「Pasmoで」と伝えたらレジのお兄ちゃんに「Pasmoだってw」と笑われそうな気がするからである(←たぶん笑われない)。
イメージとしてSuicaのほうがPasmoよりメジャーな気がする。
逆に言えばPasmoのほうがマイナーな気がする。
「交通系マネーで」でもいいのだろうが、あえてマイナーなほうを選んで伝えるのがどうにも厨ニ病気質に思われやしないかと思ってしまうのだ(←思わない)。
昔からずっとそうだった。
ドコモよりデジタルホン、
野球よりサッカー。
WindowsよりMac。
新日本よりUWF。
AKBよりももクロさん。
昔で言うなら松田聖子より河合奈保子だ。
いろいろ時代錯誤のものも入っているが、こういった気質は今も変わらない。
言い方を変えれば厨二病というよりは「流行りに乗るのが苦手」なのかもしれない。
うまく流行りに乗れないから、あえて傍流を選んでしまうのかもしれない。
傍流にいれば流行りを考えなくていい。これは楽だ。
そしてたまに傍流が本流を凌駕することがある。
そうなった時はそれこそ得意満面だ。
「オレ、第一次UWFの旗揚げシリーズ、大宮スケートセンターに行ってるんだよね」
「94年に三ツ沢で観たエドゥーのフリーキックが」
「ももクロさん?ああ、2009年のTIFは最高だったね。」
「ベビメタや旧BiSはやっぱりライブハウス時代が」
いろいろ自慢だらけだ。
もちろん最後までブレイクしなかったものもたくさんある。
アイドルでいえば鉄道アイドル「ステーション♪」は本当によかったけれど、メジャーシーンに躍り出ることはなかった。
今は全く違うグループになってしまったけど、本当に良いアイドルだった。ねねちやきなりん、ほののん、みんな輝いてた。解散ライブにも行った。今でもよく聴く。みんな元気だろうか。
閑話休題、僕はPayPayを使う日は来るんだろうか。
それならなんで登録したよ?という話なのだが、それは「傍流好き」のB面ともいえる気質であるところの「なんでもとりあえずやってみようの精神」ゆえである。
かつて中島らもさんは「人の行く裏に道あり菊の花 」と詠んだが、まさにそんな感じで、無性に脇道にそれてみたくなるのだ。
「とりあえずやってみよう」の精神はとても大切だと思うし、ずいぶんと素敵な景色を見せてもらった。ダイヤルQ2で国際電話の請求が来たとか店の奥から怖いお兄さんが出てきたとか痛い目にもたくさんあったけど、痛い目見るのも人生の勉強だ。なにが怖くて何がヤバいか、今では肌感覚でわかるような気がする。まあそう言う割には今でも始終ドツボにハマってるけど。
うーん、やっぱりマイナー臭のプンプンするファミペイにしとけばよかったかなー?
GachifloZ