綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町

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「エッチな写メ下さい(はあと)」だの「<いいね>の代わりにおっぱいもませてください(切実)」だのと散々「心にもないことを(←ここ重要)」書き連ねていたはてなダイアリーのブログ「歌声の消えた海」をとうとう愛する我が娘ガールズ1号に見つかってしまった。思春期なのに誠にもって申し訳ないことしきりだ。

 

 もっとも最近はこちとらも加齢がゆえにすっかり性欲も枯れ果て、もっぱらアイドルのことやらロックの話、映画の話やら旅の話といった毒にも薬にもならない与太話ばかり書いていたためかろうじて面目は保てている。
しかしこのままずんずんと過去ログまで読み進められた日には権威失墜どころではない。不登校家庭内暴力、果ては野球賭博に大麻所持は当たり前のユニークな家庭になってしまう。てなわけで今後は場所を移してこちらに日々の雑感を記しておくことにした。ちなみに表題は中島らもさんの著作から引用です。

  さて、では。

非常に短いサイクルでの転勤が多かったのでいろんな街で仕事をした。
アッパーな街からダウナーな街までいろんなところでお仕事をした。小学生の頃から歌舞伎町の裏路地をチャリンコでうろうろしていたせいか適応能力が高く、どこの街でも抵抗なく生きては来られた。

しかしこれまた根っからのへそ曲がりゆえかいわゆる世間様で言うところの「住みたい街」に挙げられるような街は正直ちっとも「住みたい街」にならなかった。特に青山・赤坂・白金・高輪あたりは本当にいい思い出がなくて、アラブの大富豪が路上に倒れているとしても住みたくない(きれいなお姉さんがおっぱいを揉ませてくれるなら話は別だ)。

かといって葛飾・亀有・新小岩あたりも好きではない(だって怖いんだもん)。錦糸町は若かりし頃に上司に無理矢理連れて行かれたロシアンパブでの苦い思い出しかないし、昔はタチンボがずらっと立ち並び「人生とはいったいなんだろう」と幼い僕にたくさんのことを教えてくれたた新大久保の街はもはや日本人のいない異国の街になってしまった。


そんな様々な街でアングラな日々を過ごしてきた僕の個人的なフェイバリットタウンといえばやはり高円寺・中野・下北沢あたりだ。もうこの界隈は駅のホームを降りた瞬間に安心する。ただよう空気が違う。すれ違う人々のファッションが違う。聞こえてくる会話が違う。本当に安心してしまう。

この前も下北沢の「般°若」にカレーを食べに行ったのだけれど、店員さん同士で「この間の客演の☓☓がさあ~」「古田新太がこの前さ(笑)、」などと表参道PABLOの店員さんは決して口にすまいフレンドリーな会話をしていて、僕は美味しいカレーを食べながら本当に安心してしまった。高円寺のキッチン南海でカツカレーをむしゃむしゃ食べている時にも、西荻窪でパパパパパインラーメンをつるつる食べている時も、底知れぬホーム感があった。これはたとえ同じ大衆食堂に入ったとしても青山六本木では絶対味わえないアングラ感だ。

 

まあこんなのどちらの街に対しても単なる偏見なんだけど、自分では中野ブロードウエイの雑多な安心感も表参道AppleStoreあたりの敷居の高さもそれはそれでとても良い感じに思う。安心できる場所があって、一方でちょっとドキドキしてしまうような素敵な街があるというのはとてもバランスが取れていてとてもいいことなんじゃなかろうか。どちらも必要なんだきっと。

自由が丘や代官山あたりをぶらぶら歩いていると、「こんなところに住みたくはないけれどまた来て美味しいスィーツでも食べよう」とは思う。高円寺は青山になれないけれど、青山だって高円寺にはなれない。

 

好きな人とデートするのは表参道がいいし、一緒に暮らすなら高円寺がいい。デートで映画を観るなら「リリーのすべて」がいいけれど、一人で観るなら「血まみれスケバンチェーンソー」がいい。街も人もそれぞれ違ってそれでいいのだ。そしてたぶんきっとそこがいいんじゃない?

  GachifloZZ(ブログ療養中)

今週のお題「好きな街」