それでも人生は続く
しばらく絵を掻いていなかったら上手に絵を描けなくなってしまいました。
ガガーリン!
昔から模写が得意で、「自分の絵」というものがありませんでしたが、お手本を見ながらならソレナリに描けていたのに、今は全然描けません。
ガリガリガリクソン!
「ワシは出来る」と思っていたこと信じていたことが出来なくなっていることに気付くというのはそれなりにショックであります。
高齢者の介護施設のお手伝いをしていた頃があるのですが、みなさん軒並み今の僕と同じことをおっしゃっていました。
曰く「あれー、昔得意だったんだけどなあ」と。
「昔得意だったかどうか知らんけど今は出来ないんだから仕方ないやろ」とむべなく思っていた非道・鬼畜な私なので、今は「しゃーないやろ、自分w」と己を指差しあざ笑ってやりたいと思います。
出来なくなったことは悲しいこと?
出来ていると思っていたことが実は出来ていなかったとして、それはつらいこと?
まあ、悲しいですよね、単純に。
つらいですわな、普通に。
今、苦しみの中にいる人は本当に本当につらいだろうと思います。
そして私はなにも出来ない。
最高にうまく描けたと思っていた絵を数日後に見ると「あれ・・・?」というのはよくあることです。この日記だって、過去ログを読み返したりすると「最高に面白いオチがついたぜグフフ」と思っていたものがちっともオチていなかったり。ああお恥ずかしい。
もっと人生で重大な失敗もあるでしょう。
笑い話にならない失敗だって誰しもたくさんあるでしょう。
でも人生きっとそんな連続です。
過去のイヤな自分、ダメだった自分、出来てるツモリ君だった自分に対し「まあオレなんてそんなものよね」と思えるようになることはたぶん悪いことじゃないんだと思います。若いうちなら必死に抗うことも大切ですが、自分を過大評価しなくなったというか、良くも悪くも等身大のミジンコな自分に気がつくのがそんなに悪いことだとは思いません。
みうらじゅん先生のセリフではありませんが、「そこがいいんじゃない!?」という考え方もあります。中学の文集なんてもうバカでアホで自己中で自分に酔っていて世界を舐めくさっていたあの頃の自分。でもそれこそ「今はとてもじゃないけどあんなふうにできない(書けない)」です。
どんな過去であれ昨日であれ、思い出したくもない過去は腐敗し発酵し熟成され、いつかきっと苦笑いできるようになります。苦笑いしてはならないような過去というのは誰かを傷つけてしまった過去くらいです。
自分のことは所詮自分世界の話ですから怖がることはありません。
苦々しくは思えても、恐れなくていいのです。
バカだったなーと思うならそのまんまでいいです。
バカじゃないよ!と否定もしません。バカじゃないとどんなに思えることでも、バカだったと思うか思わないかはその人自身なので、周りがとやかく言うことではないような気がします。
いつかきっと話せる時が来るまで、そっと熟成させておきましょう。
お味噌も醤油もとっても美味しいです。
GachifloZ