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綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

ジェームス小野田は本当に三芝理なのか説

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こんちは。
エディこと三芝理さんのピアノを久しく聴いておらず寂しい熱帯魚なGachifloZです。それにしてもエディは小野田さんに似てるよな。

 


学校出て就職した会社はそれなりに大きい会社でしたが、僕はそこで11年働い後なんやかやとあり結局ドロップアウトしました。いやドロップアウトなんて横文字でごまかしません。落伍者ですね。落ちこぼれです。

 

その事自体には別に自分自身納得してるんで別にいいんですが、やっぱり懐かしくもなる時もあってたまにその会社のウェブサイトやなんを覗いたりしてしまいます。すると同期入社した人や当時の同僚がナントカ支店長とかドコソコ支社長とかになっていたりして、「うーん頑張ってるな~」とぼんやり思ったりしています。


・・・というのは嘘です。正直言うと「ま、まだやってたんだコイツ・・・うそだろ」に近い感覚なんです。「ルバング島で小野田さん発見!」の報に触れたような感覚でしょうか(例えが古すぎて誰もわからないな)。


もちろんこちとらドロップアウト・・・じゃなくて落ち武者組なので未だ最前線で戦い続ける彼らに対するリスペクトの感は間違いなくあるし、きっとお給料いっぱいもらってんだろうな~と思うと実に羨ましくもありますが、じゃあ「やめなけりゃよかった」という感情があるかというとそれは全くありません。


おそらく彼らは今の僕のようにお気楽極楽に毎日毎日会社を定時上がりしては子供と夕飯作ったりバラエティ番組観ながら家族でご飯を食べたりすることはまず出来ないし、ほぼ自由に決められる休日に好きなお芝居観たりLIVE行ったりなんてことは到底出来ない。

したくないお付き合いやお愛想やおべっかやおべんちゃらやらも言わなくてはならないし、ヤクザやチンピラ相手に戦うこともキチガイクレーマーやヤク漬け患者に深夜までお付き合いすることもしなくてはなりません。おまけに深く人生を知る文学に没頭する時間も少ないとなれば実に可哀想と思うけれど、それは生き方なのだから人それぞれ。ましてや敗残兵がとやかく語るべきものではありません。


うーん、でもやっぱり外車乗れても新築一戸建てを建てられるとしてもオレは無理だなー。いやもちろんくどいようだが尊敬してる。あの苦難の日々を10年20年と続けているなんざ並大抵の精神力では出来ないこと。変態か異能者かジャパニーズビジネスマンだ。少なくともオレには無理。本当にすごいなと思う。でも真似したくはない。


あーでもやっぱりお給料だけは彼らくらい欲しいな。オレもポルシェ欲しいぞ!超高層階のマンションでスーパーカー乗り回し、それでいて今のような日々定時帰りのお気楽な生活をして日曜出勤には仕事サボってバカブログを書き連ねていたい。ああなんというダメ人間。男なら上を目指せ。死ぬまで働け!


GachifloZ

P.S.

ちなみに上の写真が三芝さん、下が小野田さん(笑)。

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おーい山田くんちょっとデスノート持ってきて!

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こんちは。

この前、駅前の立ち食いそば屋へ行ったら店員さんに「あ、すいません。前のお客さんにトイレ汚されちゃッたんで10分くらい待ってから来てもらえますか?」と言われてしまいました。

ナイーヴでセンシティヴで気の弱い私は「あ、はい、わかりました。ではまた出直してきます」と素直に答え、迷いなく駅前にもう一軒ある名代富士そばに向かいました。

いやあもう二度とあの店の暖簾をくぐることはないでしょう。だって「汚れたトイレ」以外の印象をもう持てないもの。少なくとも「むむ、そういえばあの汚れたトイレの店のそば、食べてみたい」とは思いません。自覚があまりないのですが結構根に持つタイプなのかもしれません。


嫌なことがあった時の反応は人それぞれです。
ヤケ酒を飲んでクダをまく人、他人にや物に当たり散らす人、自分で抱え込んでしまう人、スポーツや音楽などで発散する人、犯罪行為に走る人。それはもう本当に人それぞれで、もちろんそれらに優劣なんてありません。
でもやっぱり出来ることなら他人に迷惑を掛けず、自分自身をも苛めずに済む怒りの処し方がいいんじゃないかなと思います。


ちなみに僕は昔から寝たら忘れるタイプなのです。だから嫌なことがあったらとっとと寝てしまいます。一晩寝るとたいていのことは気にならなくなります。単なるアホという気もしますが、そういう自己催眠を掛けているのかもしれません。


一晩寝ても依然腹立たしく思ったり凹んでしまう時もたまにありますが、ボルテージはかなり落ちています。そしてそれでもどうしても怒りが消えない時は、とにかく考えないようにしています。例えば大嫌いなクソ野郎がいたら、「あのクソバカゾウリムシ野郎なんぞのためにワシの貴重な記憶細胞を1ミクロン足りとも使わせてなるものか!」と思うのです。もうとにかく「脳裏に浮かべたら負け」くらいに考えてひたすら無視してやります。そのうち名前も思い出せなくなる。そしたらこっちの勝ちなんです。


長いこと生きているとやっぱり裏切られることも騙されることも理不尽な手痛い仕打ちを受けることもたくさんありました。あったけれど、起こってしまったことはもう仕方がない。出来れば一生関わりあいになりたくなかったクソバカキチガイ鬼畜ゾウリムシ野郎でも出会ってしまったらもう仕方ない。是々非々は考えずとりあえず受け入れて、そして一切考えない。これまでそうして過ごしてきました。


でもやっぱり忘れるわけではないんです。
思い出そうとすれば思い出す。思い出せばはらわたが煮えくりかえる。全然怒りが消化されいないんです。怒りを怒りのまま心の奥底で冷凍保存している感じ。

よくドラマとかで「大喧嘩したあとの仲直り」みたいなシーンがありますが、絶対無理です。「許す」という言葉がきっと僕の脳内広辞苑には載ってないんです。今も「許す」って打とうとして「殺す」と打ってしまいそうになりました。


怒る時はしっかり怒ってスッキリ出来るような、そんな性格だったらよかったなと思います。だって許すっていうシステムが無いってことは脳髄駄々漏れクソバカキチガイウジムシ鬼畜ゾウリムシ野郎を許せないと同時に自分自身をも許せないわけです。自分に対する怒りの炎ももう半世紀近く冷凍保存しているわけで、本当にそれを思うと今にそれらが南極大陸つんざいて光の巨人となって出てくるような・・・そんな気がして日々ガクブルなんです。ああもうとっとと寝ようっと。

 

GachifloZ

 

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やさしさ

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最近どうも家庭内での扱いが悪いような気がするので、昨日「キミたち、もうちょっと私に優しくしたまへよ」と娘らに厳しく説教かましてやりました。
しかし彼女たちは口をそろえて「こんなに優しくしてるのに!」と言い張るのです。

私は『どこがやねん!』と心で思いつつも冷静を装い「それでは優しくしていると思う行動を各自3つ述べてみたまへ」と松本ちえこの恋人試験のごとく彼女たちに問いただしました。すると彼女たちは自信満々に答え始めたのです。

「家に帰ってきたときオカエリと言ってあげている!」
「自分の食べた食器を自分で片付けてあげている!」
「麻雀アプリがやりたいと言われたらiPadを貸してあげている!」
「お風呂で変な歌を歌っていてもたまに文句言わないであげる時がある!」
「変な歌(筋少のことらしい)をいつも聴いてることをみんなに言いふらさないであげている」
・・・etc、etc

百歩譲って1番めのを優しさだと認めるとしても2番め以降は微妙じゃないか?
なんだよ「iPad貸してあげてる」って!もともとオレのじゃんかっ!
いいよ別に筋少聴いてることキミらのお友達に話しても!


だがまあしかし、誰がどう見ても「それは優しさと言わないのでは」ということであっても、やってる本人が「やさしさ」だと思っているならそれを受け止めるほうはそれを「やさしさ」だと思うべきなのかもしれない。


でもこういう考え方こそが「DVから逃げない人たち」を作るということも知っている。
だから僕は声高に叫ぶのだ。

そんなん優しさじゃねえよッ!!
ギブミー優しさッ!!


本当に優しさとはいったいなんだろう。


Gachiflo

 

 

あーりんさんとまいんさんとぼく

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毎日ヒマである。
ヒマであるからして余計なことをたくさん考える。

初めて観た時はまだ中1だったあーりんが二十歳になった。人生とはいったいなんだろう。そういえば小学生だったまいんさんだってもうすぐ18歳だ。選挙権獲得だ。かえすがえすこの止まらないライフストリームは一体なんなのだろう。


作文が子どもの頃から得意だったので、大学に入った時「本を書きたい」と思った(勉強しろ)。それにその頃はライブハウス通いもしていたので、音楽もやってみたかった(だから勉強しなさい)。更にはそれまでやっていた演劇と美術(絵画と造形)も活かせる活動は無いかと考え、人形劇をやることにした(何しに大学へ行ったのかもはや不明)。

自分で脚本を書いて音をつけて様々な人形やら小道具、機械仕掛けの大道具を作り、自ら演じてみたらとても楽しかった。
それ以来、マルチプレイヤー一色の人生だ。

とにかくなんでも自分でやる。仕事もそうだけど家事にしても育児にしても介護にしても「やらなければならないこと」はなんでもやれたし、やってきた。出来ないのは「やらなくてもべつにいいこと」ばかりだ。たとえば球技が出来ない。野球ならライト頭上の凡フライだって捕れない。フルマラソン42.195kmは走れない。シタールは弾けないし、トロール船の運転も未だに出来ない。

しかしそんな「出来なくてもいいこと以外はなんでも出来る」オレ様がなによりも誰よりも全く出来ないのは「人とコミュニケーションを取ること」だ。なんでも小器用にやれるのに、人としていちばん大切な能力が完全に欠落しているというのはきっとなんでも出来る能力の裏返しなんだろうと思っている。人は何かを得るために何かを失わねばならないのだ。


親父様は「友人を作れ。作らないと今に後悔するぞ」とオレが幼少のみぎりから口を酸っぱくして言い続けてきた。友人というやつはどうやらオレを助けて下さるらしい。
しかし友人を作らぬまま半世紀近くが経過したが「うむう、こ・・こんな時、友人がいてくれたらなあ!」と思える機会についぞ巡り合わなかった。おそらくは「友人が真に必要な時期」をはるかに通り越してしまったような気もするので、どうせならこのままでも良いような気がする。


ただ、最近は身体の不調が顕著だ。この前インドカレー屋でランチサービスのナンをおかわりしたら夕飯がまったく入らなかった。以前は特大ナン3枚は食べていたのに。心の病気かもしれない。
そういえばかわいいおねえさんのスカートが風に吹かれて舞い上がっても全く動じない。これはもう自分の中になにか重大な異変が起きていると認めざるを得ない(←単なる老化)。

だいたいハレの場に足を運ぶ機会がめっきり少なくなった。
今年ももう半分が終わろうというのに2月に特撮のLIVEが2回、3月にステーション♪解散LIVEとももクロさんのドームツアーが1回。年間20本は軽く観ていた映画もオデッセイとレヴェナントを観たのみだ。そして7月にもなんの予定もないときた。暇なのに、だ。

それでいて毎日忙しい。暇なのに毎日忙しい。
いや、忙しいというよりは活動限界が異様に短い。だいたい夜の8時とか宵の口もいいところなのに既に眠くて仕方ない。赤ちゃんかっ!これまで22時、23時まであった「いちにち」が20時には閉店ガラガラなのだからそりゃ忙しくも感じる。

前にも書いた通り手首も相変わらず痛いしさ。
ああこんな時友人がいてくれたら!
真の友さえいてくれたら!!

 

・・・いてくれたらどうなのか、さっぱり想像出来ない。
うーんやっぱり近くの友より遠くの恋人だ。


Gachiflo

 

しあわせのじゅもん

 

 


smoothscriminal.flv

 

こんちは。

ここのところ毎日毎日眠くてつらくて仕方なかったのですが、先日「オレはいつも眠い眠いと言っているが本当に眠いのか?」と考える機会がありました。

きっかけは全く逆の話で、ものすごく夜更かししてしまった次の日に全く眠くなく、「なんでだろう?」と思ったら単にその翌日が休みだったからと気が付いたことからでした。

 

次の日が休みだと寝不足でも眠くない
→次の日も仕事だと思うと寝ても寝ても眠い
→要するに「眠い」のではなく「仕事したくない」のだと気付く
→眠いと思っていたのは勘違いで実はちっとも眠くない
→眠くないのでつらくない
→つらくないのでつらくない

というわけで毎日毎日最近とても楽なのです。


心の持ちようと言ってしまうと身も蓋もありませんが、自分で自分に呪いの暗示をかけてしまっていたのだと気付くと逆に自分に幸福の呪文もかけられるような気がして日々プラスの言葉を使うようにしています。

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もしあなたが「自分は大変なんだ」と思っているならまだ大丈夫。
逆に「自分は大変なんかじゃない」と思っているならかなり注意したほうがいい。
「大変なんだか大変じゃないんだかわからん!」というオレのような人間はたいてい大変ではないので、仕事中に日記なんぞ書いとらんでもう少しちゃんと働け!


「女性のほうが大変」という女性はちょっと言いかたを考えたほうがいいかも。
「男性のほうが大変だよ!」という男はろくでなしどころか生きる価値なし。

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一方、「男性のほうが大変」と思う女性はこれ以上無く愛おしく思う反面、非常に危うい気がする。そんなことは思ってはいけないよ。
「女性のほうが大変」と思う男性は粋だなあと思う。ただしそこはやはり女性を守りながら全身に矢が刺さったような状況でなければ格好つかない。

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「女性のほうが大変」と言ってはばからない女性とは一生理解しあえないような気がするけれど、「男性のほうが大変」と言い切る男よりはなんぼかまし。それを言うなら「男はつらいぜ、トホホ」だろう。

 

ガールズには「男はバカであり、消耗品であり、ナマケモノでありケダモノである」といつも言いきかせている。

結構真面目にそう思っているのだけれど、実は「そう言わないと恥ずかしくて生きていけない生き物なのねw」と思ってほしい・・・と願っているのだ。

そこらへんの機微をわかるような大人の女性に育ってほしいものです。

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GachifloZ

 

ステーション♪全国横断エクスプレスツアーファイナルに行ってきた。

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鉄道アイドル「ステーション♪」ちゃんのラストワンマンツアーファイナルに行ってきた。

 

要するに解散公演である。
しかも主要メンバーは芸能界を引退しちゃうのである。昨年解散したBiSのように個々で活動を継続し、時には同じステージにメンバーが揃うなんてことももう絶対無いのである。つまり本当に見納めなのである。

場所は六本木morph-tokyo。
小さなハコである。あのクソ狭いEggmanより更に狭く、四谷コタンよりかなり広い。調べたところキャパ250人とのことだがそんな小さなハコに150人から200人弱の客・・・解散LIVEなのに。僕は正直「こんな狭いハコで解散か…」と残念に思った。

 だがしかし。
ハコの狭さなどどうでもよかったのである。

まあセトリだのトークだのなんだのについては他にも書かれているであろうから割愛するとして、オレはオレしか書けないオレの感想を述べさせてもらうがこれがもうとにかく実に素晴らしかった。早くも今年NO.1のLIVE確実である。秋にはベビメタちゃんの東京ドーム公演があるが、この解散ライブを超えられるかとなるとはなはだ疑問である。とにかく圧巻であった。会場の熱量が半端なかった。どんなLIVEでも中には冷めた素振りの客が一人や二人いるものだが、狭いキャパゆえか会場の客全員が彼女たちを見つめ、賞賛し、愛していた。

これまでいろんなライブに足を運んだが、本当にごくごく稀に呆れるほどの爆発的な情念が渦巻くライブに出会うことがある。この日のライブはまさにそんな感じなのであった。返す返すも解散とはもったいない。もったいない。実にもったいない。無念と言ってもいい。

これを取材しないナタリーさんはまったくもって音楽ジャーナリズム失格である。
QJもまるまる一冊ステーション♪特別臨時増刊号を出すべきである。
翌日のZIPにもめざましテレビにも彼女たちの話題はなかった。
「メディアは現場から常に3年遅れている」と言われるが、まさにそれを実感するこのメディアの「なにごともなかった感」である。
実に、実に残念だ。
彼女たちの閃光を全世界に届けずして何がメディアじゃ。インターネットじゃ。


映画「銀河鉄道999」のラストでメーテルは鉄郎に「いつか私が帰ってきてあなたのそばにいても、あなたは私に気が付かないでしょう」とつぶやくが、彼女たちとの別れはまさにそんな感じである。いつか街のどこかで彼女たちの誰かに出会ってもおそらく僕は気が付かないだろう。気が付かない。絶対気が付かないけれど、それでも心の中から彼女たちの記憶が消え去ったわけじゃない。いつまでも彼女たちはあの黄色い服を着てあの時の姿のままで踊っているのである。たとえ10年後でも20年後でもだ。

 訳知り顔で誰が彼女たちのことをどうぬかしてもあの日あの夜オレの心に打ち込まれたあの空間の熱量は永遠なのである。幻影だってなんだってそんなもんどうでもいいのである。


ももクロさんLIVEもベビメタさんLIVEもとんとご無沙汰なのに俺はステーション♪のLIVEには行ったのである。その事実こそがオレが彼女たちに贈れる勲章なのである。

さらばステーション♪。
春は別れ、いや旅立ちの季節。
彼女たちの未来にありったけの幸あらんことを。

GachifloZ


追伸
文中に記載の四谷コタンが今月末で閉店とのこと。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~YotsuyaKotan/

10代の頃に随分通ったなあ。
寂しいな。でも忘れない。
ありがとう。
46年間おつかれさまでした。

LOVE!DEATH!ネコネコネコネコ!いぬいぬいぬいぬ!

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犬派かネコ派かと問われれば星の瞬きよりも早く「ネコ派!」と応える。高橋英樹が「越後製菓!」と答えるよりも更に早く、さながらマッハの速さで僕はネコを選ぶ。それくらいネコが大好きだ。犬とネコ、どちらを選べど獣のように生きるしかないトホホな我が人生ではあるが、それでも僕は迷わずネコを選ぶ。


今の我が家ではおそらくオレより長生きするであろう亀がベランダに一匹と、室内のミニ水槽にヤマトヌマエビが5匹、同じくタニシ1匹が細々と生息しているのみなのだが、高校生の頃のマンション規約改正によって犬猫が飼えなくなるまではずっとネコを飼っていた。

生まれた時からネコだけはずっとそばにいたからなのだろう、本当にネコが大好きだ。公園で昼寝をしているネコを見ているだけでしあわせな気分になる。逆にねこカフェやペットショップのケージにいるネコはちょっとかわいそうだ。こうるさいガールズたちが一人暮らしを始めたら管理人さんに見つからないようそっとネコを飼ってしまおうとさえ思っている。


ちなみに幼少のみぎりはネコのみにあらず、実に様々なペットを飼っていた。
特に印象に残っているのは「錦鯉」で、子供目線とはいえ50cm級の錦鯉が何匹も家の中を泳いでいた。錦鯉といえば庭の池で飼うのが一般的に思うが、たぶん180cm級であったろう水槽が2つリビングに鎮座ましまし、そこで彼らは優雅に泳いでいた。

お袋の話ではもともと横浜の邸宅の池で飼っていたものを都心に引っ越すにあたり無理矢理持ってきたものらしい。子供心にもそれはよほど美しく映っていたのか、縁日の和金から後にらんちゅう育成にまで至るマイ金魚ブームの源泉がここにある。

 

もうひとつ特に印象に残っているのが「スカンク」だ。
そう、あの臭いおならをするスカンクを飼っていた。よく覚えているのはスカンクがなにかの拍子に家を逃げ出し、一族総出でタライやらなにやらを持って町中を追いかけ回したことだ。錦鯉と違って何がどうしてスカンクを飼うことになったのかは謎だ。錦鯉もそうだがなかなかスカンクを飼っていたというのも珍しいのではないだろうか。えっへん。

 

たぶんその頃には犬も飼っていたような気がするが、ほとんど記憶にない。そのかわりネコには有り余る思い出がある。楽しい思い出もたくさんあるけれど、思い出と言っていいのかトラウマと言うべきか、とにかくいちばん強烈に脳裏に残っているのはやはりその死と、増え続ける子猫を捨てた時のことだ。子猫が産まれるのだからおそらく去勢手術をしていなかったのだろうけど、幼い子に子猫を捨てさせるなよな・・・。ほうらこんな大人になっちゃったぢゃないか!

 

それにしてもペットを飼うことで本当にいろんなことを教わった気がする。愛情も生も死も大切なことはみんな彼らから教わった気がする。冒頭に書いたけれど、「この亀がオレより長生きする(かもしれない)」という事実だけでも実に大切なことを考える機会を与えてくれている気がするのだ。
鷲巣様もネコを飼っていれば狂人にならずに済んだかもしれないのにな。

 

GachifloZZ

 

今週のお題「犬派? 猫派?」