綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

人は裸で生まれたはずがいつだって泣きっ面に蜂の人生だ。ならばその蜂を集めてブンブンブブブン蜜蜂部隊を作り、独り窓辺で静かに読書をしながら養蜂の日々を。

ももクロさんの新譜収録曲である「WE ARE BORN」がとってもよい。
言わずと知れた「踊る赤ちゃん人間」のオマージュ曲だが、本当によい。

この圧倒的なピアノソロ。それでもなお生きていかざるを得ない感が満載のその凄まじき旋律はおじいちゃんの魂を激しく揺さぶってやまない。ドームツアーには是非ゲストピアニストとしてエディこと三柴理を呼んでほしい。インチキベーシストであるオレには武部さんがどんだけピアノがウマイのかわからんけれども、この曲だけは絶対エディに弾いてほしい。労働讃歌の時も感じたことだけれど、ももクロさんには筋少の異形な世界が本当によく似合う。たまらん。

なんていうのかな、奇をてらった事しなくていいから、人の心の奥底にあるぐじゃぐじゃなものを笑顔で歌っていてほしい。そのうちいいことあるよとニッコリ微笑んでいてほしい。まるで明日が明るい日であるような眩しい錯覚を与え続けてほしい。


GachifloZ

エルメスのためいき

「え」と打つと「ええか〜ええのんか〜」と予測変換するようになってしまった・・・。会社のパソコンなのに!まあいいかw(←よくない)

お気に入りの一着・・・アルマーニのなんちゃらとか、エルメスのなんたらとか「なんでこんなもの持ってるんだろう?オレ」的な服がいくつかある。たぶん盗品ではないと信じたいのだが、たまーに幽体離脱しているような気もするから実際のところはわからない。しかしそういう服に「お気に入り」がただの一着もないのは事実だ。あるのは「持っている」という認識だけ。そしてそれでいいと思っている。

だってどーせ微妙にスペルが違うんだぜきっと!!
マークはそっくりでもタックに「ERUMESU」とか書いてあるに違いない。あるいは単なるファーストガンダムの販促グッズかもしれない(ちなみにその場合は「ELMETH」だ)。うーん絶対に確かめないぞ。


気付くのが怖いからなどと現実逃避を繰り返し、それらを着るのをやめてどれくらい経つだろう。きっと虫食いだらけだ。少なくともカビ臭いことだけは請け合いだ。とてもデートには着ていけない。加齢臭と思われてしまう。だから着ない。デートに着る服以外はU.S.VAN・VANで十分だ。


「確かめなければ確かにそこにある」というのはよくあることで、手で実態をつかもうとした瞬間に消えてしまう存在というのは枚挙にいとまがない。例えばサンタクロースもそうだし、UFOや宇宙人もそうかもしれない。
さらに言うなら恋だってそうだ。愛もそうだ。どんなものか想像もつかないが友情なんてのもたぶんそうだろう。確かめようとして「アレレッ?」というのは週刊文春でも記事にしないような実にありふれたよくある話だ。そしてみーんなそれを知っているのに知らない振りをする。


だけど確かめずにはいられないんだよなー。
鶴光師匠もおっしゃっていたが人は「ええか〜ええのんか〜」と問わずにイられないのだ。実に滑稽で悲しき性だがそれが人間ってものなのだからしょーがない。それに確かめた結果そこに「確かな存在」を確認することだって(もしかしたら)ある(かもしれない)わけだし。


でも確かめた結果確かにそこに存在していたとしても、次の日はどうだろう。
次の日どころではない。半日後には消えているかもしれない。1時間、1分後でも同じことだ。だとすれば、「ええか〜ええのんか〜」と問い「あっは〜ん」という彼女がYESだかNOだかわからない確かな存在を認識したその瞬間、実はその存在は蜃気楼のように消えてしまっている可能性だってあるわけだ。

だがしかーし!
しかしだからといって確かめ合う行為が無駄で無意味で愚かと言えば決してそうではない。ようは全てが無為で全てが尊いということだ。たとえクローゼット奥にしまった服が「エンポリオ・アルマーニョ」であったとしても「コムデ・ジャルソン」であったとしても、その服をかつて手にした時きっとその服はまごうとこなくアルマーニであったはずなのだ。そしてそれは確かに今もそこにある。なぜならオレが確認していないから。確認しない限りそれはそこにある。永遠に。

大切なことは確認しないほうがいい。確認せずに済むのであれば。



ちなみにお気に入りの一着は筋少の「ノゾミのなくならない世界」Tシャツです(・∀・)b


GachifloZ


今週のお題「お気に入りの一着」

肌美しく心汚く

二十歳の頃は相当なイカレポンチでした。

とは言ってもよくある「オレも昔はヤンチャしててよ・・・ムフフ」といったやつではなく、大正時代のようなマントを羽織って学校へ行くとか、お酒を飲むお金がないので少ない量で酔いが回るように50Mダッシュや腕立て伏せを繰り返しながら酒を飲むとかそういうイカレポンチです。

あまりにイカレポンチで死にかけたことさえあります。
ちょっとだけ貧乏だったのでおかずが買えず毎日毎日白米だけ食べて暮らしてたらREALに栄養失調になってしまいました。あの時の医者の呆れ顔は今でも忘れません。


今思えばやることなすこと恥ずかしい限りなのですが、何より怖いのは当時は至って真面目にそういう行為を行っていたことです。だってそれってつまり今ふつうにしている事だって10年後20年後には赤面しきりな行為なのかもしれないわけです。あなおそろしや。

まあでも性欲が衰えているから大丈夫か。

昼寝をしているふりをして巡回中の保母さんのスカートをのぞき見ていた5歳の頃から「オレがこのように悪魔的性分である唯一の理由は性欲だ。将来ジジイになって性欲が衰えたらきっとオレは天使になるはずだ。それまでは悪魔として鬼畜として生きていこう」と考えていました。そしてとうとうそのジジイとなった今、俺は天使のはずなのです。羽根は未だ生えていなくとも、未だ輪っかが頭上15cmに浮かんでいなくとも、相当天使に近づいているはず。

天使・・・おじいちゃんの天使ってやっぱ相当イカレポンチだな。
結局俺はいつまでたっても俺のままということか。
良いんだか悪いんだか。


GachifloZ



今週のお題「20歳」

ただ前だけを

先日3歳の女の子が親から虐待を受けて死亡するという事件があった。ネットには顔面にアザをつけた女の子の写真がアップされ、まあ普通の人なら胸がクランプでギリギリと締め付けられるであろう陰惨な殺人事件だ。犯人には極刑以上の極刑を求めたいが数年で出て来るんだろう。虐待どころではない拷問につぐ拷問の責め苦を延々味あわせ、死後はどうか永遠の苦しみを閻魔大王より与えられんことを。

・・・と、言いつつ心の奥底では「本当にそうなのか?それでいいのか?」という思いもある。扇情がお得意のマスゴミに踊らされてはいないか?報道された内容が全てなのか?そんなもんオレにはわからないから【報道された内容からのみで判断すると】という注釈をつけておくべきか。

なんでもそうだけど、誰にも本当のところなんてわからない。その上ある日突然運命は理不尽に変わる。昨日と同じ今日が明日が来るなんて思っちゃいけない。良い方にも悪い方にも同じこと。いちいち過剰に受け止めてたら心が持たないし自分が何とかできるなんて思っちゃいけない。第一本当に「そう」なのか誰にもわかりゃしない。もう言われるまま受け入れるしかないようなことばかり。そんな中で出来る事と言ったらもう気の持ちようしかない。

理不尽以外の何モノでもない職場での腹立たしい出来事も、カミさんに食洗機内のヤマザキ春のパン祭りでもらった皿の並べ方が悪いと叱責を受けた時も、飲み終えた生協の牛乳パックをたたんでいないと怒られた時も、去年の大晦日に行われたももクロさんのカウントダウンLIVEで7時間に渡ってすし詰めの直立状態で身体中がバッキバキになった時も「これは天の御心なのだ、受け止めねばならんのだ」と思って耐え続けた。耐え切った後になんの解放感があるわけでもなく、「ああやっと終わった」とただただそれだけ。そしてそれでいいのだ。それ以上何も気にすることはない。


バスケ部のガールズ1号が対外試合中に指を激しく負傷した。「フッフッフ、これでまた通院保険がガッポガポだわい」と内心ほくそ笑んでいたが、3日とたたずに練習に復帰した。結構な負傷だったので、いかに親譲りゾンビ並の生命力の持ち主とはいえ完治しているはずもない。「おいおいそんな指じゃ練習にもなにもならないだろう。まだしばらく休んだほうがいいんじゃないか」と仏陀のような優しい声掛けをしてやったにも関わらず「パパちゃんには部活の楽しさなんてわからないのよ!」と言い返してきやがった。

温厚な僕にはそれが「オメーみたいな友達ゼロのヒキコモリ野郎にオレっちのリア充ライフはわからねえんだよ!」と聞こえてしまい(実際そういう意味で言ってるのだが)「なにおう!おまえなんて静かに公園のベンチでひとり本を読む寂寥感満載の楽しさも映画館の暗闇の中にひとり溶け込む孤独感満載の安堵感もわからねえくせに!」と言い返してやったが「なにそれ意味わかんない」とあまりピンと来ていないようだった。フン、まだまだ赤ちゃんだぜ。


この世に「なんだかなー選手権」あるいは「なーんやそれ!ワールドグランプリ」があったら日本を背負って戦いの舞台へあがってやらんこともないと思うくらいしょーもない日々が続いている。
それは別名「平和」とも言える日々なのだが実際は「こんなに呑気でいいのだろうか」と恐怖におののく毎日だ。

実際にはこんな極悪非道なオレがそんな平穏で天下泰平な人生など送れるわけもなく、日々いろんなことが起きている。
しかし全てが見たまんまとは限らないし、本当に全てがどうでもよく思える。一種の不感症が為せる匠の技にも思えるが。
職場でも家でも全ての出来事がなるようになるし、なんとかなるし、たとえならなくてもそれなりに受け止めて良い方向へ受け流してしまう。悪いことがあってもたいして凹まない代わりに良いことがあっても「ああそうですかそれはどーも」程度にしか思わない。

毎日毎日お仕事はする。家事もする。趣味的なこともする。おおっぴらに恋もすると書くといろいろ差し障りやら誤解があるかけれど、まあ恋もするとしよう。それらの中で常に感動はある。嬉しい楽しいキモチいい。哀しい悔しいムカつくぶち殺したい。感動の種類は異なっても感情を激しく動かされることが枚挙にいとまがない。
だがしかし。それでもただただ受け入れるのみ。

全てを受け入れ、そして全てにあらがえ。

働くよりも呼吸をしていたい

いわゆる社会福祉関係のお仕事についてずいぶん経つ。それまではいわゆるバリバリの営利産業で当然ながら売上至上主義。利益率やら時間当生産性やらをいかに高めるかしか考えていなかった。自分の親父ほどの年齢の部下を叱咤し、新人はコキ使い、自分も死ぬほど働いた。

だけどある日ある時ある出来事から机をひっくり返して辞めてしまった。

とりあえずヤクザやらチンピラ、クレーマーに頭を下げ続けるような仕事はもうしたくなかった。ネクタイを締めただけの若造に頭を下げて仕事を発注してもらうのも本当に嫌だったし、親父ほどの歳の営業マンを呼びつけて価格を叩くのも嫌だった。社歴だけの上司と行きたくもないフィリピンパブにお付き合いするのも本当に嫌だったし、ギャンブルと女遊びと毎度おなじみ「昔はヤンチャしてて」自慢しかない職場の雑談が嫌で仕方なかった。

今では仕事ってそういうもんだとは思っているし、多くの人が今それに耐えて歯を食いしばって生きているのもわかっているけれど、嫌なものは嫌だったんじゃ。

だから転職の理由を聞かれてもたいていはお茶を濁す。甘えとか言われちゃうし(フザケンナ)。それでも話さなければならない時は「尊敬する企業経営者がその道に進みまして、自分もチャレンジしてみようと思いましてですね・・・」とかなんとかテキトーに答えている。本当は芸術家になる度胸もなく自営業を営むのが面倒くさかっただけ。

ゼロではなくとも出来るだけ薄汚い商戦を戦い抜かなくて済むようなビジネスライフを望んだだけ。あ、あっまーい!でも給料少なくてもそれなりには生きられる。覚悟があれば好きなことをして生きていくのは悪いことじゃない。
でもそんなこと話しても理解は得られない。だから話さない。めんどくせーもん。


しかし高齢者福祉にせよ障害者福祉にせよ児童福祉や生活困窮者支援にせよ、こーゆー社会福祉と呼ばれるような仕事をしていると多くの人から「まあまあご立派ねえ」とか「偉いわねえ」とかいう言葉が返ってくる。僕はそれが嫌で嫌でたまらないので「ご職業は」と聞かれたらたいていは「ええまあ、ふつうの会社員で」と答えている。産業スパイでも屋台のテキ屋でもなんでも好きに想像してくれればいいと思う。

そーいえば医療関係だと(「立派」はともかく)あんまり「偉い」と言われないような気がする。似たよーな業種なのに。医者も看護師も稼いでいるイメージがあるからか。よーするに社会福祉産業を「偉い」だの「立派」だの言う人は結局「薄給なのにごくろーさん」ってことなんだろう。バカにしやがってー。当たってるけど。

実際のところ福祉関係のお仕事だからって偉くもなんともないし、立派でもなんでもない。株取引で口に糊しようが恵まれない子供たちのために尽力しつつ薄給で生きようが、本人が好きでやっているのだから誰にどうこう言われる筋合いはない。もちろんそんなの単なる社交辞令で誰も本心から偉いなんて思ってやしないのもわかっているが、とにかくなんかいい気分がしないのだ。オレは絶対人の職業なり就労動機を聞いて偉いとか立派とかうらやましいとか、そんなことを言わない人間でありたい。


今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

おかわりいただけるだろうか

久しぶりの筋少ちゃんLIVEに行ってきました!
いやーLIVEは楽しいね!喉も枯れよとばかりに叫び、拳を突き上げ、もぎれんばかりに首を振ったらそりゃストレスも亜空間までひとっ飛びというもの。ドーパミンノルアドレナリンセロトニンにエンドルフィンが大集合だ。やべえくらいに楽しい。エッチと同じくらいキモチいい。いやマジで。


・・・で、怖いのがアフターなんだよね。あまロス(古いな)みたいなやつ。禁断症状ともまた違うんだけど、寂寥感というかとにかくググっと群馬・・・じゃなくてググッとキモチが下がるんだよね。

38度になった心の体温がLIVE終わりに平熱36.5度に戻ってくれたら別にいいんだけど、どうしても一旦35度になっちゃう。んで、そこからゆっくりと平熱に戻る。このあいだがキツイ。寒くて。とても寒いんだ。

LIVEもエッチも、大きく見れば休日ってのもそうなのかもしれないけど翌日がキツい。
でもだからと言って凍えを恐れてハシゃがないのというのも本末転倒。うーんやっぱりそれはダメだよな。それはよくない。だからググっと体温が下がる時の上手な処し方を身につけておくことがなによりも大切。「呑む前に飲む!」みたいなもん。別にLIVEやエッチが非現実ってわけじゃないけど、日常と非日常の折り合いをつける技術は必要だ。その意味では月曜日ってのは忙殺されるくらいでちょうどいいのかもしれない。ふわーっとしてると悪魔に取り憑かれるような気がする。


閑話休題筋少ちゃんLIVEでオーケンが「今度の新譜は未練・・・未練と言っていいのかな・・・まあとにかく未練とかそういうものについてどの曲も書いていたことに後から気がついたんだよね」(要約)と言っていたけど、これがなんというかググっと来たなあ。「もう51になっちゃったよー」という筋少メンバー本城聡章ことおいちゃんの発言に対しオーケンが「マジでっ?!え、おいちゃんいくつになったのよ!?」と反射的に返したマジボケにもびっくりしたけどさ(笑)。


若いころってのは誰しもが無限に思える果てしない未来をどう乗り切るかを考える。夢とか希望とか目標とか。でもおじいちゃんになると無限に思える果てしない過去にどう落とし前をつけるかを考えるのよ。それは未練であったり、後悔であったり、もちろん栄冠だったり達成感であったりする人もいるだろうけど要するにいいこともわるいことも全部ひっくるめて自分の中でカタをつけようとするんだけどこれがね、結構つらいんだな。つらいというか、重いんだ。重いけどケリはつけないといけない。夢を追うのが大変なように過去にケリつけるのも大変なのよ。

過去のあらゆること、それこそ保育園の頃に見た保母さんのパンチラ・・・じゃなくて夕焼け原風景から暗黒の中高生時代、激動の20代から現在進行形のどよよんゾンビ(初老)に至るまで全てのモニョモニョ人生を整理してきちんと自分の中のタンスに収めなきゃいけない。防虫剤を忘れずにさ。

ま、そうしてきちんとしまってそれからどうすんの?ってのもあるんだけど、それは夢を追い続ける若者に夢を達成してそれからどうすんの?って言ってるような愚問で、いいんだよそんなのどうでも。
若いうちは義務とか強制じゃなく誰しもが夢を描くし、老いれば誰しもが義務とか強制じゃなく過去に対するケジメをつけようとする。ケジメはつかなくとも、整理し咀嚼して受け入れようとする。これは自然の摂理だ。


ま、そーは言っても若者が夢に縛られちゃいけないようにおじいちゃんも過去に囚われちゃいけないと思う。だから気楽にまたLIVE行こうぜ。全国のうら若きおじいちゃん。そして全国のお姫様女王様はどうぞワタクシに綿いっぱいの愛を。


GachifloZ

タオルをいただけるだろうか

こんちは。
手土産はおろか長い人生一度たりともお中元お歳暮の類をいただいたことのない貧民街のGachifloです。


生来のヒキコモリ体質のくせに世間の荒波には揉まれまくっている関係上、手土産を持参した経験というのは数限りなくあります。

学校を出て就職した会社にはどうでもいい客用の「お詫びタオル」なるものがありました。年末年始のご挨拶にご近所に配るような実に安っぽいもので、こんなのもらっても余計にお客さんを怒らせるだけのような気がしますが、それなりに効果はあるようで大抵の「普通の」お客さんは許してもらえました。

ちなみにお詫びタオルにもグレードがあって、「どうでもいい客」はタオル1本巻、「ちょっとうるさい客」にはタオル3本巻となっていました。なんだかなー。


あと、特定顧客(要するに大企業様とかヤー公とか)は臨機応変に買っていいことになっていたのですが、これも3000円・5000円・10000円とグレードがあって「大人の世界はめんどくせえなあー」と常々思っていたものでした。

ただ世間を知らないというのは恐ろしいもので、臨機応変に買っていいとはいえ洋菓子メーカーの社長へお詫びの手土産を持っていく際に和菓子を持って行ったら受け取っていただけないばかりか余計に怒られたことがあります。でも例えば不二家の社長へ謝りに行くときコージコーナーのケーキを持っていくよりいいような気がするんだけどな・・・。
ちなみにその時持っていったのは虎屋の羊羹でした。受け取ってもらえなかったので会社に持って帰ってみんなで食べたのを覚えています。

また、ヤー公の組事務所にお詫びの品を持っていく時には越乃寒梅を持って行ったことがありました。これはなんかとても喜んでもらえました。ヤー公に喜んでもらえて何がいいんだかわかりませんが世の中そんなものよね。


しかし「手土産」というお題で「謝罪のための手土産」しか頭に浮かんでこないオレってやっぱりちょっとかわいそうだよな。「受け取った手土産」なんて発想からしてないんだ、オレ。あー謝罪されたい。タオル1本巻でいいから誰かちょーだい。

GachifloZ


今週のお題「おすすめの手土産」