綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

ふんどしが欲しい

 

 

唐突ですが白い布切れがほしいわけではありません。
アークザラッドRというスマホゲームの新キャラ?のことです。
トレードマークが白いふんどしのおっさんキャラなのです。

ガチャでGET出来るのですが、確率0.2%とのこと。まったくもって出る気がしません。
良心的なことに150連まわせば確実に出ることが決まっているのですが、だいたい10000円で40連なので最悪4諭吉となります。

「単なるデジタルデータに4諭吉!」
「かわいい女の子キャラならともかくふんどしおじさんに4諭吉!」
「(性能的に)GETしたところでたぶん使わないのに4諭吉!」
「受験生抱えているのに4諭吉!」

様々な心の声が自制を促すのですが、欲しいものは欲しいんじゃ!

 

 

「欲しい」とか「やりたい」とか「したい」という<意思>と、「GETする」とか「やる」とか「する」という<行動>は必ずしも一致しません。
自制して一致させないこともあるし、物理的環境的にできないこともあります。

少年の頃は女子更衣室や女風呂を除きたいと365日24時間思っていましたが、2019年現在覗けていません。他方「いつかきっと」と四半世紀願い続け、おっさんになってようやく叶えた夢もたくさんあります。


ただ、ここまで書いておいて言うのもなんですが「叶えられたかどうか」って実はあんまり大切なことではないような気がします。女風呂や女子更衣室覗いてたら捕まりますし。
大切なのは欲しいとかやりたいとかしたいとか「願う」ことそのものなんだと思います。

 


あきらめるのも違うと思います。
あきらめるのではなく「いつかきっと」と願い続けることが大切だと思うのです。


したり顔で「女風呂なんてしょせん夢は夢なのさ」みたいに気持ちをごまかしてはいけません。ぴあ秘境温泉マップで生き残ってる混浴風呂を探せばいいじゃないですか。
したり顔で「女風呂なんてどうせお婆ちゃんだらけさ」みたいに気持ちをごまかしてはいけません。自分がおじいちゃんになればおばあちゃんはバッチリ射程範囲かもしれないじゃないですか。

ももクロさんのライブが1回1万円くらいするから諦める?ライブビューイングなら3000円ですよ。しかもライブビューイングは映画扱いだから「ライブは月に1回まで」のマイルールもクリアですよ。最高じゃないですか。


かつてある野球マンガのピッチャーは利き腕の左手を壊して一度は野球界を引退したのですが、やさぐれて呑んでた居酒屋で「左手ダメなら右手があるさ」と思い立ち、右ピッチャーに転向してカムバックしました。

幼な心に「オイオイ強引だな!」と思いましたが、その後にさらに右手も壊してしまい、最終的にバッターとして再復活した時には呆れるを通り越して「すげえ・・・」と感動してしまいました。それくらいの執念がなくてなんの夢が叶うものかと。

 

 


強引だとか無理やりだとかこじつけだとか、そんなのは全部褒め言葉です。自分に対してなら。


初めてiPadが世に出た時、僕は少しだけお金がなくてそれを買えなかったのですが、実寸大にダンボールを切り抜いてディスプレイのスクリーンショットを光沢紙に印刷し、紙製のiPadを作りました。小学生のようですが、おっさんになってからのことです。

僕は日々それを眺め、指でスワイプしていました。もちろんそのたびに「シュッ!シュッ!」と声に出していました。くどいようですが小学生のように思えても壮年になってからのことです。

 

今うちには最新型のiPad-Pro含めiPadが3台ありますが,この紙製のiPadが一番軽くて(そらそうだ)かっこいいです。それにapple製のiPadはスワイプする時に「シュッ!シュッ!」って言わないんですよ!偽物かよっつーんです。


あきらめちゃダメです。
「かたち」なんてどうだっていいじゃないですか。
こう、欲しくて、そしてそれをむぎゅうと出来たなら、かたちなんてどうだっていいじゃないですか。欲しがりさんでいいんです。

 

以上、絶対なんの役にも立たない「ふんどし」をほしいと思う自分への口実筆記でした。

ふんどし、 ほしいなあ~。

f:id:GachifloZ:20191026171421j:plain

GachifloZ

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに離れていても僕は天使と暮らしていると言えるのではないだろうか

www.wws-channel.com

このまえ筋肉少女帯のライブ(2019/10/20 EX THEATER ROPPONGI)に行ってきたんですけど、OP一曲目で機材トラブル?があってギターの音が出てなかったんです。
んで、とりあえず1曲目を演奏し終えたあとに「以上!サウンドチェックでした!」と言って舞台袖に下がっちゃったんですね、全員。そんで15分くらいしてから再度SEからやり直したんですけど、とてもめずらしい光景でした。筋少の音楽に対する姿勢は「オーケン以外全員完璧」がウリですから(←ほめている)。

MCでオーケンおじいちゃんが「はりきりすぎて機材蹴っちゃったんだゴメンゴメン」と言ってましたが真偽の程は定かではありません。エクトプラズマかソ連の陰謀か、はたまた地球の磁場が狂い始めたのか。いずれにせよ再開後のライブは素晴らしいものでした。

 

いろいろあって今現在「ライブは月に1本まで」「映画は3ヶ月に1本まで」「本は押入れの本を再読のみ」等々と貧乏くさくマイルールを決めているのです。

が、制約があるからこそひとつひとつの出来事を心に刻もうという意識が働くのか、それなりに毎日楽しくやっています。いやむしろ前述の筋少ライブのように、ピンポイントピンポイントで誰かが僕に「なにか」を与えてくれているような気すらしています。

 

yesterdaymovie.jp

昨日観に行った映画「Yesterday」もとてもよかった。

ネタバレはしませんが、不遇の時代を支えてくれた人っていうのは永遠の恋人なんですよ。やっぱり。
バットマンのやつでも、なんならプリキュアでもよかったのですが、たまたま選んだ「Yesterday」がとてもよかったのはやはりなんかしらの力が働いているような気がしてなりません。

きっと天使に守られているんです。

 


これまでいろんなことがありましたが、今はとても平穏で穏やかな日々を過ごしています。
日々平穏で穏やかだから、日記の更新も滞っているのかもしれません。
つらいときはいつだってここに吐き出していましたから。読んでくれてたひと、ありがとう。たまたま読んじゃったひと、ごめんなさい。


ライブも映画も心のバロメーターというか自浄装置というか、つらいときは筋少の曲がほんと心に染みて「見くびった奴ら全員燃やしてやる!」とか耐え難いモッシュの中で叫んでいたものです。映画もなにげないシーンで暗闇の中ボロボロ涙をこぼしたりして。

今はないなあ。
ぜんぜんない。

 


心がすとんと落ち着いているからか、ぜんぜん心を揺さぶるような衝動にかられません。
きっとこれはいいことなんだけど、寂しくもあります。
あんまりにも逆境好きで「逆境にいないとダメなタイプ」だからでしょう。
典型的な破滅型なんですね。
いつか訪れる破滅を待っているような感さえあります。


そのうちやってくるであろうとんでもない逆境。
でも平気へっちゃら大丈夫。これまでだってなんとかなってきたじゃない?
なんとかなるし、ならなくても別に受け入れてその中でのほほんと生きていこう。


あーでもやっぱりギターの音が出ないくらいの「逆境」にしてほしいな!
天使のみなさんよろしくおねがいします。

GachifloZ

 

f:id:GachifloZ:20191026153425j:plain

 

カフカ、フェリーニ、マザーグース、それより素敵な彼女

f:id:GachifloZ:20190420151952j:plain


こんちは。

ここのところずっと怠惰な日々を過ごしています。
やってることといったら昨年10月以降来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も来る日もず~~~~~~~っとスマホゲーム「アークザラッドR」をやっているだけ。朝から晩までほんとそれだけ。ゲームの合間にお仕事したりご飯食べたりお風呂入ったり寝たり。ほんとそんな感じです。


おかげさまでお腹はブクブク出てくるわ、筋肉量の減少からなのでしょうか、体力がすっかり落ちてしまってスタミナが一向に回復しません。本当に疲れが取れないし、お仕事もなんでもミスばっかり。


こうやって日々スマホをいじくり倒してそれで何かを得られるというなら、あるいは何かが形となって残るならまだいいと思うのですが、なんてったってスマホゲームですから配信元がサービス提供を停止したら「ハイそれまでよ」。上げに上げたレベルも何時間も何日もかけて練った攻略法もすべて消え去ってし何も残らないわけです。
こんなに虚しいものはありません。



ただ正直なところ、①こんなおじいちゃんが ②生まれて初めてのスマホゲームで ③四半世紀昔にプレイしていたゲームの続編を ④そこそこのプレイヤー人口のいる中で ⑤微課金というのも申し訳ないくらいの課金だけで ⑥全国アクティブプレーヤーのランキングトップ30に入ったりすることが出来ている、というのは正直嬉しいんですけどもね。

 

考えてみればどんなことだっていつかは消えてなくなります。
どんな出世したって会社やめたら何の価値もないし。
スポーツで実績を残したって何年かすれば「ああそうですか、すごかったんですね」って言われるだけでしょう。
がんばったんですね、才能あったんですねって言われたって、それを言われているその時の自分にそれはあんまり価値のあることでもない気がします。
もちろんその過去の勲章が生きがいな人もたくさんいるでしょうけど。


じゃあ何がいったい僕にとって価値あることなのか??

金でも地位でも名声でもないとなればそれはやっぱり「今この時の充足感」であったり「今この時の達成感」ではないのだろうかと思うわけです。

 

f:id:GachifloZ:20190420152018j:plain

好きな人を過去に抱きしめた事自体にあんまり価値はなくって、今好きな人を抱きしめているかどうかが大切な気がします。あるいは抱きしめようとしている今のその気持ちが僕には大切。

昔はこうだった、ああだったとか、割とどうでもいいんです。僕はね。
そんなの考えるのは罪を償う時くらいだけでいいんです。
(罪を犯しておいて「過去は過去w」とか言われたら許せないよな)

 

だからアークRを「あーでもない、こーでもない」と日々やってることに「将来の意味」はなくとも、今現在ではきっと意味があるのです。

サービス提供終了して何も残らないなんて、なおさら真っ白な灰になるまでやる以外ないじゃないですか!


やりたいからやる、きっとそれでいいんです。虚しくなんてないよ、俺よ!
未だ来ぬ未来に怯えて立ち止まってしまうよりナンボかましなんだろう。

 

明日は今年初めての筋少ライブです。
待たせやがったな!楽しむぜ!!


GachifloZ

f:id:GachifloZ:20190420152037j:plain

 

ぎょうざの満洲は3割うまいがiPhoneXSは3割重い(重量的に)

f:id:GachifloZ:20180923160330j:plain

iPhone7、重さ138g。iPhoneXS、重さ177g。実に30%近く重くなった。重すぎィ~。ただでさえ腱鞘炎的に手首が痛いのに悪化してしまうではないか。AppleCareで腱鞘炎も保障してくれるというのか。大画面大画面というけれど、そんなに大画面が良ければiPadを持ち歩けばいいのだ。それも12.9インチモデルを。そして90年代の携帯電話の如くバカでかい画面を耳に当てて「シモシモ~?」と言っていればいいのだ。

法月綸太郎著「二の悲劇」読了。何回目か忘れたけど読了。この本、特別分厚い本でもない長編推理小説なのだけれど、とにかくページ内の文字量が半端ない。文庫本だとこれ以上無理だろうというくらい小さいフォントでビッシリとページは埋め尽くされ、これでもかこれでもかこれでもかこれでもかと文章が続く。そして話は遅々として進まず、正直なところ10行くらいずつすっ飛ばして読んでも大丈夫。いや2,3ページ飛ばしても大丈夫なのでは?と思ってしまう(すっ飛ばさないけど)。


あとがきで筆者がこれを書いている時の作者の精神状態を記しているのだけれど、言われなくともこれを書いている時の作者が病んでいるのはひと目でわかる。そういう本。ストーリーやらなんやらよりも、ああ本当にこの人はこれを書いている時におかしかったんだろうなあ、つらかったんだろうなあと我が事のようにシミジミさせられてしまう。ある意味殺される被害者よりも同情してしまうし、心配になってしまう。編集者の人もちょっと休ませてやれよと思うけど、こうやって書き連ねることがリハビリというか先の日記で書いた写経的なものというか。きっとそういうもんだったんだろうと思う。かく言う僕もそうだしね。こんな日記誰も読みやしないのに(不定期ながら)ずっと続けてる。Mixi初期の頃から書いてるんだから本当に成長しないと言うか悩みが尽きないというかビョーキが治らないというか。本当に我ながらどうしようもない。

 

先の日記で「バカは嫌だ嫌だ」と書いたけれど、バカのおトクなところは読んだ本を忘れてしまうところ。1000冊くらい推理小説がクローゼットに押し込んであるけど、タイトルでストーリーや犯人なんかを思い出せるのはほんの数冊しかない。この「二の悲劇」みたいな一度読んだら相当強い印象を受けるような作品でさえ初読に思える。中には読み進めていく内に思い出す本もあるけれど、ほとんどの本はその内容を覚えていない。だからいつも未読の書籍を読めるのと同義。なんというおトク。この「忘れる」点においてのみ「バカバンザイ」と思う。

 
いやー「二の悲劇」に敬意を払ってビッシリ文字を並べてみたが、読みづらいわ面白くないわ最悪だな。やっぱり本職の作家ってすごい。

 

GachifloZ

彼女は綾波のように

f:id:GachifloZ:20180923140208j:plain

久しぶりに夢のお話を。

好きな人とのんびり過ごしているデートスポット。
ところがそこで放射能汚染事故が発生。
彼女は怯えて動けなくなってしまった。

逃げてという彼女を無視し、僕は彼女をおぶってひたすら走る。
どこまでも逃げて逃げて、僕は彼女をなんとか救おうとした。

彼女を背に必死に逃げこんた安全地帯。
僕は安堵して彼女を背から下ろす。
ところが彼女はすでにこと切れていた。


嘆き悲しむ僕に老人が言った。
「彼女を背にしていたからあなたは被爆しないで済んだんだね」


自らを犠牲にしても救おうとしていたはずの彼女を放射能の盾にして僕は助かった。
身を挺して救おうとしていたはずの僕が、実際は彼女に守られていた。

 

いや、僕は本当は気付いていたのではないか?
彼女を背にしていれば僕へのダメージが少ないはずだと。

彼女を救おうとしていたなんてのは言い訳で、
自分が助かるために都合よく彼女を利用しただけなのではないのか。
そして僕はそれを知っていたのではないか。
意図してそうしたのではなくとも、そうなることに気付いていたのではないのか。


あーオレはやっぱり最低だな。
どうしていつもそうなのかな。

でもじゃあどうすればよかったのかな。
ルパンとクラリスのようにお姫様抱っこして逃げればよかったのか。
そんで安樂の地についた時、彼女に「助かったねえ」と微笑みかけながらぶっ倒れ、
彼女は焼けただれている僕の背を見てヨヨヨと涙する、そんな感じならよかったな。

彼女を連れて逃げるという選択肢は正しいのに、
背負うか抱いて逃げるかという選択肢に気が付けないオレは本当にバカだなあ。


頭のいい人になりたいなあ。
そしたら背に大火傷を負って彼女を救えたのになあ。

バカって嫌だなあ。
頭が悪いって本当に嫌になるなあ。
どうしたら頭のいい人間になれるのかなあ。

頭がよければこんな思いをしなくて済むのにな。
頭がよければしあわせに死ねたのに。
彼女を救えたのになあ。

 

しかし息を引き取った彼女は笑顔であったのだった。
彼女は本当に救われなかったのだろうか。

 


平成30年9月23日午前3時の記憶である。

オチまでこすっからい。

 

GachifloZ

 

iPhoneXSとアークザラッドR

f:id:GachifloZ:20180923125252j:plain

毎日毎日、来る日も来る日もスマホゲーム「アークザラッドR」をやっているんです。
本当、来る日も来る日も。


生まれてはじめて「ガチャ」なるものも回しました。
生まれてはじめてスマホゲームに課金なるものをしてみようかとも思いました(してないけど)。

20年ぶりに「レベル上げ」です。
同じバトルを何度も何度もするんです。
20年前に散々やりこんだキャラクターのレベルを再び上げるために。

・・・何をやってるんだろう?とは思います。

 

だがしかし。

ひたすら般若心経を唱えるように、
ひたすら写経を行うかのように、
ただ何も考えずひたすら戦闘開始のボタンをタップするだけ(オート戦闘にしてるので)の行為にも意味はあると信じたい。

写経も、きっと四国八十八ヶ所詣でだってきっとそうだと思うんですが、書き写す作業自体にはなんの意味もないと思うんです。ひたすら歩いて歩いて八十八箇所巡るコト自体に意味はないと思うんです。
大切なのは何も考えずただひたすら何かに没頭して作業する時間そのものなのだと思うのです。


生きていればみんないろんなことがあって、ままならないことや想定外のことや悲しいことつらいこと、たくさんあります。「時間がなによりの特効薬だよ」とはよく聞くセリフですが「その時間1分1分がつらいんじゃ!」というケースも多いのだと思います。

そのつらい1分1分を「いかに何も考えず過ごすか、やり過ごすか」ということために読経なり写経なりがあるのだと思います。だから、僕の今やっているレベル上げも実は精神の安寧に意味があるのだと・・・

思おうとしていましたが。

 

なんかそれを逆手にただただ現実逃避している状況ってどうなの?という感覚も浮かびます。
眼の前にやらなければならないことがあって、理由はどうあれそれはやらねばならないことで、だけどそれをやりたくなくてひたすら写経してます読経してますレベル上げしてますって言うのもそれはそれでどうなんだろうって思うのです。


つまりレベル上げというのは
つらい現実に耐え、それと戦うために何も考えず行うことであって、
つらい現実から逃げまわるだけのために行うものではないのでは、と。

例えば好きな人にフラれて死にたくなっている時にレベル上げは有用。
例えば夏休みの最終日にやらなければいけない宿題から目をそらすためのレベル上げなら害悪。

線引きは難しいですが、正しいレベル上げをしようと思うわけです。

 

待ちにまったiPhoneXSを発売日に買って、結局やってることがアークザラッドRのレベル上げとはジョブズも浮かばれん」とか思いながらひたすらタップを繰り返すのでした。

僕は立ち向かっているのか?
逃げ回っているのか?

 


全然関係ないけど、
昨日XSを受け取りにドコモへ行った時の会話。

店員「お持ちのiPadmini4がご購入から2年以上経ってますがご一緒にiPad機種変いかがですか」
ワシ「XSと一緒に新型iPadProが出たらそうしようと思ってたんですけど、今回出なかったんで」
店員「あー、今回情報出ませんでしたねえ~」
ワシ「出たら機種変しようと思ってるんですよ」
店員「そうですか~ちなみに今ですとiPadProのお値段こちらなんですがいかがですか」
ワシ「?今、新型出たら機種変するって言ったような気がするんですが」
店員「そうですよねえ~でも今回発表なかったですし~」
ワシ「来月発表って情報もありますよね?」
店員「そうなんですよね~」
ワシ「もういいですか?」
店員「割引もあるんですけどねえ~」
ワシ「・・・」
店員「・・・」

店員さんの視線を外してひたすらレベル上げにいそしむワシであった。
実に有用なレベル上げといえよう。


GachifoZ

僕がエロいブログを書けなくなった理由とエロいブログを書き続けなければならない理由、そして大好きなひとに誤解されたくないいくつかのこと

f:id:GachifloZ:20180819160351j:plain

最近エロいことを日記に書いていません。

昔は逆に「エロい事以外を書かない日記」でおなじみだったのに!

エロい日記を書きすぎてmixiアク禁を喰らったのももはや遠い遠いはるか彼方の宇宙での記憶です。


エロい日記を書かなくなったきっかけは娘に見つかったこと(笑)。
あわてて別のブログサービスに別名で書くようになって。
それでも心配だから極力エロ記事は避けるようになって。

どんどんどんどんエロい記事から遠ざかってしまった。


人間不思議なもので、エロいことを書かなくなった(=文字化しなくなった)ら、自分の中のまさにコアであったエロが消失の危機にあります。

もともとエロは心の核であったけれどもエロはエロだけに実際に口にすることはほとんどなく(捕まってしまいます)、もっぱらブログに書きなぐっていました。その「文字化」をやめてしまってからのエロ消失はまさに人間消失のごとく・・・母さん、僕のあのエロはいったいどこへ行ってしまったんでしょうね。


文字というのはまさに言霊であって、表出すればそれは自分を包む血となり肉となり身を護るバリアたる存在になるけれど、言霊を封印することはやはりそれらを消し去ることと同義なのだと思います。


だからこうなりたい、ああなりたいという希望があるならば
ああはなりたくないという願いがあるならば
出来るだけ言葉にしてそれを身にまとうが吉だと思います。

 

僕はねえ、いつまで経ってもエロ人間でいたいのです。
「お前ほんとう頭の中それしかないのかよ!?」と指をさされるような人間でありたいのです。

それが間違いなく心のバランスを取ってくれるから。


前回の日記でも書きましたが、良いことをしようとした時には同じくらいのボリュームのダメなことが自分の中にないとダメなんです。倒れちゃう。きちんと仕事をするためには、その免罪符としてふまじめに生きないとお仕事できないんです。


まじめに生きるためには同じ重さのふまじめさが身体にないとバランスが取れないのです。でも、いくらふまじめと言っても人を殺めたり、物を盗んだりはできない。ジャンキーになるのも嫌だし、ギャンブル中毒もダメ。いちばん人さまにご迷惑をお掛けすることなく自分をふまじめに貶められるのはやっぱりエロなんです。

もちろん痴漢とか強制性交とかは論外ですよ。それは犯罪というカテゴリー以外のなにものでもなく、エロというのはそういうもんじゃない。エロというのはやっぱり「透視能力で下着を覗く」とか「瞬間移動で壇蜜さんの更衣室潜入」とか「時間を止めて浜辺美波ちゃんにあんなことやこんなことを」とか、いわゆるそういうことなんです。

だから大好きな女のひととのリアルなエッチもエロとは違うんです。あれは愛し合う行為ですから。


と、そんなこんなで僕にとって大切なエロ。
それが失われたらきっと僕は怖くて何も出来ない。
だから一生懸命これからも娘にバレないようにこーっそりとエロをここに書き連ねていこうと思うのです。

エロ・フォーエバー!

エロリアーン!!

 

GachifloZ