綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

イイネ、ヨクナイネ。

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リハビリ日記。

なんとなーく減量成功。
なんとなーく、というのは献血400cc抜いたら目標達成するところまで来たというもの。達成はしてないけど実質達成だよな、ということで。マイナス10キロでした。

というわけで
チャーハンを食い、餃子を食い、ステーキを食い、カレーを食い、まぜそばを食い、親子丼を食い、パンケーキを食い・・・な毎日。
なんだかなー。
なんのために痩せたんかなー。


だいぶ前インスタグラムへUPした写真に(どこでどう目に止まったのか謎なのですが)見知らぬ外国の方たちから立て続けに「イイネ!」がつきました。

僕はインスタグラムをTwitter的な感覚で捉えているので、決してリアル知人に知られたくないし、自撮り写真もUPしません。朝のバラエティ番組が大っ好きな「インスタ映え」とか本当にクソだと思ってるから、「イイネ」がつくとかつかないとかマジでどうでもいいと思っています。

Twitterはただ「つぶやくこと」そのものに意味があると思っているし、SNSへの共感も反感もそりゃ十人十色でいいんじゃないの、としか感じません。たくさんイイネをくれた方、ありがとう。イイネ返ししなくてごめんなさい。だってめんどくさいんだもの。

やりたいからやる、つぶやきたいからつぶやく、痩せたいから痩せて、食べたいから食べる。それでいいよねえ。だめかなあ。だめなんだろうなあ、きっと。


GachifloZ

あなたがわたしにくれたもの

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昔好きだったLP(死語)です。
車のエンジンスタート音や走行音、ドアの開閉音(笑)などを収録したアルバム。大好きでよく聴いていましたが、今思えばやっぱり病気っぽい。

先日ラジオで換気扇のファン音でメーカーはおろか機種名年式まで当てるという「換気扇マニア」の方が紹介されているのを聴きました。あれもすごいなあと思いますが、やはり凡百の市井の民には理解できないでしょう。でもすごい。

僕にも誰かに誇れるものあるかしら、とたまに考えますが何にもありません。何か誰よりも出来るものがあるひと、うらやましいな。そうなりたいとは思わないけど。
だって何かを得ている人はかならずその代償として何かを失っているものだから。

そして逆もまた真なりで、何か途方も無いものを失った人はその分なにかを得ている。それが望むものであるかどうかは別として。

若い頃はお金をたくさん持っている人が羨ましかったけど、おじいちゃんになるまでにたくさんのお金持ちを見てきて、もう100%共通して思ったことが「ああ、こうはなりたくない」だった。

ほとんど家に帰ることのない人、近づく人すべてが信じられない人、周りが全てご機嫌取りの醜悪な人間ばかりの人・・・ああ嫌だ嫌だ。

今のまま、100億万円くらい手に入らないかな。
ああでもそうしたら100億万円分の何かを僕は失うのか。
それなら100万円くらいでいいかな。
いや、1万円くらいでいいか(笑)。

ううん、やっぱり今のままでいいや。


GacifloZ

いつも下心でいっぱいです。

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さっききれいな女の人に「ありがとうございます」と言われたのですが、いつもなら「感謝の言葉よりもおっぱいもませて」と思うところが、「この人(=オレ)は『ありがとうございます(にっこり)』と言っておけばきっと喜ぶだろう」と思ってそう言っているんじゃないのか、今の言葉はそう聞こえたぞ・・・という気がしました。
なんなんだろう?普段そんなこと感じることない単細胞ミドリムシ人間なのに?

きっとその直前に人生でいちばん嫌いな女は誰だったろうと考えていたからかな。
ああやっぱりそんなこと考えるんじゃなかった、ノーカンノーカン。まあでもその女の名前すら忘れていることがわかったから良かった。このまま記憶の宮殿の地下35階の掃除用具入れロッカーの奥にでも突っ込んでおこう。ギギーガッシャン。カチャッ(鍵を掛けた音)。

 

4月の終わりにダイエットを始めて50日くらい経ちます。
かつて行ってきたような気違い沙汰のダイエット方法(絶食+サウナ+献血+下剤+ハードな運動、をセットで繰り返す)ではなく、確かな知識と豊かな経験に基づいたダイエット法を続けています。

現在マイナス8キロで停滞中。
目標のマイナス10キロまでもう少しですが、慌ててはいません。のんびりやっています。

ダイエットに成功したら、食べたいものがあります。
すた丼、二郎、ラーメン、まぜそば、餃子、チャーハン、カレー、とんかつ。毎週毎週お休みのたびに一つずつご褒美をあげたいと思っています。ああ楽しみだなあ。

ガールズには「一週間で元に戻るね!」と揶揄されておりますが、気にしないのです。だってそしたらまた50日間ダイエットすればいい。「やれるんだ」という事がもうわかっているので別に怖くないのです。

受かるか受からないかわからない受験勉強はやりたくありませんが、やれば受かるとわかっているなら苦になりません。
これまでどんだけやっても自分の意思では、努力では、どうにもならないことばかりが続いていたので、本当に気が楽です。


いろんなことがたくさんあって、いろんな経験値を積み重ねて、今ようやく楽になりました。思えば遠くへ来たもんだ。みなさんもしあわせでありますように。きれいなお姉さんに「おっぱい揉む?」って言われますように。


GachifloZ

私、結構「不幸そう」に見られるのですが

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・・・見られるのですが、実はそうでもありません。

「大変そうだね」「つらいね」とか言われると「そうなんですよ~」と言っておくほうが何かと都合がいいのでそう思って頂いておくことにしますが、本人的には実はそうでもないのです。「むしろお前らのほうが大変そうだぞザマーミロ」と心の中で思っているのは内緒です。

 


この前、夜にベランダで洗濯物を取り込んでいたら子どもの叫び声がしたんです。
「やめて!やめてよう!」次はがんばるからやめてよう!とか。それはそれは大きな声でした。

僕は「すわ(死語)、虐待!?あるいはヤンキーにでも絡まれてるのか?」と思い、ベランダから声のするほうへ視線を向けましたが植樹に隠れて何も見えませんでした。

「やめてよう!なんでもするからあ!おねがいだよう!」と叫び声はその後もしばらく続き、僕は様子を見に行こうか、あるいは警察に通報しようかさんざ逡巡しました。
今思えば逡巡する前に行けよ、行けばわかるさ、ダー!!と思うのですが、田舎じゃあるまいし人通りがない場所じゃないし、おそらく近隣中に聞こえてたでしょうし、なんで誰も覗きに行かないんだ?いや、そんなわけはない、とすると一体何が起こっているんだ???という想像ばかりが膨らんでいました。

その後とんでもない叫びが聞こえてきました。

「おかあさん自殺なんてやめてよう!」


えええええええええええ!!!
僕は思わず家を飛び出そうとしましたが、その瞬間に叫び声が止まりました。
おそらく道行く傍観者がさすがに声でも掛けたのでしょう。


それきり静寂が流れ、結局救急車もパトカーの音も聞こえてきませんでしたから、とりあえずその場では事なきを得たのだと思います。

叫び声の正体はまさかの「逆・虐待」。
こんなこともあるのですね・・・。だめだろそれ・・・。

 


僕のまわりには家庭に問題をかかえ一人苦しんでいる女性が結構います。本当にこちらが「生きててすいませんんんん!」と叫びたくなるほど気の毒な方たちです。100%その女性に非は無いのが更に心をえぐります。

正直、過労心労でいつ事故にあっても起こしても不思議じゃありません。自ら生命を絶とうとしても不思議ではありません。そんな人たちに僕は何も出来ません。


何か出来ることはないのかな、とは思いますし、もしかしたら何か出来ることがあるのかもしれません。でもあの子どもの叫び声をただ何もせずベランダで聞いているだけだった僕なんぞに出来ることなどやっぱり何もない、とも思います。


なんというか、善人ぶっても結局のところは紛争地帯で苦しむ難民の人を見ているような、そんな感覚なのかもしれません。あるいは勝手に人様に「カワイソウ」のレッテル貼りして、むしろ悦に入ってるんじゃね?とも思います。

 


いっつもわからなくなるのですが、とにかく僕は手の届く人が望むなら、望むなら、精一杯手を伸ばそうと思っています。なんとかしたいし、してあげたい。間違った手の伸ばし方をしてしまうかもしれないけれど、それでも救いたいというわがままな衝動も大切にして行きたい、そう思う次第なのであります。

ご迷惑お掛けしていたら本当にごめんなさい。

 

GachifloZ

 

 

 

 

誰もわかってくれないけど。

わかりあえないことをわかりあえるかが大切

 

だと思うのです。

なかなか思うことがわかってもらえない。

歯がゆくて悔しくて自分の伝え方が悪いのだとか、まあそれはそれはいろいろ考えてしまうのですが、結局のところわかってもらえない。

 

それが友人でも恋人でも家族ですらもわかってもらえないので、所詮は他人よねとか思ってしまいますが、考えてみれば他人どころか自分自身にすらもわかってもらえていないのでは?

 

でも、わかってもらえないことが当たり前なんだと思うと結構楽になります。

逆にわかってもらえないことを互いにわかりあえている人となら結構いい関係が構築できるのではないかとも思います。

 

僕はそもそも友人がいないので語りかける相手は大抵自分自身になりますが、「オレにはわかってもらえねえだろうなあ」と思うとなーんか釈然としない欲求や願望みたいなものを純粋に思うことが出来るような気がします。

やっぱりなんでも正当性というか整合性とか他人の事情とか心情とか考えちゃいますから。

 

でもそんなの何もなくったっていいんだと思うのです。やりたいことをやればいい。おまわりさんに捕まらない範囲なら。

 

わかりあえないことをわかってる間柄ならきっと肯定してくれます。たぶん。

 

GachifloZ

 

 

ひとり上手な女の子

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ちっちゃかったうちのガールズ1号2号もすっかり大きくなってしまい、後ろ姿だけだとカミさんなのかガールズなのかわからなくなってきました。あな恐ろしや。恐ろしや。ガクガクブルブル。


「いつオレがいなくなってもいいように」と小さい頃から家事全般を教えこんできた甲斐あって最近では洗濯食事掃除と役割分担の押し付けに成功し、僕のすることもほとんどなくなってきました。この感じなら早い時期に家を出てもそれなりに生きてはいけることでしょう、


去年の冬、北海道まで ももクロさんドームツアーに行ってきましたが、おそらくこれが最後の家族旅行になるでしょう。
あれほど皆で行ったディズニーリゾートへもこれからは各自が各自の友人知人恋人たちと行くことになるでしょう。
カミさんも最近は某バンドの追っかけで不自由な身体を引きずりながら毎週毎週全国を一人旅しています。
それでいいのです。


「俺の逆の道を行けばきっと幸せになれる」と教え込んできただけにガールズは二人ともお友達が多く、学校の部活動にも精力的です。おかげで家で僕はひとりきりの時間を過ごすことが多くなりました。

寂しい気持ちがないかい?と言われればそういう気持ちも確かにあるのですが、「これでいいのだ」という気持ちのほうが強いです。

 

ただ、僕の人生の真逆を行く彼女たちに対し心配なこともあります。

それは「ひとり下手」なことです。


僕はこのネジ曲がった性格から「ひとりきりの時間」を過ごすのが得意です。他人に依存することなく自分依存で充実感や満足感を得ることができます。「自分甘やかし」が好きだし、「自分いじめ」も得意です。そしてその中で編み出された「自分がOKならOK」という確固たる信念、肥大化した傍若無人な自意識こそ僕の生きる杖なのです。


これがないとつらいのではないかな、と思ってしまうのです。
誰かに承認されなければ自信が持てないとか、不安になっちゃうとか。感謝の言葉や賞賛の言葉ががなければ自分の価値が無いように思えてしまったりとか。ちっともそんなことないのに。

 

「キミはキミ、それでいいのさ」と僕からニヒルに言われたところで彼女たちの不安はぬぐえないでしょう。
ちょっとそこだけ心配なんだよなー。


GachifoZ

うらやましい人

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夏のような暑さがやってきて、シャツの袖をめくる機会が増えてきました。

僕の左手首には去年サンタさんにもらったAppleWATCHが装備されているのですが、これまでずっとシャツの袖を伸ばしていたのでほとんど誰にも気付かれていませんでした。それが「袖めくり」によってあらわとなり、他人様の目に触れるようになりました。なんだかんだで目立ちますし。

「あっ、それAppleWATCHですか?」とか
「AppleWATCH買ったんですか?」とか
「バカじゃねえのAppleWATCH買ってやんの!」とか
様々な他人に様々なことを言われるようになりました(一部心の声含む)。

僕はそのたび「いやーずっと前からしてたよー」とか「サンタさんにもらったんでちゅう」とか微妙にツボを外したとんちんかんな受け答えをしているのですが、中に「いいなあ、それいいですねえ、いいなあ、うらやましいなあ」とずっと言ってくる女の子がいました。


僕はその人に対し「僕のほうこそ君がうらやましいよ」と心で思っていました。


僕は他人が自分の欲しい物を持っている時、その人に「いいなあ」「うらやましいなあ」と素直に言えません。「持たざる者」である自分を認めたくないし、「持ちし者」として他者を自分より高みに置くことが嫌なのです。なんてチンケな男でしょう。僕はこんな僕の性格が嫌で仕方ありません。

でもそういう(良く言えば)負けず嫌いこそが僕を成長させて来た気がします。素直に人を「羨ましい」と思えるような自分であったら今の自分はなかったでしょう。いつだって「今に見てやがれオレだって」とギラギラしていたからこそ今ここでこうしていられるのです、


ただ、「今の僕でない僕」のほうがいいヤツだったんじゃないかなーとも最近よく思うのです。

素直に人をうらやむ事が出来る素直なオレ。ああもうなんか全く想像つきませんが、きっとそんなオレはモッテモテでオシャレでスポーツ万能で楽器なんかも自在に弾けるような気がします。もちろん年収2000万くらいでリッチな暮らしをしていることでしょう。
いいなあ、うらやましいなあ。

 


うーん、しかしもう一人のオレがどんだけいいヤツか知らんけど、今のオレはそんなヤツ大嫌いだな(笑)。


GachifloZ