綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

ロッカーマンと宇宙の膨張

「宇宙は膨張し続けている。だから僕たちはどこまでも行けて・・・そしてどこへも行けないんだ」


どうやら今年は結局一回もももクロさんのLIVEに行けそうにありません。
「イベント」はそれなりにやってたけどそれにはあんまり興味が無いし、「本番」とも言えるLIVEは春は福岡、夏は静岡、冬はクリスマスに軽井沢だし。毎月1回定例のライブハウス地方巡業はチケットなんて取れないし。トホホ。

職場が変わったばかりで地方遠征を控えたのもあるのだけれど、それにしたって(それなりに昔からの)ファンが年に一度も観られないってそれどうなのよッ!?ムキー!

早くチケット取れるようにならないかな。もうすぐそうなりそうなんだけどな。やっぱり筋少ちゃんみたいに「当日券も若干あって、たまーにSOLDOUTになる。」ってくらいがいちばんいいよ。

まあでも舞台「幕が上がる」を観られたからいいか。


・・・と言いつつワタシは実にファン失格なのです。
何枚CDを買うとか何個グッズを買うとか毎回LIVEに行くとか、そういう事自体には全く興味がありません。そりゃ全然行けないのは哀しいけど毎回必ず行かなきゃとも思わない。新譜が発売されたら即買いするけれど別に何枚も買おうとは思わない。握手券もいらないしサインも別に欲しくない。実に金にならないファンですな。あーだからチケット当たらないのかなー。

まあ実際どっちかといえば何枚買うかよりも何回聴き込んだかのほうが価値があるように思うし、もちろん「売れなきゃ話にならない」という大人の事情もよくわかりますからお金のある人はたくさん買ってくれたらいいなーと思います。富裕層の方々オレのかわりにガチで100万枚くらい買っておくれ。サインくらいもらえるかもよ。


この1年、ももクロさんLIVEに行けないかわりにいろんなところへ行きました。美術館やら薔薇園やら隠れ家フレンチやら下町の定食屋さんやら書き上げたらきりがありません。そしてどこもかしこも楽しかった。来年もたくさん楽しいことしたいものです。
でもやっぱりももクロさんLIVEも行きたいな。こっそり地元民優先で新宿LOFT高田馬場AREAあたりでやってくんねーかな。



閑話休題、舞台「幕が上がる」は高校演劇部を題材にした青春物語なのですが今さらながらによく出来た作品だったと思っています。もちろんももクロさん自体に思い入れがあるからっていうのもあるんですが、とっても素敵な青春映画でした。まあ実際に高校生だった頃は同じ青春映画と言ってもATGばっかり観てきた身としては「君に届け」みたいのはどんなホラー映画よりも恐ろしくて観られませんし、「アオハライド」やら「ヒロイン失格」をリア充の中2女子であるガールズ1号にいくら勧められようが全く食指が反応しないのですが、そんな中「幕が上がる」はとても良かった。

だから今度REAL「幕が上がる」を観るべく「東京都高等学校演劇コンクール中央発表会(都大会)」へ行くのです。保護者や学校関係者演者のみなさんは「幕が上がる」を観たかしら。どう感じたのかしら。REAL高校生たちの演技の中にユッコやガルルを見つけることは出来るかしら。とても楽しみです。



「僕たちいつもは一緒だ。でも僕たちは離ればなれだ。星は気が遠くなるほど離れているけれど、地球から見ればみんな隣り合わせだ。僕たちも離れ離れだけれど、宇宙の向こうから見ればすべて小さな点の一つにすぎない。離れてるけれど離れていない。ひとりだけれどひとりじゃない。」

それじゃあ、またね。

GachifloZ



(追伸)
・・・とここまでが1403文字。
ところがこんな駄文を書くのに4000文字は書いているんです。400字詰原稿用紙何枚分だよ!10枚分だよ!・・・ん、なんだ大したことないな。どうせエロネタしか書いてないしまあいっか。

エロネタって書いてると本当に筆が進むし楽しいんだけど、その反面どんな真剣に想いを伝えようとしてもエロネタを書く建前というか前フリのように思われるのではと考えちゃってモニョるんだよね。どっちも本当のオレなんだけどさ。どっちも本当のオレなのよ。・・・いやそりゃエロのほうが比重が高いけども。あーあオレもロッカーマンになって人知れず女子更衣室を覗いていだい。

ぼろぼろになっても。

バッグがね、欲しいんです。肩掛けの。
今使ってるやつはたぶん3年位前に買ったやつでもうぼろぼろなんです。あちこちほつれてる。

で、あちこち機会あるたびに探しているのですが見つからない。前にも書いたような気がするけど、あるショップでとても気に入ったのがあって値札見たらン十万円だったとか、好きな色だけ欠品だとか。もちろんネットショップとかでも見るんだけどなかなか踏ん切りがつかないんです。どうしても鞄だとか靴だとかはもう擦り切れて擦り切れて穴があくまで使わないと新しいものを買えないんです。

さっきもネットで「あ、かわいい」と思ったバッグがあったのですが、1万円を越すと「おいおい、お前自分の経済状況わかってんの?」という悪魔の囁きが聞こえてきちゃう。「おまえなんざコンビニ袋で十分やろ!それもニコマートの!」とか言うんですよそいつが。そして僕は「ううむ、それもそうやな」と思っちゃうんです。

まあたとえ1万円だとしてもそれを3年もたせるなら1年で3千円強、月に300円しないわけですから別にいいやんとも思うのですが、月に300円払うなら吉野家で牛丼毎月食べるほうがいいんじゃ・・・とか考えだしちゃってもう堂々巡り。
だいたいこの「牛丼☓杯ぶん」とか「二郎☓杯ぶん」そういう比較検討がよろしくないのかも。でもなあ実際そう考えちゃうんだから仕方がないよなあ。貧乏性ってやつかしら。

ただ不思議なのはデート費用となるとこれが全く違うんです。彼女へのプレゼントとか。
金銭感覚が逆方向に狂っちゃうんですな。1回のデートで1万円飛ぼうが2万円飛ぼうがあんまり気にならない。あんまりというより全然気にならない。
これは要するに自分のためには牛丼一杯300円たりとも分不相応な気がして使えないけれど、好きな人のために使うなら、好きな人が喜んでくれるなら、これはもう何万円だろうが全然無問題と感じてしまう。自分をとことん卑下する反動で好きな人のことは神格化してしまうんですね。
オレのバッグなんざコンビニ袋でじゅうぶんだけど、彼女のバッグならば3万円でも5万円でも惜しくない。惜しくないというよりは安価なものを選ぼうものなら「オマエ、彼女をその程度に見とるんやな…何様のつもりや?」とさっきの悪魔ちゃんが囁いてくるんです。

まあ貧乏人の僕とお付き合いするような女の人はまず間違いなくブランド志向じゃないし、むしろ「そんなん2980円の通販バッグでじゅうぶんや!」とか言ってくれちゃう人なんですが、だからと言って格安通販のバッグなんて贈った日には自己嫌悪にさいなまれ休職3か月ですよ。

あーあ、いったいいつになったら鞄が買えるのかしら。複雑な乙女心…いやめんどくさい初老心ですな。

GachifloZ

夕焼けの光の中に立つ影は

オヤシラズを抜きました。それも一気に2本。
ちなみに来週もう1本。
実は去年も1本抜いているのですが、年々歯科技術も向上しているようでほとんど無痛に近い処置でした。
歯医者といえば昔から「痛い」「怖い」「歯科衛生士のお姉ちゃんのおっぱいもみたい」の三拍子が定番でしたが、これからはこういったイメージも払拭されていくのかもしれません。

ちなみに僕は歯医者が嫌いではありません。むしろ歯医者に行くのが楽しみなんです。しかし、こう痛くないとあんまり行く気が起きません。去年歯科通院を途中でやめてしまったのも処置が痛くなくなってしまったからです。別にプラークコントロールとかどうでもいいんです。あの改造手術を受けるかのようなシチュエーションが好きなんです。ギュルギュルと迫り来るドリル音、ズゴゴゴーッと血液まで吸い上げるかのように唾液を取るバキューム音、あれが好きなんです。輝く白い歯とかどうでもいいんです。林檎をかじって出血すれば「ああ俺の身体がきちんと腐ってきている」と実感できるからそれは別にいいんです。


僕は高所恐怖症のくせに絶叫マシンが好きなのですが、それも歯医者と同じ心理です。ガクガクブルブル震えながら「殺すなら殺してみろおおおお!俺を罰してみろおおおお!!」と心で叫ぶのがとても気持ちいいからです。
怖くないんじゃないんです。すっごい怖い。背筋が凍りついて激しい動悸で頭はクラクラ、股間はおそらく5歳時なみのサイズまで縮こまっています。そんな恐怖の中に自分を置くのが好きなんですね。なんか安穏と暮らしていることが許せないというか不安でたまらないというか、自分の中でバランスが取れないんです。苦しんでいて当然というか、苦しんでいるからその分だけ自分を許してやれるというか。

そんなに恐ろしい体験をしたいなら北朝鮮でもアフガンでもどこでも行けばいいという話なんですが、安全が約束されていなければダメというこのどこまでも姑息で意気地なしで卑怯な性格。我ながらホント似非だなー、フェイクだなーと笑ってしまいます。なんていうんだろう、今日は1時間歩いたからスイパラでがっつり食べても平気だよねみたいな?


うまくやりたいなあといつも思うのですがいつも失敗します。
たいていは同じようなことが原因で、ようするにいつも同じあやまちの繰り返し。
いい加減学習しろよ!とは思うのですが、なかなかにうまくいきません。
なんでだろ。ああもういやん。おっぱいもみたい。

GachifloZ

陽が沈んだらあとは知らない。

敬老の日です。

日頃よりナウでヤングなおじいちゃんを公言しているので「今日くらいは敬われる機会があるだろう」と思っていたのに誰も敬ってくれません。どういうことでしょう。

まあ娘はまだ小学生ですしいわゆる「祖父」の称号を得るにはまだまだ時間が掛かりそうですが、それにしたって40超えたらもうみんな平等に「おじいちゃん」でいいんじゃないでしょうか。

おじいちゃんともなればとっとと表舞台から引っ込んで、若者がどんどん前に出ないといけません。影に隠れているのに敬われる・・・なんという特権階級でしょう。表に出ないでいいなんて、最高です。これまでさんざん最前線に立たされ続け、煮え湯を飲まされ早や四半世紀。ようやく解放されるのかと思うとなんとも感慨深い限りです。

おまけにシルバーパスはじめいろんなものが格安になったり各種入場料が無料になったりおっぱいもんでも怒られないとかといいことづくめという街の噂。やったぜおじいちゃん!高齢者バンザイ!オーレー!ビバ高齢者!!

しかし。だがしかーし!

現実は厳しい。敬老の日だというのに今日もお仕事。そして朝からどたばたどたばた。厄介事は誰かに振ってしまいたい。でも誰もいない。結局また俺がやっている。人生とはいったいなんだろう。カミさんはラルクのライブで大阪に行っちゃったしガールズ1号はリア充満喫中だし2号はカミさんちの実家へお泊まりだし、そして俺は…ああ無情、魂の六本木心中。

おじいちゃんだから仕事でミスしても仕方ないよね!
おじいちゃんだから渋滞ドライブの運転手をしなくても仕方ないよね!
おじいちゃんだから美人のお姉さんをいやらしい目で見ても仕方ない!
頑張ってね若い人\(^o^)/

これが虐待の連鎖というやつだろうか・・・。


・・・ところでおじいちゃんの私にはなんとも幸いな事に両親がまだ健在です。
しかし大型シルバーウィークだというのになんにもしていません。贈り物もしていなければ顔を出す予定も組めておらず、全くもって申し訳ない。親不孝ここに極まれりというやつです。これまで散々っぱら迷惑と心配を掛け、とてもここには書けないような好き放題をやってきたというのにこの仕打ち。もとより地獄行きとは思っていますがまた罪を重ねてしまったようです。

僕が地獄へ行って永遠の苦しみを味わうのは全くもって仕方ないことですが、善人の老夫婦を悲しませるのはやはり忍びないと思い花屋さんのホームページを見たら「敬老の日には遅れちゃったけどごめんねフラワーギフト」というのがちゃんとあって笑っちゃいました。そのまんまやないか。
思わずポチリ。おじいちゃんはみんな臆病者なのです。

GachifloZ

寺村輝夫 『吉四六さん』 あかね書房

人生を変えた一冊・・・。感銘を受けた本や好きな本はいくらでもあるけれど、「人生を変えた」という本といえば齢ひとケタの頃に読んだ「吉四六(きっちょむ)さん」。

吉四六さん」は要するに「一休さん」をライトかつダークにしたとんち話集なのだけれど、小2の頃の僕のフェイバリット・ブックであった。
代表的な作品をいくつかあげていこう。


たわわに実った柿の木を見張るよう親に言われた吉四六さんだったが、とうとう我慢出来ずに柿の実を全部食べてしまう。それを親に咎められると「柿の木は見張っていたが柿の実を見張れとは言われていない。だから僕は悪くないです」と言い放つ・・・。


瓶(かめ)を30文で買った吉四六さんがその瓶を問屋へ返品し、代わりに60文の瓶を持ち帰ろうとする。代金を求める問屋に対し吉四六さんは「さっき30文を払ったうえに今こうして30文の瓶を返品したのだからあわせて60文を渡したことになる。文句あるまい?」と吐き捨てる・・・


・・・チンピラである。極悪である。絶対に将来は刑務所行きである。これらはトンチといったレベルではなく、単なる屁理屈でありごまかしであり詐欺である。とんでもない破廉恥野郎である。

橋を封鎖されて困っている人達を見て「僕は端ではなく橋の真ん中を歩いたのです」と言って自ら渡ってみたり、わがままな将軍相手に「屏風の虎を出してください」と言い放ってやり込めるといった痛快爽快なとんち話ではない。「人の揚げ足を取って利を得る」ことだけが目的の犯罪話だ。吉四六さんは基本的にこんな話ばかりなのだ。しかも子供向けだ、実に迷惑な本だ。


まだ幼く純粋であったであろう私の心に「世の中は嘘、まやかし、ごまかしに満ちている」の意識を植えつけたのは間違いなく吉四六さんだ。とんでもない奴だ。吉四六さんに出会わなければきっと素直な美少年に育ち、品行方正秀麗眉目スポーツ万能快活明朗なモテモテ少年になったいたはずだ。絶対そうに違いない。そうすれば今頃100億万円くらいの資産を持ち、地上136階建ての自社ビル最上階に居を構え、バスローブにブランデーグラスで下界を眺めウットリし、ハーレム部屋を築いて毎夜毎夜ウッハウハと過ごしているはずだ。く、くそう。みんな吉四六さんが悪いんや!


もともとの反体制気質というか天邪鬼な気質はおそらく生来のものだが、その気質が「一休さん」ではなく「吉四六さん」を読ませてしまったのだろう。そして僕の嗜好はそこからどんどんディープな方向へ進んでしまい、中二病も手伝って乱歩の「芋虫」「鏡地獄」など一連の作品を意味もわからず読み倒し、更に因縁宿縁が渦巻く横溝正史作品にハマっていった辺りでは最早矯正不可能となっていた。


これまでたくさんの本を読んだ。そして中学高校以降現在に至るまで僕の人格形成に「影響を与えた」本はたくさんあったけれど、「人生を変えた」というよりはどれも「人生を補填し強化し確立させた」と言ったほうが正確だ。なにかしらの方向転換がなされるような本には未だ出会えていない気がする。


吉四六さんにより植え付けられたこの伽藍の鎖を外す強烈な毒を持った本に、僕はいつか出会えるだろうか。

GachifloZ



あ、ちなみに「泣いた赤鬼」もすごく好き。
ともだちが欲しいのに作れない赤鬼の悲しさ情けなさ悔しさ、青鬼の自己犠牲というか自己憐憫自己陶酔とか、村人の臆病さとか騙されやすさとか幼少時の人格形成に多大なる影響を受けたような気がします。

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

理不尽をぶっとばした午後

腹減った。カレーが食べたい。

なんでこんなに立て続けに日記を書いているかというと、まごうことなく現実逃避である。決して暇なわけではないので、要するに現実逃避なんである。「早く退勤時刻になれー退勤時刻になれー」と呪文のように唱えていると仕事をサボっているのがバレてしまうので、いちおうPCに向かってカタカタ呪文を書き連ねているのだ。サイテーの大人だ。

振り返れば誰よりもバリバリ働いてきたような気がするのにこの体たらくはなんなんだろう。もはや生きることに飽いてしまったのかもしれない。なにかこう随分長く生きてきたような気がするし、実際周りは年下ばかりだ。すっかりヨーダあるいは永六輔だ。

永六輔なのに考えていることといえば美人のお姉さんのことばかり・・・いや正直に言おう、エログロばかりだ。どういうことなんだ一体。
アラフィフともなれば銀座かどっかでジャズを聴きながら前衛芸術でも語っているんじゃなかったのか。いったいどこでどう間違えて吉野家筋少聴きながら新作ゾンビ映画のレビューを見ているんだ。どういうことなんだ一体。

理不尽だ。すべからく自業自得とはいえ理不尽に思える。数千万数億円の貯金がないのもおかしいし、未だにポルシェやフェラーリを乗り回していないのは絶対におかしい。お城のような屋敷に住んでいないのも、何百インチのホームシアターを持っていないのもおかしい。

でもまあ「モノ」以外は充実してる気がするからこれもまた不思議だ。
なんだかんだ理不尽に思えても、土曜日の昼下がりに郊外の喫茶店でフルーツサンドでも食べたら「ま、いっか」と素直に思える。卑屈じゃなくそう思うのだ。

そりゃあ千疋屋や新宿タカノのほうが世間一般的には美味しいのかもしれないけど、オレが美味しいなあと思うんだからそれでいいのだ。郊外の喫茶店でおばちゃんが作るフルーツサンドのほうが千疋屋より美味いなんてそれこそ「理不尽」だけど、なんかそこらへんでバランスが取れているような気がする。結局理不尽は理不尽でしかぶっ飛ばせないんだろう。


何しろ先立つモノが無いので先行きが見えない。全く見えない。たぶん誰より真っ暗だ。ひとりブラック企業でしかも零細だ。少なくともこれを読んでるあなたより真っ暗だし、嫌なことがあればオレはきっとまた逃げ出すに決まってる。でもそれしかできないしこれからもそんなふうにしかやりようがない。いまさら人生革命しても仕方ない。むしろ今のままでいるための革命を起こしたろうとすら思う。「世間規格」なんて大嫌いだ。

あーまだ退勤時間にならない!理不尽だ!


(つづくかどかわからない)

ケダモノにご用心

今朝会社に来る途中、気がつくと久々に通りすがりのお姉さんをいかに押し倒すかという脳内シミュレーションを組み立てていた。もちろんアテはないし実行もしないので逮捕だけはマジ勘弁だ。

そしてその時思ったのが「ああ、オレは常にこうやって来るべき未来(来ねーよ)に対する対処法を模索していたのだな・・・」ということだ。まだ来ぬ未来に対してどう対処するか?という脳内シミュレーションというのは実に大切なことで、生活にも仕事にも大いに役立つスキルだ。毎朝ただうなだれながら駅までの道のりを通勤しているわけではないのだ。


この実に有意義な脳トレを本当にずっとやってこなかった気がする。
それどころか「なんとかなるさ」「なるようになれ」という思考停止ばかり繰り返してきたような気がする。これじゃあダメだ。やっぱりやりたいことは実現させよう。どうやったら実現するか一生懸命考えよう。他力本願じゃなくて自力でどこまでやれるか考え抜こう。考えて考えて、そしたら道は開けるかもしれないじゃないか!


例えばこうだ。

向こうからお姉さんが歩いてくる。
僕はやや左に身体をずらし、僕の右側をお姉さんが通り過ぎるまさにその瞬間に身を屈め、胴タックルだ。そしてそのまま右肩にお姉さんを大きく担ぎ上げ、一気にホテルのベッドまで駆け込み・・・。

あるいはこうだ。

向こうからお姉さんが歩いてくる。
僕はすれ違う寸前までお姉さんが真正面に来るように歩を勧め、すれ違おうとお姉さんが身をひねったその一瞬の動きを読み、その力を利用してお姉さんをくるっと上下にさかさまひっくり返し、あたかもツームストンパイルドライバーの体勢となったお姉さんがめくれ下がるスカートを気にして両手で抑えている隙にそのままベッドに・・・

うーむいくら脳トレとはいえ常軌を逸しているな。つーか犯罪だし。
やはりここはクロロホルムか。クロロフィルじゃダメかな。葉緑素じゃやっぱダメか。つーかどっちにしたって犯罪か。


ここで声を大にして言いたいのは世界中のお姉さんは事ほど左様にケダモノたる男連中から身体を狙われているということだ。決して油断してはいけない。なにげなしに野郎の脇を通り過ぎようとするその瞬間、あなたは狙われているのだ。僕は心配でならない。地震も台風も怖いし警戒しなければならないけれど、本当は街を歩く男共がいちばん危険なように思う。


特に「私なんか誰も襲わないよ〜」と思うようなお姉さんが危ない!
男というケダモノは10代でも40代でもAカップでもFカップでも北川景子似だろうが山田花子似だろうが関係ないのだ。少なくともこんな日記を読んでいる時点であなたは相当に危ない。
十分に気をつけていただきたいと思い、あえて本心ではない脳内シミュレーションを公開する次第である。



ちなみにオーケン・・・じゃなかった、某ロッカーが「痺れ団子でお姉さんを昏倒させる」という計画をエッセイに書いていたことがあるが、僕は池袋の「鬼金棒」でカラシビ味噌らー麺・シビ鬼増しを食べた時に「この痺れは例の団子に使えるッ!」と確信した。あわせて気をつけていただきたい。

(つづく)