家族のために死に物狂いで自分自身を日々すり減らす人に対して本当に申し訳ないくらい遊びまわってしまう強迫神経症的な日々の雑記
職場で「夏休み、どこか行かれましたか?」と聞かれたので
「そうね、宇都宮へ旅行に行って餃子の名店で餃子を食べまくったよ。益子のソウルフード<ビルマ汁>も食べた。国宝クラスの磨崖仏が大谷ってとこにあるんだけど、アレはよかったな~。あと、泊まったホテルが<日本一の朝食>を謳っててね、とても美味しかったんだ。
あ、海も行った。やっぱり夏は海よね。奥様のビキニよねビキニさいこう。眼福眼福。
江ノ島海岸に行ったんだけど、とれたての生しらす丼食べてさ、美味しかったなー。それから江ノ電ひさしぶりに乗って湘南の海を眺めてさ、鎌倉大仏観たり市内観光したりしたよ。
えーとそれからマリンスタジアムにももクロさんのスタジアムライブも観に行った。暑かったけどとても楽しかった。彼女たちを間近で観られたし、花火もきれいだった。前座というかなんというか、前から観たかったたこやきレインボーのライブがやってて。彼女たちを観られたのもよかったなあ。
そうそう、オーケンのライブも行ってきたよ。新しいプロジェクトが始動したんだ。新鮮だった。アルバムも出るんだよ!
あとは最近大好きな「洋館巡り」をしたり、日本橋三越でやってた「80年代展」を観たり。有楽町でやってた「幻獣神話展」もよかったな。
映画もたくさん観たし本も読んだ。
あとはね、前から食べてみたかった金子半之助の天丼食べたよ。池袋「壽」のレモンラーメンも食べた。なかなか行く機会がなかった川越のラーメン二郎もようやく行けたんだ。死ぬかと思ったけど(笑)。
まああとはお盆だからお墓参りとか?
まだあといくつか予定はあるけど、今年の夏はだいたいこんな感じかな?」
・・・
・・・・
・・・・・・と、伝えるのもいちいちめんどくさかったので
「いや、特別なにも・・・」
と答えました。
いいんだよ別に誰に教えなくても!
最近意識してTwitterには「眠い」とか「今節も横浜FC勝った、やったー」とかいわゆるイデオロギー的なものや自我の主張といったものを極力排除した投稿を行うようにしているのですが、それでも書いていて違和感を覚えることがあります。
「仕事の日は1秒でも寝ていたいけど休みの日は1秒でも長く起きていたい」的なことを書き込んだ時、実に自分の心に正直なつぶやきだと思う半面「ああオレってほんとダメ人間」と思っちゃうのです。
冷静に考えると別にいいんじゃね?って思うんですが、やはり違和感があるというか。何か「こんなんじゃダメだ!」と思う自分がいるんです。
同じように「働くことは生きること」という書き込みを目にした時「冗談じゃねえぞ!」と思う気持ちと「そうだよなあ」と思う気持ちが同居していました。どちらが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、両方の感情があるんです。
昔、世間知らずということもあって常軌を逸した働き方をしていた頃がありました。お金はたくさん手にしたけれど、その100倍失ったものがある気がして激しく後悔しています。
でもこれ、もしあの頃に常軌を逸して働かないでいたら逆に「確かに大切なものをたくさん得たけれど、男はやっぱり稼いでナンボ、出世してナンボやろ?」と延々自分を責めていただろうと思います。今と同じように。
安手のテレビドラマでよく「あの時にもし戻れたら」みたいなことをやってますが、僕に限ってはもう絶対戻りたくない。だって同じことだもの。
アホみたいに遊んでる人をテレビで見るとワシのほうが遊んどるでえーと言ってやりたくなります。がんばってがんばって家族や恋人との時間をすべて犠牲にして働いている人を見ると激しい劣等感を感じます。逆に家族や恋人のために自分を犠牲にして粉骨砕身日夜苦労している人を見ると本当に生きているのが申し訳なくなります。
もちろん遊んでばかりいる人を見ると働けや!と心底憤りを感じます。
脳内が実にカラフル。
実にダイバーシティ。
みんな違ってみんな良くない。
みんなよくない!
苦しんでいるすべての人にやすらぎを。
GachifloZ
誰よりもももクロさんだったのは・・・momoclimania2018
会社のね、クーラーが壊れてしまって。
まあ全館ではなくて一部で、しかも僕のいるフロアは大丈夫なのでホント他人事なのですが(人でなし)、人間観察していると本当に面白いです。
空調の壊れた暑いフロアで汗をかきかきそれでも自分のデスクで仕事をする人。「暑い暑い、仕事にならないよ」とかボヤきながら書類を作っていらっしゃいます。
空調の壊れた暑いフロアからPCを持ち出して空調の効くフロアで仕事する人。「◯◯フロアにいますんで~」とか言ってさっさと出て行っちゃった。
空調の壊れた暑いフロアをなんとかしようと扇風機を他のフロアから借りてきたり、窓を開けたり扉を全開にしたりしてなんとか状態の改善に挑む人。
空調の壊れた暑いフロアがあるということは他のフロアも壊れる可能性があるからといろんなフロアの空調をチェックしている人。
本当に人それぞれですなあ。
眼の前にゴミが落ちていた時、「誰かが拾うだろう」と思う人と「誰も拾わないだろう」と思う人がいるといいますが、僕はもう最低な人非人なので断然後者なわけです。
が、後者でも「誰も拾わないからオレが拾おう」という人と「誰も拾わないからオレも拾わない」という人に分かれるんですね。もちろん僕は更に後者だから本当に我ながら死ねばいいのに!という感じです。
そういえばこの前ももクロさんのマリンスタジアムライブに行って来たんですけど、あんまりクソ暑いので開演前に日陰にいたら通りかかったおじさんが僕の目の前にあるゴミ箱にポイっとゴミを捨てたんです。
が、そこはおじさんなので目測を誤ってゴミ箱の角にポコッとあたってゴミが地面に落ちてしまったんです。
僕は何度も言いますがゴミクズ人間なので自分のことは棚にあげて「チッ、ちゃんと入れ直せよおっさん」と心の中で思いましたが、おじさんという生物は集中力も観察力もないのでその人はそのままスタスタと行ってしまったんです。
そしたらなんと、次に目の前を通り過ぎたおじさんがそれをスッと拾ってゴミ箱にポイッと入れたんです。えっ、おじさんなのに!根性なしで性根の腐っている僕は「うおお、すげえ!おじさんなのにカッケエ!ひさしぶりにももクロさんファンを見た!」と思いました(だから自分で拾えつーの)。
道端に落ちてるゴミ、すっと拾えますか?僕はなんとなしに「ももクロさんのライブ会場ならオレだって出来る」と思っていた節があるのですが、やはり根っこが腐っているとダメです。
昔、ももクロさんがアイドル街道を急上昇してた頃(2010年くらい?)「ももクロファンはゴミを拾って帰る」と正に前回のワールドカップサポーターのような風評があったのですが、ニワカのクソみたいなファンばかりになったと思っていたももクロさんファンの中にもまだそういう人たちが残っていたんですなあ。
あの暑い夏の日、ももクロさんよりもももクロさんを感じさせてくれたのはあのおじさんでした。おじさん、あんたすげえよ。あんたこそももクロさんだよ!
あ、ちなみに冒頭のクーラー話、僕は「とっととエアコン屋を手配して直してもらう人」でした。
ほんと人生いろいろ。
人っていろいろ。
そしてももクロさんは最高。
GachifloZ
あしたはももクロさんライブinマリンスタジアム。
「あしたはももクロさんライブだな~」とボケーッとしながら表通りを見ていたら、上下長袖の黒ジャージに白いカンカン帽、軍手に黒サングラスで大きな白いマスクをした怪しいおじいちゃんが歩いていました。
きっと皮膚が弱いとかいろいろあるんだろうけど、見るからに変態・・・しかも暑そう。水分補給をしっかりして倒れないことを祈るばかり。
しかしさすがにアレは職質されないのかな・・・
若い頃から数限りなく職質を受けている身としては職質されないテクをぜひご教授いただきたい。
この前、とあるブルジョアジーな写真をインスタグラムに上げたんです。
そしたらたくさんの新規の方から「いいね!」をもらえて嬉しかったんですけど、ちょっとチェックしてみたら新規で「いいね!」してくれた人たちがこぞって「FXのコツ」とか「投資コンサルタントですお気軽に」とかそんな人ばっかりなんです。
悔しいから(何がだ)超美味い一皿200円の餃子とか知る人ぞ知る(しるだけに)一杯324円のビルマ汁とかを続けてアップしてやりましたよ。そしたら全然そいつら「いいね」してくんねえでやんの(かなしい)。
価値感は人それぞれで別にいいんです。
キンキラキラキラなものが好きな人もいれば路地裏の菊の花が好きな人がいて、それはそれでいいじゃないですか。それはそう、それはそうなんだけど、「コイツは金づるになりそうだ」と思っての「いいね!」はどうかやめてほしい。
ま、しかたねえか。商売だもんな。
なーんて言ってたらフィッシングサイトにあたっちゃったよ。
GoogleさんがiPhonexを1ドルでプレゼントしてくれるそうだ!やったね!
だがしかーし!
これについては商売だからしかたねえ・・・なんてことは言わない、これは詐欺であり犯罪なので氏名欄に「ア◯ル◯ァ◯クち◯ぽ◯ハ◯太郎」とか住所欄に「ベーカー街221B」とか中学生男子のような仕返しをしてやったぜ。まさかいい歳した変態おじいちゃんとは思うまい...ククク。IPアドレス抜かれようが何されようが知ったこっちゃねえぜ!
まあまあ人生なにごともそうそううまいこと行かないっスな。
あんまりにも毎日毎日カミさんに叱られるから「なんでかなー、なんで怒られるのかなー」と相手の心のうちを想像してみたのですが、
「相手の心を読んでいるつもりが、自分ならどうするかという自己への問いかけとなり…気がつけば、ただ自分の心をなぞっているだけ…」(カイジ箴言第22話より)
というわけで相手が怒っているように思えるのならばきっと僕が心のどこかで怒ってるからなんだろう(そうかなー)。
金ヅルに「いいね!」する商売人も、フィッシング詐欺の外道連中もきっと同じできっと僕の心の投影。
だから通りすがりのおじいちゃんがド変態に見えるならきっと僕がド変態なんだろう(それは否定できない)
ま、街行く人、目の前の相手、すべては自分の目(フィルター)を通してしか見られないからそれもサモ・アリナンズだね。
GachifloZ
宇都宮へ・・・(「地球へ・・・」的な感じで)
ちょっと前の映画ですが「お前はまだグンマを知らない」を観たんです。この前。とても面白かった。
僕は基本的に連続して3日も働けません!という精神的虚弱体質なので会社のお休みはいっつも飛び石なのですが、たまたま2日連続のおやすみがあったので思い切って北関東へ遊びに行ってみることにしました。
行ったのは栃木県宇都宮市。
なぜなら納豆と餃子と焼きまんじゅうだったら餃子が食べたかったからです。焼きまんじゅうは群馬県民以外が食べると死ぬって映画の中でも言ってたし(笑)。
貧乏なので・・・じゃなくて電車が好きなので新幹線を使わず湘南新宿ラインで2時間かけて宇都宮へ行きました。電車の中ではiphoneにダウンロードしておいたAmazonPrimeの「有田と週刊プロレスと3 #2 SSマシン編」と「クリミナル・マインドSeazon1 #12 連れ去られた少女」を観ていました。
台風から逃げるように北上して宇都宮駅に着いてから更に足を延ばして益子まで行き、老舗の蕎麦屋「炉庵」さんでずっと食べてみたかった「ビルマ汁」と「大根そば(天ぷら付き)」を食べました。すんごく美味しかったー。
ビルマ汁はスープカレーのようでスープカレーでなく、薄味のカレー南蛮のようでカレー南蛮でなく、実に繊細でやわらかな良いお味。カレー好きなら人生で一度は食すべき一品。
大根そばはまあようするに「かさ増し」に大根の千切りを混ぜてあるのですが、まあそれがかさ増しの役割を遥かに超えて実にさわやかでシャッキリと良い食感を生み出しています。そば好きなら人生で一度は食すべき一品。
お腹いっぱいになってから宇都宮市内にのんびり戻り、ひと息いれようと猫のいるカフェ「タフドア」を訪問。猫を遠目に観ながら美味しい紅茶と美味しいスコーンをいただきました。
猫は店内にもうろちょろしておりますが、いわゆる猫カフェとはまたちがった趣き。
なんか自然なんです。
時刻は既に夕方となっていたので先にチェックイン。
選んだ宿は「ホテル東日本宇都宮」です。
ここは「日本一の朝食」が売りらしく、ちょっと駅からは離れていますが、ホテルや旅館の朝ごはんが何より大好きな僕は迷わずここに決めたのでした。
チェックインして荷物を置いてから汗を流しに駅近くの「ザ・グランドスパ南大門」を訪問。90分のショートコースでしたが、露天風呂やサウナはもちろん漢方風呂やら檜の湯、炭酸風呂にパワージェット、温泉プールまで一通り楽しませてもらいました。いやー気持ちよかった!(まだ平泳ぎが出来るとわかって安心したのは内緒)
汗をひとしきり流したあとはお目当ての餃子を。
行ってみたのは「龍門」というお店で、「龍門餃子(6個)」を2枚と「海老餃子(3個)」をいただきました。
以前に「来らっせ」でいろんなお店の餃子を食べ比べしたときにここのが一番口にあったので実際に来てみたのです。やっぱり美味しかった。来て正解。
それから夜の宇都宮中心部へ。たまたまラテンダンスフェスティバルといった趣の「バンバdeナイト」というイベントがやっており、観覧自由とのことで楽しませてもらいました。少し踊ってみたよ。
その後ホテルに戻り、最上階にあるバーラウンジへ。
カウンターで2杯ほどカクテルをいただきました。
静かな雰囲気でとても良い感じでした。やっぱり女性同伴で来たい・・・。
部屋に戻って無料視聴が可能だったVODでなんとなーく映画「ライフ」を鑑賞。思いの外おもしろかったのですが、就寝が午前様になってしまいました・・・。
ラストシーン、よかったなあ。
2日目、朝。いよいよお目当ての「日本一の朝食」。
和洋中様々な品が並ぶ朝食ビュッフェスタイルですが、ひとつひとつがまあ美味しくて種類豊富で一口ずつでも全部は食べられないのが本当に残念!宇都宮らしく焼餃子もあり、とても美味しくいただきました。
それからお部屋で朝のシャワーを浴びてひと休みしてから宇都宮市中心部へ繰り出しました。
まずは餃子と並ぶソウルフードらしき「宇都宮やきそば」。有名店がたくさんあって迷いましたが、人気店の「石田屋」さんへ。目玉焼きとハム、野菜のミックス焼きそばをいただきました。味付けを客自身がするというのはすごい意外でしたが、やっぱり美味しかった。なんかほのぼの。
有名人も訪れる宇都宮の大衆の味 ”石田屋やきそば店”さんosusumetochigi.wordpress.com
それからオリオン通りというメインストリート?を散策。
たまたま期間限定でお化け屋敷がやっていたので思わず入ってしまいました。「ま、なんだかんだで街の商店街レベルだろう」と思っていたのですが思ったよりしっかり作られていて何回も「うおっ!」「わっ!びっくりしたッ!!」と声を出してしまいました・・・。
夏祭りのシーズンということもあり、大通りを立派なお神輿が進んでいくのを横目にしながら栃木県観光物産協会の運営する「おいでよ!とちぎ館」に立ち寄りました。
栃木の物産品をいろいろ見てから、これも行ってみたかった「大谷観音」へ。
これはもう本当に久しぶりに圧倒されたって感じ。
日本最古の石崖仏、大谷観音は間違いなく人類の遺産というか、まごうかたなき歴史的文化財です。
予備知識なしに観に行ったのもよかったんでしょうけど、本当に「うおおお~」と声が出てしまうほど圧巻でした。
大谷寺 | 日本最古の石仏「大谷観音」と高さ27メートルの「平和観音」
市内に戻って「シメの餃子」として宇都宮餃子館で健太餃子(6個)とニラ餃子(6個)をいただきました。やっぱり激戦区は競争原理が働くのか、どこの店も美味しいです。
駅でお土産に「とちぎのいちご ミルクパイ」を買いました。とちおとめのいちごミルクを使ったらそりゃあ美味しいに決まってます。子供に食い尽くされる前に僕も食べようっと。
とちまるくんパッケージ☆とちおとめいちごミルクを使ったお菓子♪|縁-ENISHI-lJR宇都宮駅ビルパセオ1F、カフェ・お弁当・ご当地食材の販売
ああ、旅は楽しいな。
宇都宮でどこへ行こうか何をしようか全く決めてなかったけど、いきあたりばったりは楽しい。
宇都宮は何回か来たけど、またすぐ来たい街です。
GachifloZ
「やる気」の正体見たり枯れ尾花
毎日毎日暇で退屈で仕方ないのに仕事のやる気はナッシング。
しかし、思いかえせばものすごーいボリュームで仕事をこなしているときも「やる気」なんて全然なかった。ただひたすらこなしていただけだっとと思う。
そもそも「やる気まんまん」でなにかをしたことって一度もなかった気がする。
誰かに「やる気満々じゃないですかw」と言われたことは腐るほどあるし、今もそう言われることは多いけど、けっこう本人的には「やる気」になんてなっていない。
やらなきゃいけないから一生懸命やる、がんばらないと終わらないから一生懸命前向きにやる、そういうのはある。
でも、「やる気があって」やってるわけじゃない。
別に仕事に限ったことじゃない。
この前も他人の不幸話が大好きな上司に過去のあれこれを聞かれたので素直に答えてたら、「本当にがんばったんだねー」とか言われてしまい、まあ客観的な状況と当時の行動だけ考えたら確かにがんばっていたんだろうなとは思うんだけれど、別に「やる気があった」わけじゃない。
やる気があってやったことってなんだろう?
大学受験?演劇学校?就職活動?同人誌作成?
どれもちょっと違う。
確かにどれも自分の意思でやろうと思ってやったけど、「やりたかったから」というのとはちょっと違う。
「表現したいものやオリジナリティなんて本当はなくて、自分を表現したいという欲求があるだけだった」とオーケン(大槻ケンヂ)が言ってたけど、きっとそれと同じようなものなのかしらん。
「やる気」ってのは結局「認められたいきもち」「褒められたいきもち」なの?
好きな女の人を口説くときはそりゃもう渾身の、ありったけのやる気マックスでデートプラン考えてたりしたけど、そりゃもう「やる気まんまん」というより単に「ヤる気マンマン」だったような。
スポーツの世界で、例えばこの前のワールドカップで日本代表になったような人は「やる気まんまん」でサッカーをやってたんだろうか。「好きだったから頑張った」「憧れていたから頑張った」というのはすごく理解出来るんだけど・・・。
結局のところ「やる気」なんて他人の心にしかなくって、本当は誰の心にもないような気がする。「決意」とか「義務感」「使命感」「向上心」とかがあるだけで。
だから(他人から見てじゃなくって)自分の中の「やる気」ってのは結局「一歩踏み出す勇気」なんだろうと思う。
「やる気がないなー」っていうのは、やるべき事やらなければならない事に手をつける勇気が出ないってこと。
だからこれからは「やる気ねえなー」という代わりに「やる勇気が出ねえー」と言い換えようっと。
うん、なんか少し腑に落ちる気がする。
GachifloZ
それでも人生は続く
しばらく絵を掻いていなかったら上手に絵を描けなくなってしまいました。
ガガーリン!
昔から模写が得意で、「自分の絵」というものがありませんでしたが、お手本を見ながらならソレナリに描けていたのに、今は全然描けません。
ガリガリガリクソン!
「ワシは出来る」と思っていたこと信じていたことが出来なくなっていることに気付くというのはそれなりにショックであります。
高齢者の介護施設のお手伝いをしていた頃があるのですが、みなさん軒並み今の僕と同じことをおっしゃっていました。
曰く「あれー、昔得意だったんだけどなあ」と。
「昔得意だったかどうか知らんけど今は出来ないんだから仕方ないやろ」とむべなく思っていた非道・鬼畜な私なので、今は「しゃーないやろ、自分w」と己を指差しあざ笑ってやりたいと思います。
出来なくなったことは悲しいこと?
出来ていると思っていたことが実は出来ていなかったとして、それはつらいこと?
まあ、悲しいですよね、単純に。
つらいですわな、普通に。
今、苦しみの中にいる人は本当に本当につらいだろうと思います。
そして私はなにも出来ない。
最高にうまく描けたと思っていた絵を数日後に見ると「あれ・・・?」というのはよくあることです。この日記だって、過去ログを読み返したりすると「最高に面白いオチがついたぜグフフ」と思っていたものがちっともオチていなかったり。ああお恥ずかしい。
もっと人生で重大な失敗もあるでしょう。
笑い話にならない失敗だって誰しもたくさんあるでしょう。
でも人生きっとそんな連続です。
過去のイヤな自分、ダメだった自分、出来てるツモリ君だった自分に対し「まあオレなんてそんなものよね」と思えるようになることはたぶん悪いことじゃないんだと思います。若いうちなら必死に抗うことも大切ですが、自分を過大評価しなくなったというか、良くも悪くも等身大のミジンコな自分に気がつくのがそんなに悪いことだとは思いません。
みうらじゅん先生のセリフではありませんが、「そこがいいんじゃない!?」という考え方もあります。中学の文集なんてもうバカでアホで自己中で自分に酔っていて世界を舐めくさっていたあの頃の自分。でもそれこそ「今はとてもじゃないけどあんなふうにできない(書けない)」です。
どんな過去であれ昨日であれ、思い出したくもない過去は腐敗し発酵し熟成され、いつかきっと苦笑いできるようになります。苦笑いしてはならないような過去というのは誰かを傷つけてしまった過去くらいです。
自分のことは所詮自分世界の話ですから怖がることはありません。
苦々しくは思えても、恐れなくていいのです。
バカだったなーと思うならそのまんまでいいです。
バカじゃないよ!と否定もしません。バカじゃないとどんなに思えることでも、バカだったと思うか思わないかはその人自身なので、周りがとやかく言うことではないような気がします。
いつかきっと話せる時が来るまで、そっと熟成させておきましょう。
お味噌も醤油もとっても美味しいです。
GachifloZ
鬱になった時のことを思い出してみる
昔々の話でありますけれども
いわゆる「鬱」と診断されたことがあります。
正確に言うと「極度の抑うつ状態による自律神経失調症」と診断書には書いてあった記憶があります。
(鬱病じゃなかったのか・・・と今更ながらに気が付きましたが)
極度の意欲低下で何もする気が起こらない。
ご飯を食べよう食べたいという意欲?も消失してたからか、お腹も減らないし、眠くもなりませんでした。
でも、心のどこかで「言うても食べなきゃ死ぬなー、死ぬと迷惑掛けるしなー」とは思っていたので、来る日も来る日も3食きちんと食べていました。ただし、お腹が減らないので「朝○時、昼○時、夜○時になったら食べたくなくとも食べる」という感じにしていました。
ただ、時間になったから口にモノを入れる。
ただ、時間になったから布団に入る。
もはや単なる機械仕掛けのオレ。
来る日も来る日もこんな感じでした。
気がつくとボロボロ涙がこぼれることがありましたが、なんで泣くのか自分でも本当はよくわかっていませんでした。
死にたい死にたいとも思っていましたが、同時に「死んだら迷惑掛けるから死ぬわけにもいかないよなあ・・・」と思っていました。ちなみになんで死にたかったのかはよく思い出せません。
その頃はすべてのことがどうでもよくなっていました。
将来のこととか、お金のこととか、対人関係(特に女性のこと)とか。
どうでもよいというか・・・「○○になりたい!」「○○したい!」「○○欲しい!」という意欲が全て消失して、「別に○○にならなくてもいいや」「別に○○欲しくもなくなったわ」みたいな感じになっていたのだと思います。
そしてその感覚は今も残っています(だから貯蓄なんて全然しようとも思わないししていない)。
「死ぬ時が来たらただ死にゆくのみさ・・・」と言うのは好きなマンガのセリフですが、それはなんかもう「なんかめんどくせーからいろいろ別にどうでもいいや」という感じと同義だったのです。僕の中では。
まあこれまでの人生を振り返るに、絶対ロクな死に方をしないと思います。それくらいダメな人間です。振り返るたびにどうしようもないクソ野郎で、係わってしまった方々、本当にどうもすみません。
ただ、ロクな死に方をしないと思うものの、それを「嫌だなあ」「怖いなあ」とは思っていません。
タバコをプカプカ吸っていた時も結構「あー、こうやってオレは肺がんになるのだ、これはオレに罰を与えているのだ、ざまあみろ、早や死にしやがれオレ」と思っていました。高所恐怖症のくせに絶叫マシーンが大好きなのも同じ感覚です。「オレよ!もがき苦しめ!」みたいな。おまけに死なないし。ラッキーです。
当時、お仕事はそれなりに順調で、それなりの立場も貰い、それなりのお給料もいただいておりましたが、この病で3ヶ月の完全休養、そしてそれから数年後にすべて失ってしまいました。
失ったというか、失うことに全く抵抗がなかったのでそれら全部捨ててしまったというか。
それから流れ流れて幾年月。
かなり特殊なおじいちゃんが出来上がってしまいました。
おじいちゃんはハードロックを聴きながら「絶望こそ我が人生」とライブハウスでヘドバンし
アイドルのLIVEへ行っては感動して涙をこぼし
日本代表なんか一人もいないサッカーを観に行っては歓声を上げ
たまに下手くそな絵を描き
たまに誰の心にも届かない日記を書き
都立公園を巡ったり
映画を観たりお芝居を観たり
ラーメンを食べたり
マンガを読んだり小説読んだり
機械をいじくったり
ドライブしたり
たまに仕事したり
好きな人のこと考えたり
どうしてだろうこんなに穏やかでいられるのは
失敗だらけだったけど
成功してがんじがらめになるよりよっぽど良かったのかなと
お金たくさん稼いでいた時、本当に苦しかったなと
まあ
人生の敗残者は今となればそう思うわけです。はい。
もちろんみなさまには幸多かれと思っております。
私のようになりませぬよう。
ではまたあした。
GachifloZ