綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

旅立ちの日に


ここだけの話だが去年の秋に会社を辞めた。

夢溢れ数多の未来多き若者でもないアラフィフおじいちゃんである上に次の職のアテもなく、半身麻痺+関節リウマチのカミさんに思春期の小中学生女子二人を抱えての無計画離職はもはや南三局の役満直撃クラスだ。我ながらアホだアホだとは思っていたがどうやら本当にアホだったらしい。

別に「急に海を見たくなって」辞めたわけでもないし、国家機密漏洩やら反逆罪、あるいはミニスカお姉さんの盗撮等による懲戒解雇ではない。だいたい覗くなら団地の美人人妻のほうがいい。

目に見える事象だけに捉われて縮小政策を突き進み、ひたすらリスクから目を背け続ける会社の方向性に異議を唱え結果会社を追われる形になったのだ。ただしこれもこちら側からの一方的な見方に過ぎないわけだからそれがいいとか悪いとかはどーでもいい。つーか過ぎた事はどーでもいい。

「人生もっとうまくやりなよ」
「だから出る杭は打たれるって言ったのに」
「ほうらやっぱりバチが当たったんだ」

いろんな事を言われた気がする。
だがしかし!
だがしかし!である。
まだ南四局が残っている。


会社を辞める決意をしたその日の夜、絶望のため息とともにおもむろに求人情報をググッてみると、とある歴史ある法人の新規事業開始に伴う求人情報が目に止まった。

それはまさに俺が憧れ目標としていた法人で、俺がやりたかった事業で、そして俺が実現出来なかった事業だった。そしてこの都心で同じ事業が新たに行われることはおそらくもう二度とないだろうと言われている。

なんてったって家から歩いたって30分かからない場所だ。それまで片道100分以上かけて通っていたから1/3以下の距離だ。長距離通勤が苦痛な歳になっていたからこれはありがたい。ガールズが起きる前に家を出るどころか登校を見送ってからだって余裕で間に合う。

そしてそれだけ家から近いという事は、つまり地元なわけだ。おじいちゃんになるまで随分あちこちたくさんの街で働いてきたが、長い長い会社員生活の最後の最後が生まれ育った地元への恩返しという事になる。

求人情報をよく見れば応募締め切りが3日後となっていた。あと一週間決断が遅ければこの求人には応募出来なかったわけだ。

こんなドラマある?
全てが神様キツネ様のお導きにしか思えなかった。

俺は意を決してすぐさま応募し、結果を言ってしまえばそこで働ける事になった。


更に言えば辞めた直後に愛する筋肉少女帯が4年振りのアルバムを出し、そこには愛するももクロさんへ提供した楽曲「労働讃歌」の筋少バージョンが収録されるという。こんな祝福ある?!

更に言えば記念すべき退職日に筋少ライブがあるという。俺はそこで初めて筋少バージョンの「労働讃歌」を聴く事になるのだった。「働こう、働こう、何処かで誰かが喜んでくれてる」とバスドラに載せて俺に訴えかけてくるのだ。心底震えたぜ!

更に言えば入職予定日は大安であった。
更に言えば入職日は雲ひとつない晴天であった。

おまけに事業開始までの空白期間があり、俺は約3ヶ月強の自由気ままな休息日を得る事になった。
この3ヶ月間で俺は本を狂ったように読み、狂ったように映画を観て、狂ったようにライブに行きまくり、行った事のない場所へ行きまくり、食べた事のない美味しいものを食べまくった。服を全て変え、靴を変え、旅をし、毎朝ランニングをしてとことん心と身体をリフレッシュした。


何から何までが御都合主義の邦画のような、出来過ぎの展開であった。
だかしかし全てが現実の事なのだ。


ありていに言えばクビになったようなものだから「バチが当たった」と言えば当たったんだろう。障害者と女の子二人抱えたアラフィフのあてなき離職なんだから誰がどう考えたってそうだ。

だがしかし、今の自分の状況を見たらどうなんだろう?
バチもアンラッキーもそれは確かにあって、「それが実はラッキーだった」という見方もあるけれど、やはりアンラッキーは無いに越した事は無い。つらいもの。

だけど全部ひっくるめ過去は単なる過去だ。南三局で役満直撃食らっても南四局で親のダブルはあり得るのだ。


今、絶望の中で悲しみ打ちひしがれている人がいたら教えてやりたい。あなたが絶望と感じている隣に実はこの春の暖かな午後の陽射しが降り注いでいるかもしれませんよ。

誰がどう見たってダメな状況に思えても、恥ずかしくても情けなくても、そこで立ち止まらず一歩明日へ目を向けて踏み出せば全てがひっくり返ってしまうことだってあるかもしれませんよ。

そんな事は映画の中でしか起こらないとずっと思ってた。俺もそう思ってた。
だけど、どうやらそうでもないらしい。

大切なのはいつだっていつだって今ここから、なのです。

GachifloZ