綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

ジルバを踊ればジルバを

また今日もフェィスブックに前職の同僚からお友達申請が来ていたのでガン無視してやりました。フェィスブックの「友達がいません」という画面が好きでやっているようなものだから、絶対承認なんてしてやらねんだ。いくら歳を重ねてももうすぐポックリ逝くとしてもお友達はいらない。好きな子だけいればいいとン十年生きてきてなんにも困りはしなかったから、きっとこれからもこのままだろう。

「好きと言ってくれる人」は自分の力だけではどうしようもない部分があるけれど、「好きな女の人」ならば自分の思い込みだけでどうにでもなる。お友達も自分から一歩踏み出さねばダメだけれど、好きな人はそんなことしなくても作れる。そしてそれだけできっと人は生きていけるのだ(実証済み)。

家に「ねんきん定期便」が来て将来の受け取り予想額が書いてあった。うーんこの金額で暮らすのかと思いつつ、貯蓄を始めようとは思わなかった。むしろこのミクロンな金額で生きられるように生活スタイルを変えていこうと考えた。どっちが建設的なんだかわからないけれど、人生なんとかなるもんだ。金持ちなら金持ちなりの生活を。貧乏なら貧乏なりの生活を。オレなら出来る。


年寄りというと高血圧でとにかくすぐ怒ってすぐ泣いて、というイメージがある。
あと持病の癪がっ!とか新聞を離して読むとか。まあかくいう私もおじいちゃんの中ではまだまだナウでヤングでキッチュな世代であるからして本当のところはよくわからない。個人差もあるだろうし。

しかしいわゆる気力が続かないのは確かだ。
「なんで革命は若い人が起こすのか」というのが常々不思議だったのだけれど、なんか最近本当に納得してしまう、それはおじいちゃんになったからだ。
おじいちゃんというのはとにかく気力が続かない。気力というのはやる気だけではなく、怒りも悲しみも喜びも続かないのだ。どーでもよくなるとまでは言わないが、かなりのレベルで沈静化してしまう。これはもうきっとシステムなのだ。そういうシステム。怒りも苦しみもあの世に持って行かないように組み込まれたシステムに違いない。

このシステム、決して悪いものじゃないとは思うが、できれば年齢にかかわらず必要に応じて作動するシステムであればよかったのに。若かりし頃にこのシステムを自由に操れたならばオレはもっともっとモテモテ・・・じゃなくてもうちょっとマシな人生を送れたようにも思う。「まあいっか」と流せたら人生が変わっていた瞬間がいくたびあっただろう。


ああ今日もオチがない。
まあいっか。

GachifloZ