別れ
長く生きているとわかってくることがあります。
(逆にわからなくなってくることもあるけど)
(逆にわからなくなってくることもあるけど)
「いつかきっと」という日は来ないと思っています。これは結構確信に近いです。
そんな僕にも「いつかきっと」と思っていることがありますが、それはなかば「あきらめ」に似ています。「あったらいいけど無理だろうなあ」あるいは「でもたぶん叶わないだろうなあ」という意味を含む言葉なのです。
先週「いつかきっと」もう一度会いたいと40年願っていた人に会ってきました。
どこにいるかわからない人だと困りますが、まあこのネット社会、調べに調べればだいたいのことはわかります。どうしてもわからなければプロに頼む手もあるし。
僕の場合はどこにいるかはずっとわかっていたので単に腰をあげて会いに行くか行かないかただそれだけでした。そして僕は40年間会いに行かなかったのです。
会いに行かなかったことには理由があります。
そして会いに行かなかった理由があるように、40年ぶりに会いに行ったことにもやっぱり理由があります。
それはやっぱり悲しい訃報が相次いだからです。
「会いに行けるうちに会いに行こう」
そう思いました。
40年ぶりにあったあの人はあの時と変わらぬあの人のままで、僕はなんかこう、正直特に驚きもせずさほど感動もせず・・・笑
だって「会っていなかっただけでずっとずっと一緒だった」から。
そりゃあ40年経っているんでシワも増えたしタルミもソレナリなんですけど、だいたいこっちは視力がはんぱなく落ちて眼の前の人の表情もよくわからない。ましてや彼女が40年ぶん歳を取っただけ僕も取ってるんで何もかわらないあの時のままです。
誰しも同じだけ歳を重ねるというのはありがたいです。
40年前の僕が今の彼女を見たらびっくりするかもしれないけど、同じだけ歳を重ねた今の僕が見るぶんには何も驚かないもん。
そう考えると不老不死なんてやっぱりいらないね。
大切な人たちが死んでいくのはとても悲しくてつらいけど、大切なひとがひとり取り残されていくことを考えれば、先に逝ってもらえるほうがいいな。できれば安らかに。できればできるだけ思い残すことがないように。
残される悲しみは大好きな人に味わってほしくないからね。
毎日つらいことばかりだけど
あの世にいけばラジオでは谷村新司のセイヤングが流れてて
松本零士の新作が出てて
猪木や馬場がアンドレやブロディと戦ってて
いやもう、楽しみで仕方ないよ!
40年ぶりだろうが、あの世での再会だろうが
「やあ、ひさしぶりだね」
もうそれ以外なにも言葉はいらないよね。
きっと、きっとね。
きっと、きっとね。
GachifloZ