綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

秘密のたからもの


台所の隅にちょこんと置いたPCデスク(のみ)が私のスペース。
そこにiMac。かたわらに小さな水草水槽とかわいいミニサボテンが3つ。あと動かなくなったミニ加湿器。動かないけどとてもきれいなイルミネーション機能が生きてるのでとてもシャレオツな感じ。

机の脇にアコギとエレキベース。壁にはももクロさんのサイン入りグッズやらサッカー日本代表ユニフォームやらいろんなものがぶら下げてある。あと机の下にダンボールひとつぶんくらいのたからもの入れ。これが全財産。いつでも引越しOK。

あ、文庫本とCDもあるか。あとは押入れにやはりダンボールひとつくらいの服と吊るしてある服が5着くらい。あとはなーんもない。


・・・もちろんここには書けないアダルティなブルーレイやらDVDやらVHSテープやらBetamaxテープやらHi8テープやら音声のみのエロカセットテープやら昭和の言葉で言うところのビニ本やらの在り処は除く、だ。ちなみにそれらをひとり没頭して楽しむために買ったSONYの3Dヘッドマウントディスプレイの存在も秘密だ。絶対にバレてはならない。


本当になんにもないなあ。
昔描いた同人誌は完売してしまって原稿も残していない。高校生の時に描いた木炭デッサン画くらい残しておけばよかったかな。あれはうまく描けていた。

いやいや、今手元にないからうまく描けていたなんて言えるのだろう。
みんなそうだ。今、手元にないものほど美しい。人生そんなものよねえ。

GachifloZ

今週のお題「わたしの部屋」

いちばん好きな映画は「ストレンジ・デイズ」です

リハビリは続く。

西友で買ったミントの葉っぱのあまりをベランダの空いている鉢植えに入れた。西友のだから半分しなびたような奴だったけれど、結構たくさん生えてきた。お料理に使えそう。ふふふん、こうなるとミントが映える白い食器も揃えたくなっちゃうね。春のパン祭りでも応募しようかしら。



昨日ひさしぶりに映画館で映画を観た。

あろうことか今年初映画かもしれない。
なんてったって「10年に1度の当たり年」であった2015年だというのにマッドマックスも観てなければジュラシック・ワールドミッション:インポッシブルも007も観ていない。こういったいわゆるハリウッド大作を1本観たら邦画の誰も観ないようなの1本観て、こまっしゃくれたフランス旅情映画みたいな奴を1本観るというペースだったのに、これじゃ単なる映画好きを自称するオバちゃんだ。せめて極道大戦争と脳漿炸裂ガールと恋人たちは観ておきたかった。洋画ならフォックスキャッチャーとバードマン、クリードくらいは観ておきたかった。


去年劇場で観た映画はなんと片手ぶんほど。
小さな恋のメロディの再映に幕が上がると予告犯とアメリカンスナイパー、ターミネータースター・ウォーズ、たったこれだけだ。インド・オブ・ザ・デッドを観ないなんてゾンビファン失格だ。

これも日曜日に家でグダグダしているからだ。劇場で観る時間は絶対あったはずだ、以前なら通称「アラマッ、ヤダッ、ンマー!おばちゃん」や「ポリポリポリポリプーンなポップコーン野郎」を避けるため早朝からロードショーに出掛けていたのに、去年は昼までグダグダしてたからだ。これはいかん。割れた腹筋もふにゃふにゃになるはずだ。これではイザという時、実に恥ずかしい。堂々と電気を点けたまま行為に及べるよう努力せねば。


思えば本も全然読まなかった。絵も描いてないし、ギターもベースも幾度埃をかぶらせてしまったことか。もう本当、これではバカになるのもうなずけるというものだ。というわけでこれからは平日のオフは遊び、土日のオフには必ず何かを観るか読むか演ることにする。これは脅迫だ。



ちなみに昨日観たのは「オデッセイ」。
原題は「MARTIAN(火星人)」だ。火星人とはいえヘルメットを被ったタコのようなクリーチャーの話ではない。火星へ惑星調査に出た御一行様のうち一人がうっかり火星に取り残されてしまい、地球では大々的にそいつのお葬式なんぞやってる間に本人は火星でじゃがいもを作り水を作り70年代のダンスミュージックに悪態をつきながらのほほんと暮らしていたという奇想天外なお話だ(本気にするなよ)。

しかしこの主人公、とにかく前向きで偉い。
「あなたってアホなくらい前向きね(はあと)」と女の子にことごとくバカにされるオレが「前向きなやっちゃな!」と思うんだからそうとうなもんだ。

次に火星に探査艇が来るのが4年後だというのに食料は31日分しかなく、火星であるからして水もなく、酸素だってほとんど無い。普通この状況なら仏の道にでも入りそうなものだけれど、この主人公は「火星のクソヤロー、学者をナメてんじゃねーぞ!」とばかりに排泄物と火星の砂で土を作り、水素と酸素から水を作り、植物を育てて酸素と食料を作りとやりたい放題。まあ真偽のほどはともかく、やっぱり知識は宝だ。


世間では年金が減るだのなんだの言ってるし、マスゴミは「老後に必要な費用はン千万」とかふれまわって不安を煽る。だがしかーし!少なくとも水と酸素くらいはあるだろう。そしたら充分だ。あとは知恵と工夫と好きな人への思いを拾ったチラシの裏かなんかにしたためた文集でもあればどーにかなる。家にある文庫本1000冊くらいとラジオがあれば当分はなんとかなるだろう。ああなんか18歳くらいの時を思い出すな。あの頃もそんな感じで生きていた。


今日帰ったらミントの隣にじゃがいもを植えてみよう。
あしたのために。

GachifloZ


追記
あー昨年「BiSキャノンボール2014」も観てた。まだ忘れてるのあるかも。
劇場で観る機会は少なかったけどHuluやWOWOWでたくさん映画観たんだよな、去年は。まあでも観たことを覚えているのが大切なんじゃないからな。大切なのは情緒の安寧だ。そして去年はたくさんいろんな所に行けて楽しかった。だからまあいいいや。ありがとう。

行方不明のタニシとサイリウムの海

これはリハビリである。
日記が書けなくなってひさしいけれど、これはリハビリであって練習であるのだから支離滅裂だろうと話の筋があちこち飛んでもオチがなくともそれはオレのせいではない。

タニシが行方不明だ。
決してケテルビー的な意味(要するに女性の暗語)ではなくリアルタニシが行方不明だ。先日お誕生日プレゼントフォーミーとして買ったミニ水草水槽に入れたコケとりマシーン1号(スーパーストロングマシーンみたいだ。懐かしいな)がいなくなってしまったのだ。水槽はほぼ全面フタがしてあるから外に飛び出したとも考えにくい。どこか底層でひっくり返っていやしないかと昨日から探しているが見当たらない。同居しているヤマトヌマエビに食われたとも思えんし。どこへ消えたのだろう。



地獄の行進ならぬ地獄の直立不動8時間という狂い咲きサンダーロードもビックリなももクロさんカウントダウンLIVE以来とんとLIVEはご無沙汰だったけれど、先週の特撮×筋少LIVE、昨日の特撮ワンマンライブと2月に入って快調な鬱憤ばらしをしている。ちなみに今の文章は「マッドマックス地獄のデスロードもビックリな」と書きたかったんだが、マッドマックスというタイトルが思い出せなかったのだ。がっくし。

ちなみになんで地獄の行進かというと、ももクロさんの新譜「アマランサス」収録の「サボテンとリボン」を聴いていたらいつの間にか筋少の「サボテンとバントライン」を聴いていて(だって似てるんだもん)そこからデスマーチという言葉が頭にこびりついていたからだ。なんのこっちゃ。


昨日のLIVEは渋谷のパルコ裏にあった地下の古い小さな映画館を改装したライブハウスで行われたのだけれど、これがとてもよかった。なにしろ映画館だから床が段々。ただ、一般的なライブハウスに比べればかなりの急勾配と言ってもいいからモッシュやダイブすると確実に雪崩で死亡者続出請け合い。ホルモンやら10FEETやらベビメタちゃんはここではやらないように。怖いからっ!

しかしかつて「パンクチーム」と呼称していた特撮のLIVEがサイリウムの海になるとは思わなかった。同日名古屋で開催されたももクロさんのドームツアーと時を同じくしてサイリウムの海に包まれた光景はまるでエディのピアノに贈られたももクロさんフリークからの愛のプレゼントのようで感慨深い。エディが奏でるももクロさんの新譜「WE AE BORN」をエディの生演奏で聴ける日は来るのだろうか。


それにしてもタニシが心配だ。
きっと人に言えない悩みを抱えていたのだろう。タニシだけに水臭いと言えばそれまでだが、たとえ打ち明けてくれたとしても何も出来ぬオレにそれを聞く権利などあろうはずがない。しかしだがしかし、それでもいつか二人でエディのピアノを一緒に聴こう。だからもう少し生きてみないか。

GachifloZ

ジルバを踊ればジルバを

また今日もフェィスブックに前職の同僚からお友達申請が来ていたのでガン無視してやりました。フェィスブックの「友達がいません」という画面が好きでやっているようなものだから、絶対承認なんてしてやらねんだ。いくら歳を重ねてももうすぐポックリ逝くとしてもお友達はいらない。好きな子だけいればいいとン十年生きてきてなんにも困りはしなかったから、きっとこれからもこのままだろう。

「好きと言ってくれる人」は自分の力だけではどうしようもない部分があるけれど、「好きな女の人」ならば自分の思い込みだけでどうにでもなる。お友達も自分から一歩踏み出さねばダメだけれど、好きな人はそんなことしなくても作れる。そしてそれだけできっと人は生きていけるのだ(実証済み)。

家に「ねんきん定期便」が来て将来の受け取り予想額が書いてあった。うーんこの金額で暮らすのかと思いつつ、貯蓄を始めようとは思わなかった。むしろこのミクロンな金額で生きられるように生活スタイルを変えていこうと考えた。どっちが建設的なんだかわからないけれど、人生なんとかなるもんだ。金持ちなら金持ちなりの生活を。貧乏なら貧乏なりの生活を。オレなら出来る。


年寄りというと高血圧でとにかくすぐ怒ってすぐ泣いて、というイメージがある。
あと持病の癪がっ!とか新聞を離して読むとか。まあかくいう私もおじいちゃんの中ではまだまだナウでヤングでキッチュな世代であるからして本当のところはよくわからない。個人差もあるだろうし。

しかしいわゆる気力が続かないのは確かだ。
「なんで革命は若い人が起こすのか」というのが常々不思議だったのだけれど、なんか最近本当に納得してしまう、それはおじいちゃんになったからだ。
おじいちゃんというのはとにかく気力が続かない。気力というのはやる気だけではなく、怒りも悲しみも喜びも続かないのだ。どーでもよくなるとまでは言わないが、かなりのレベルで沈静化してしまう。これはもうきっとシステムなのだ。そういうシステム。怒りも苦しみもあの世に持って行かないように組み込まれたシステムに違いない。

このシステム、決して悪いものじゃないとは思うが、できれば年齢にかかわらず必要に応じて作動するシステムであればよかったのに。若かりし頃にこのシステムを自由に操れたならばオレはもっともっとモテモテ・・・じゃなくてもうちょっとマシな人生を送れたようにも思う。「まあいっか」と流せたら人生が変わっていた瞬間がいくたびあっただろう。


ああ今日もオチがない。
まあいっか。

GachifloZ

人は裸で生まれたはずがいつだって泣きっ面に蜂の人生だ。ならばその蜂を集めてブンブンブブブン蜜蜂部隊を作り、独り窓辺で静かに読書をしながら養蜂の日々を。

ももクロさんの新譜収録曲である「WE ARE BORN」がとってもよい。
言わずと知れた「踊る赤ちゃん人間」のオマージュ曲だが、本当によい。

この圧倒的なピアノソロ。それでもなお生きていかざるを得ない感が満載のその凄まじき旋律はおじいちゃんの魂を激しく揺さぶってやまない。ドームツアーには是非ゲストピアニストとしてエディこと三柴理を呼んでほしい。インチキベーシストであるオレには武部さんがどんだけピアノがウマイのかわからんけれども、この曲だけは絶対エディに弾いてほしい。労働讃歌の時も感じたことだけれど、ももクロさんには筋少の異形な世界が本当によく似合う。たまらん。

なんていうのかな、奇をてらった事しなくていいから、人の心の奥底にあるぐじゃぐじゃなものを笑顔で歌っていてほしい。そのうちいいことあるよとニッコリ微笑んでいてほしい。まるで明日が明るい日であるような眩しい錯覚を与え続けてほしい。


GachifloZ

エルメスのためいき

「え」と打つと「ええか〜ええのんか〜」と予測変換するようになってしまった・・・。会社のパソコンなのに!まあいいかw(←よくない)

お気に入りの一着・・・アルマーニのなんちゃらとか、エルメスのなんたらとか「なんでこんなもの持ってるんだろう?オレ」的な服がいくつかある。たぶん盗品ではないと信じたいのだが、たまーに幽体離脱しているような気もするから実際のところはわからない。しかしそういう服に「お気に入り」がただの一着もないのは事実だ。あるのは「持っている」という認識だけ。そしてそれでいいと思っている。

だってどーせ微妙にスペルが違うんだぜきっと!!
マークはそっくりでもタックに「ERUMESU」とか書いてあるに違いない。あるいは単なるファーストガンダムの販促グッズかもしれない(ちなみにその場合は「ELMETH」だ)。うーん絶対に確かめないぞ。


気付くのが怖いからなどと現実逃避を繰り返し、それらを着るのをやめてどれくらい経つだろう。きっと虫食いだらけだ。少なくともカビ臭いことだけは請け合いだ。とてもデートには着ていけない。加齢臭と思われてしまう。だから着ない。デートに着る服以外はU.S.VAN・VANで十分だ。


「確かめなければ確かにそこにある」というのはよくあることで、手で実態をつかもうとした瞬間に消えてしまう存在というのは枚挙にいとまがない。例えばサンタクロースもそうだし、UFOや宇宙人もそうかもしれない。
さらに言うなら恋だってそうだ。愛もそうだ。どんなものか想像もつかないが友情なんてのもたぶんそうだろう。確かめようとして「アレレッ?」というのは週刊文春でも記事にしないような実にありふれたよくある話だ。そしてみーんなそれを知っているのに知らない振りをする。


だけど確かめずにはいられないんだよなー。
鶴光師匠もおっしゃっていたが人は「ええか〜ええのんか〜」と問わずにイられないのだ。実に滑稽で悲しき性だがそれが人間ってものなのだからしょーがない。それに確かめた結果そこに「確かな存在」を確認することだって(もしかしたら)ある(かもしれない)わけだし。


でも確かめた結果確かにそこに存在していたとしても、次の日はどうだろう。
次の日どころではない。半日後には消えているかもしれない。1時間、1分後でも同じことだ。だとすれば、「ええか〜ええのんか〜」と問い「あっは〜ん」という彼女がYESだかNOだかわからない確かな存在を認識したその瞬間、実はその存在は蜃気楼のように消えてしまっている可能性だってあるわけだ。

だがしかーし!
しかしだからといって確かめ合う行為が無駄で無意味で愚かと言えば決してそうではない。ようは全てが無為で全てが尊いということだ。たとえクローゼット奥にしまった服が「エンポリオ・アルマーニョ」であったとしても「コムデ・ジャルソン」であったとしても、その服をかつて手にした時きっとその服はまごうとこなくアルマーニであったはずなのだ。そしてそれは確かに今もそこにある。なぜならオレが確認していないから。確認しない限りそれはそこにある。永遠に。

大切なことは確認しないほうがいい。確認せずに済むのであれば。



ちなみにお気に入りの一着は筋少の「ノゾミのなくならない世界」Tシャツです(・∀・)b


GachifloZ


今週のお題「お気に入りの一着」

肌美しく心汚く

二十歳の頃は相当なイカレポンチでした。

とは言ってもよくある「オレも昔はヤンチャしててよ・・・ムフフ」といったやつではなく、大正時代のようなマントを羽織って学校へ行くとか、お酒を飲むお金がないので少ない量で酔いが回るように50Mダッシュや腕立て伏せを繰り返しながら酒を飲むとかそういうイカレポンチです。

あまりにイカレポンチで死にかけたことさえあります。
ちょっとだけ貧乏だったのでおかずが買えず毎日毎日白米だけ食べて暮らしてたらREALに栄養失調になってしまいました。あの時の医者の呆れ顔は今でも忘れません。


今思えばやることなすこと恥ずかしい限りなのですが、何より怖いのは当時は至って真面目にそういう行為を行っていたことです。だってそれってつまり今ふつうにしている事だって10年後20年後には赤面しきりな行為なのかもしれないわけです。あなおそろしや。

まあでも性欲が衰えているから大丈夫か。

昼寝をしているふりをして巡回中の保母さんのスカートをのぞき見ていた5歳の頃から「オレがこのように悪魔的性分である唯一の理由は性欲だ。将来ジジイになって性欲が衰えたらきっとオレは天使になるはずだ。それまでは悪魔として鬼畜として生きていこう」と考えていました。そしてとうとうそのジジイとなった今、俺は天使のはずなのです。羽根は未だ生えていなくとも、未だ輪っかが頭上15cmに浮かんでいなくとも、相当天使に近づいているはず。

天使・・・おじいちゃんの天使ってやっぱ相当イカレポンチだな。
結局俺はいつまでたっても俺のままということか。
良いんだか悪いんだか。


GachifloZ



今週のお題「20歳」