綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

若き人形使ひのテーゼ

読みたい本があったら読んでしまうので読みたいけれど読めない本を。

「◯◯◯◯」
いきなりだが題名がわからない笑。
作者名もわからないから読めない笑。

ドイツの人形劇の専門書。たぶん1970年代の本。もっと古いかもしれない。
「マリオネット・ファウスト」ではない。「世界の人形劇 」(1968年)南江 治郎 (著)の記憶違いかもしれない。とにかくわからない。


わかっているのは「人形劇はこどもに必要なものだ」という一文のみ。
なぜこどもたちに人形劇が必要なのか、人形劇に没頭していたあの若き日々が自分自身の人間形成にどう影響を与えたのか、あらためて読み直してみたい。

 


ちなみに参考文献というかなんというか、ご紹介。

 

「人形劇を見る場合、人形は具体的に目の前にあるが、人形が悲しがったり、喜んだりするわけではない。見る側が、人形の目に涙を思い、笑いを思う。具体物を見ながらイメージをいだくことが必要なのだ。そんな経験が、やがて、文学という抽象的な世界を理解する下地にもなる。幼児期に、いろんな楽しさを知ることが、おとなになってから、心の引き出しをいっぱい作ってくれる。幼児期のゆたかな経験は、いわば心の食べ物だ」(読売新聞社婦人部編 1975『幼児は考える』協同出版 )

 


「コン吉がキツネの姿のまま待っていると、観ている子供たちが「早く人間に化けろ」とコン吉に一斉に言うのです。「僕だったらこうするのに・・・。」の典型です。子供たちは登場人物の心理の変化をつぶさに読みとりながら、「こうなるといいな」と思いながら観ているのです。ドキドキ感とはこうしたものです。そのドキドキ感が人形のキャラクターを通すときなぜか倍増します。人形の口元が動いてなくても、その瞳がものを言っているような錯覚に陥るのです。人形には自分の期待や自分の願いを叶えてくれる魔力があったのかもしれません。しかし同時にその期待が裏切られたとき人形だから仕方がないという変な割り切りができるものでもあるのです。人形は物であるけども物ではない、生物ではないけれど生き物であるのです」(人形劇を観る子ども、観ない子ども 「人形劇団とんと」さんのブログより)

 


「人形劇を含めた演劇は、「総合芸術」と呼ばれ、美術、造形、音楽表現、身体表現、言語表現といった多分野にわたる表現方法を用いて一つの舞台を作り上げるのが特徴である。そのため、それを学ぶ学生にとっては難しいと感じられる面も多くあることが予想されるが、自ら企画し、制作した人形劇を上演することは自身の総合的な表現力の向上につながるという教育効果が期待される」(関東短期大学紀要  第60集 2018 - 42 - 児童文化財としての「人形劇」教材研究指導より)

 

 

・・・あー、また人形劇について掘り下げてみたくなってきた笑

GachifloZ

今週のお題「読みたい本」