綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

偶像のレクイエム

Appleの象徴、スティーブ・ジョブズが死んで1年。

訃報を知ったのは今座っているこのオフィスのこのPCだった。たしかiGoogleのトップにひっそりと"STeve Jobs 1955-2011"という記述があって、一瞬「?」となった後にその意味する所を知り愕然となったのをよく覚えている。


別れはいつも突然だ。

そして人生は「思えばあれが最後の○○だった」という事の連続だ。

ジョブズの最後のプレゼン。
大滝秀治の最後の芝居。
誰もそれが最後だなんて思ってはいなかった。
予感はしても、やっぱり誰もそれは知り得ることではなかったはずだ。神様以外は。


僕が最後に父に会ったのはいつだったろう。
僕が最後に見た映画はなんだったろう。
最後に笑ったのはいつだったろう。
最後に誰かの作ってくれたおにぎりを食べたのはいつだろう。
最後に恋人に手を振ったのはいつだったろう。


美しい三陸海岸を観たのはあの時が実は最後だった。
好きだったウエンディーズのハンバーガーを食べたのはあの日が最後だった。
落として割ってしまったお気に入りのウエッジウッドのカップで紅茶を飲んだのはあの日の夕食が最後だった。



いつだって、なんだって、それが最後になるなんて誰も思っちゃいない。


だから「最後」ってのは「ああ、思い返せばあれが最後だったなあ」と思い返すものであって、「これが最後です」と宣言される最後ってのを僕はあんまり信用していない。きっと引退と復帰を繰り返すプロレスラーと解散と再結成を繰り返すロックバンドばかり見てきたせいだろう。


別れはある。
別れは特別なことでもない。
別れはいつだって身近にある。

友達に「じゃあまた明日な」と手を振るのも別れだし、
「いってらっしゃい」とガールズを学校に送り出すのも別れの一つだ。


ただ、それでも人生は続く。

ジョブズ亡き後のiPhone5だけれど、やっぱりそれはジョブズとの別の形での再会のような気がする。

人生は続く。ずっとね。



Gachiflo
oooxxx