綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

君と僕の放物線


先日、超久しぶりに「小論文」なるモノを書く機会があった。
毎日毎日こうやって駄文を書き連ねているからまあ書くこと自体は苦でもなんでもなかったのだが、困ったことがひとつあった。「文字制限」である。

ご承知の通りこの日記はダラダラダラダラと思うままに書き連ねているので、「文字数」というものを考えたことがない。
僕はとりあえず文字数オーバーになるのを避けるため、白紙にダダダーッと下書きを書きに書いてそれを清書の段階で縮めたり付け加えたりして体裁を整えた。

でも正直なところ、下書きのほうが100倍面白かった。

なぜなら思うままに書きなぐった下書きにはいつものようにくだらないギャグやらアナグラムやらがたくさん入っていたからだ(しかもこういう時に限って我ながら面白い内容が浮かぶ)。

しかしどうやったってこういうのはオマケの部分で伝えたいことは別にあるからして、カットするとすればこういう所からカットして行かざるを得ない。

そうやって出来上がった「小論文」はもう「マジメ君かっ?!」と自らツッコミたくなるような内容で、実に読み返していて面白くない。「ププッ!」と笑えるところもないし、下ネタもない。「こんな作文誰も読みたかねーよな」と思いつつ「でも仕事の小論文だしな…」と自分を誤魔化してしまった。


小論文に下ネタが必要なのかどうかはともかく、やっぱり読んでくれる人が「アハハwww」となってくれる文書のほうがいいよなあ。とりあえず読んでもらうために書いてるんだし、それなら最後まで読んでもらわなきゃいけないんだし、すべからく表現活動というのは読む人のことを考えるべきではなかったかと。

寅さんじゃないけど、僕はお笑いの中にホロリとさせる要素を入れるかたちというのが一番心に響くと思っている。なんというか、伝えたい事をそのまんま伝えようとすると大抵の人は否定から入るような気がして仕方がない。
伝えたいことはそれが伝えたい事だとわからないように相手の心にスルリと滑り込ませるのが一番伝わるような気がする。



今日は久しぶりのお休みだったので旧岩崎邸庭園に行って来ました。

が、しかーし。ツイてない時はツイていないもので、静かな雰囲気の中優雅な古い洋館を観覧しているといきなり職員用の消防訓練が始まってしまいました(T . T)。

静かな洋館に鳴り響く避難アナウンス!初期消火に走り出す職員さん!そりゃあ重要文化財だからそういうの大切だろうけど何もオレがひとり静かに過ごそうと訪れた時にやらんでも!休園日にやってくれよと思いつつ、ちょっとトホホ。かなりガックシ。


「ついてねえなあ〜。入館料割引してくんねえかな〜」と僕はひたすら豪華絢爛な洋館でひたすら庶民的なセコい事を思いつつ、洋館のベランダから庭園で勢い良く行われている放水訓練を見ていた。


これ以上ない秋の青空に向けて天高く放物線を描いた大量の放水は庭園の緑にとても映えて美しく、なんとなく虹まで見えたような気がした。


僕は庭園に降り注ぐたくさんのキラキラを見ながらなんとなく「ああ、雨降って地固まるってことかあ」とぼんやり考えていた。


GachifloZ