綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

Tomorrow never knows



こんちは。

早起きしたら眼鏡が見当たらなくて部屋の中をうろうろしてたらいきなりブラジルに点を入れられてしまいました。(´・ω・`)ショボーン

まったく負けるとそれまでヨイショしていた奴らが手のひら返すようにバッシングをしていて本当に腹がたちます。

「挫折は諦めるまで挫折ではない、ただの途中経過だ」と言います。そして諦めるかどうか諦めたかどうかは自分以外の誰も決められないわけですから、挫折かどうかは結局は自分自身が決めるわけです。
だから他人から「あいつは挫折した」とか「負けた」とか言われてもそんなの言ってるそいつがバカなのです。気にするこたあありませんね。


思い出には常に思い描いていたいような成功の思い出も、思い出すたびむなクソ悪くなるような挫折の思い出もあります。昔聴いていた曲を聴くとその頃の情景が浮かんできますが、僕は悪い思い出に関してはなんとなくその消し方がわかるようになってきました。

それは上書き保存です。
決して名前をつけて保存してはいけません。

例えば辛く苦しかった頃にミスチルを聴いていて、ミスチルを聴くたびに心がシクシクと痛むなら、ラーメン二郎を食べる時にミスチルを聞くのです。それも繰り返し繰り返し聴くのです。大宮二郎でイノセントワールドを。関内二郎ではシーソーゲームを。目黒二郎ではEverybody goesを聴くのです。

しばらくするとミスチルを聴いても思い出すのは二郎のことばかり。「ううむ、【es】を聴くと壬生二郎の破壊力がハンパなかったことしか思い出さねえぜ!」とかそんなふうになり、つらく苦しかったころのことはいつしか思い出さなくなります。


ここでポイントなのは苦しい思い出自体が消えるわけではないという事です。それはそれでちゃあんとあって、でもその扉を開けた時にこれまで感じていたあの胸の奥からこみあげてくるような憎悪だったり敗北感だったりドロドロと鬱積した感情の代わりに、そのヘドラの向こう側に隠れていた思い出たちが蘇ってくるのです。

悲しくつらい思い出の向こう側には「挫折だ」と自分が決めてしまったその瞬間までの楽しかった思い出がひょっこり隠れていたりするんですね。

受験に失敗した、仕事で失敗した、失恋した。誰にだって思い出したくもない過去はたくさんあるものですが、その向こう側にはずっと思い出さなかった、それまで目標に向かって必死に努力してる自分の姿や、それを支えてくれた人、誰かに励まされた言葉、自信になったプチ成功とか、いろんなものがあったはずなんです。それがこう、ぶわあ〜って蘇ってくるんですね。


若い頃って1日が長いですよね。1週間なんて完全に未来だし、1年後なんて想像もつかない。ましてや10年後なんてSFワールドなわけです。
でもおじいちゃんになると1日なんてまばたきしてる間に過ぎちゃうし、四半世紀だって昨日のようなんです。いやマジで。

これはきっと10年前だろうと20年前の記憶だろうと常に上書き保存してきたからで、上書き保存は「名前をつけて保存」と違って時間の概念が無いんです。あるのは最初にファイルを作った時間と最後に保存した時間だけ。

だから今、ジャストオンタイムで苦しくてつらい日々を送っている人には実になんの役にも立たないヨタ話なんですが、いつか向こう側が見える日がきっと来ますから、それまで薄ぼんやりと穏やかに生きて下さい。
中島みゆきはいつか笑い話になるなんて言ってましたが、僕はそうは思いません。ブチ殺したい奴は未だにブチ殺したい。でもその向こう側にある通り過ぎた風景は、いつかきっと懐かしく思い出せる日がくるような気がしています。

わざわざバカチンがバカチンである瞬間をご丁寧に脳内保管しとくこたあないんですよ。どうせならそいつがバカチンじゃなくせめてガラモン、できればピグモンだたりだった頃の記憶だけ残しておこうじゃありませんか。

GachifloZ