1979年の劇場アニメと2022年の俺
忙しい。
まったくもって忙しすぎる。
仕事がまったく忙しくないのが救いだが、とにかく毎日忙しすぎる。
こんなに忙しくては心がやられてしまう。
忙しいうえに金がない。
それなりに稼いでいるはずなのに全部消える。
好きなことに全振りで、好きなこと以外については基本支出ゼロである(それはみんなそうか)。
全部消えて通帳にはリアルに全然残ってないのに「たくさん稼いだのだからたくさん課税します」となる仕組みはどうにかならないのか。
おまけに痩せない。
ほんの10年前は運動したらした分だけ痩せ、腹筋も割れた。
今じゃ10年前の10倍やらないと痩せないし、腹筋も割れない。
3日坊主が必死にがんばって90日坊主ぐらいまでやっても痩せないから「もうええわ!」となって結局痩せない身体を受け入れている。
恥ずかしく、我ながら情けない。
さらに世の中と自分の感覚がどんどんズレていく。
「男らしくあれ」も「この国を愛し、この国の未来を守る」も、基本中の基本原則だったのに今や全否定だ。
多様性多様性とほざくくせに男らしく生きることは多様性に含まれないらしい。
都合のいい話だ。くだらない。大嫌いだ多様性、あとSDナントカ。
とまあこんな愚痴を書きなぐっていることが一番自分の思う「男らしさ」から遠いところにあるのでもうやめよう。
昨日Bsで劇場版「銀河鉄道999(1979)」がやっていた。
僕はこの作品もしくは「カリオストロの城(1979)」がアニメ映画の最高峰だと思っているのだけれど、
このほかに候補としているのが
さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち(1978)
劇場版うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー(1984)
劇場版エースをねらえ!(1979)
劇場版あしたのジョー2(1981)
劇場版コブラ(1982)
といったところで、これらはいずれも1980年前後数年に公開された作品で、ここまで偏ると豊作だったというより単に自分がその頃とても多感で今も強烈に心に残っているだけなのかもしれないなと思ったりもしている。
ただ、999にしてもエースにしてもジョーにしても他の作品もすべて「男とは」「女とは」という強烈な「観念の軸」があって成立している。
それをいまさら「男らしくなくてもええんやで」と言われたところで「知らんがな!」と思う老害なわけであります。
なので
実世界ではひたすら黙っています。
健さんのように。
GachifloZ