私、結構「不幸そう」に見られるのですが
・・・見られるのですが、実はそうでもありません。
「大変そうだね」「つらいね」とか言われると「そうなんですよ~」と言っておくほうが何かと都合がいいのでそう思って頂いておくことにしますが、本人的には実はそうでもないのです。「むしろお前らのほうが大変そうだぞザマーミロ」と心の中で思っているのは内緒です。
この前、夜にベランダで洗濯物を取り込んでいたら子どもの叫び声がしたんです。
「やめて!やめてよう!」次はがんばるからやめてよう!とか。それはそれは大きな声でした。
僕は「すわ(死語)、虐待!?あるいはヤンキーにでも絡まれてるのか?」と思い、ベランダから声のするほうへ視線を向けましたが植樹に隠れて何も見えませんでした。
「やめてよう!なんでもするからあ!おねがいだよう!」と叫び声はその後もしばらく続き、僕は様子を見に行こうか、あるいは警察に通報しようかさんざ逡巡しました。
今思えば逡巡する前に行けよ、行けばわかるさ、ダー!!と思うのですが、田舎じゃあるまいし人通りがない場所じゃないし、おそらく近隣中に聞こえてたでしょうし、なんで誰も覗きに行かないんだ?いや、そんなわけはない、とすると一体何が起こっているんだ???という想像ばかりが膨らんでいました。
その後とんでもない叫びが聞こえてきました。
「おかあさん自殺なんてやめてよう!」
えええええええええええ!!!
僕は思わず家を飛び出そうとしましたが、その瞬間に叫び声が止まりました。
おそらく道行く傍観者がさすがに声でも掛けたのでしょう。
それきり静寂が流れ、結局救急車もパトカーの音も聞こえてきませんでしたから、とりあえずその場では事なきを得たのだと思います。
叫び声の正体はまさかの「逆・虐待」。
こんなこともあるのですね・・・。だめだろそれ・・・。
僕のまわりには家庭に問題をかかえ一人苦しんでいる女性が結構います。本当にこちらが「生きててすいませんんんん!」と叫びたくなるほど気の毒な方たちです。100%その女性に非は無いのが更に心をえぐります。
正直、過労心労でいつ事故にあっても起こしても不思議じゃありません。自ら生命を絶とうとしても不思議ではありません。そんな人たちに僕は何も出来ません。
何か出来ることはないのかな、とは思いますし、もしかしたら何か出来ることがあるのかもしれません。でもあの子どもの叫び声をただ何もせずベランダで聞いているだけだった僕なんぞに出来ることなどやっぱり何もない、とも思います。
なんというか、善人ぶっても結局のところは紛争地帯で苦しむ難民の人を見ているような、そんな感覚なのかもしれません。あるいは勝手に人様に「カワイソウ」のレッテル貼りして、むしろ悦に入ってるんじゃね?とも思います。
いっつもわからなくなるのですが、とにかく僕は手の届く人が望むなら、望むなら、精一杯手を伸ばそうと思っています。なんとかしたいし、してあげたい。間違った手の伸ばし方をしてしまうかもしれないけれど、それでも救いたいというわがままな衝動も大切にして行きたい、そう思う次第なのであります。
ご迷惑お掛けしていたら本当にごめんなさい。
GachifloZ
誰もわかってくれないけど。
わかりあえないことをわかりあえるかが大切
だと思うのです。
なかなか思うことがわかってもらえない。
歯がゆくて悔しくて自分の伝え方が悪いのだとか、まあそれはそれはいろいろ考えてしまうのですが、結局のところわかってもらえない。
それが友人でも恋人でも家族ですらもわかってもらえないので、所詮は他人よねとか思ってしまいますが、考えてみれば他人どころか自分自身にすらもわかってもらえていないのでは?
でも、わかってもらえないことが当たり前なんだと思うと結構楽になります。
逆にわかってもらえないことを互いにわかりあえている人となら結構いい関係が構築できるのではないかとも思います。
僕はそもそも友人がいないので語りかける相手は大抵自分自身になりますが、「オレにはわかってもらえねえだろうなあ」と思うとなーんか釈然としない欲求や願望みたいなものを純粋に思うことが出来るような気がします。
やっぱりなんでも正当性というか整合性とか他人の事情とか心情とか考えちゃいますから。
でもそんなの何もなくったっていいんだと思うのです。やりたいことをやればいい。おまわりさんに捕まらない範囲なら。
わかりあえないことをわかってる間柄ならきっと肯定してくれます。たぶん。
GachifloZ
ひとり上手な女の子
ちっちゃかったうちのガールズ1号2号もすっかり大きくなってしまい、後ろ姿だけだとカミさんなのかガールズなのかわからなくなってきました。あな恐ろしや。恐ろしや。ガクガクブルブル。
「いつオレがいなくなってもいいように」と小さい頃から家事全般を教えこんできた甲斐あって最近では洗濯食事掃除と役割分担の押し付けに成功し、僕のすることもほとんどなくなってきました。この感じなら早い時期に家を出てもそれなりに生きてはいけることでしょう、
去年の冬、北海道まで ももクロさんドームツアーに行ってきましたが、おそらくこれが最後の家族旅行になるでしょう。
あれほど皆で行ったディズニーリゾートへもこれからは各自が各自の友人知人恋人たちと行くことになるでしょう。
カミさんも最近は某バンドの追っかけで不自由な身体を引きずりながら毎週毎週全国を一人旅しています。
それでいいのです。
「俺の逆の道を行けばきっと幸せになれる」と教え込んできただけにガールズは二人ともお友達が多く、学校の部活動にも精力的です。おかげで家で僕はひとりきりの時間を過ごすことが多くなりました。
寂しい気持ちがないかい?と言われればそういう気持ちも確かにあるのですが、「これでいいのだ」という気持ちのほうが強いです。
ただ、僕の人生の真逆を行く彼女たちに対し心配なこともあります。
それは「ひとり下手」なことです。
僕はこのネジ曲がった性格から「ひとりきりの時間」を過ごすのが得意です。他人に依存することなく自分依存で充実感や満足感を得ることができます。「自分甘やかし」が好きだし、「自分いじめ」も得意です。そしてその中で編み出された「自分がOKならOK」という確固たる信念、肥大化した傍若無人な自意識こそ僕の生きる杖なのです。
これがないとつらいのではないかな、と思ってしまうのです。
誰かに承認されなければ自信が持てないとか、不安になっちゃうとか。感謝の言葉や賞賛の言葉ががなければ自分の価値が無いように思えてしまったりとか。ちっともそんなことないのに。
「キミはキミ、それでいいのさ」と僕からニヒルに言われたところで彼女たちの不安はぬぐえないでしょう。
ちょっとそこだけ心配なんだよなー。
GachifoZ
うらやましい人
夏のような暑さがやってきて、シャツの袖をめくる機会が増えてきました。
僕の左手首には去年サンタさんにもらったAppleWATCHが装備されているのですが、これまでずっとシャツの袖を伸ばしていたのでほとんど誰にも気付かれていませんでした。それが「袖めくり」によってあらわとなり、他人様の目に触れるようになりました。なんだかんだで目立ちますし。
「あっ、それAppleWATCHですか?」とか
「AppleWATCH買ったんですか?」とか
「バカじゃねえのAppleWATCH買ってやんの!」とか
様々な他人に様々なことを言われるようになりました(一部心の声含む)。
僕はそのたび「いやーずっと前からしてたよー」とか「サンタさんにもらったんでちゅう」とか微妙にツボを外したとんちんかんな受け答えをしているのですが、中に「いいなあ、それいいですねえ、いいなあ、うらやましいなあ」とずっと言ってくる女の子がいました。
僕はその人に対し「僕のほうこそ君がうらやましいよ」と心で思っていました。
僕は他人が自分の欲しい物を持っている時、その人に「いいなあ」「うらやましいなあ」と素直に言えません。「持たざる者」である自分を認めたくないし、「持ちし者」として他者を自分より高みに置くことが嫌なのです。なんてチンケな男でしょう。僕はこんな僕の性格が嫌で仕方ありません。
でもそういう(良く言えば)負けず嫌いこそが僕を成長させて来た気がします。素直に人を「羨ましい」と思えるような自分であったら今の自分はなかったでしょう。いつだって「今に見てやがれオレだって」とギラギラしていたからこそ今ここでこうしていられるのです、
ただ、「今の僕でない僕」のほうがいいヤツだったんじゃないかなーとも最近よく思うのです。
素直に人をうらやむ事が出来る素直なオレ。ああもうなんか全く想像つきませんが、きっとそんなオレはモッテモテでオシャレでスポーツ万能で楽器なんかも自在に弾けるような気がします。もちろん年収2000万くらいでリッチな暮らしをしていることでしょう。
いいなあ、うらやましいなあ。
うーん、しかしもう一人のオレがどんだけいいヤツか知らんけど、今のオレはそんなヤツ大嫌いだな(笑)。
GachifloZ
代謝を上げるには筋肉量より・・・
犠牲は、超時間的な、超感覚的な、無制限なものと結びついている。それは、たとえ「無駄」であろうと、「無意味」ではない。犠牲は、すべての人間的な事象を超えた神秘を啓示するものである(カール・ヤスパース)
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ダイエット続報。
停滞期なのです。
先週4キロほど落ちたと思ったらこの一週間全然体重が落ちません。
脂肪を燃焼させるどころかもはや基礎代謝が「無い」としか思えない。
あゝ恨めしきはロストオブマイ基礎代謝!!
というわけで代謝を増やすべく筋トレを強化中。
(基礎代謝を上げるには筋肉量を増やすのが効果的らしいのです)
体重は落ちないものの、懸案だった横っ腹のぷにぷには少しずつ消失してきた気がします。ただまあそれでもやはり体重計のような「目に見える指標」が伴わないとちょっと不安。おじいちゃんの心はとっても繊細なガラスの十代なのです。
しかし毎日毎日サラダだの鶏ささみだのばかり食べてると本当に淫獣あるいは肉食獣であるところの自分という本質を忘れてしまいそう。本当にこれでいいのかしらん?
現在の主なダイエット構成を記すと、
朝はシリアル100g。ブロッコリーとプチトマト、たまごやき親指くらいの量。
昼はローソンのブランパンもしくはファミマのライザップパン1つ。
お腹がすくのでおやつにカロメを2本(1包装)。
夕飯はグリーンサラダにサラダチキンをメインとしつつ日々のおかずを醤油皿で一皿分くらい(炭水化物以外)。
腕立ては本当にできなくなっていて20回程度。
日々わずかずつ増やしていく。
腹筋はいろんな体位(?)で合計100回から200回。
こちらも日々少しずつ増やしてる。
トレーニング後にはプロテインを1杯。
休日には最低3キロ歩くかもしくはそれに類する運動を。
お腹が全く動かないことへの対策は整腸剤。
どーしてもダメな日が続いたらコーラックハーブ。
水分補給はしっかり。
会社ではブラックコーヒー、休日はブルジョワジーにトクホのお茶。
・・・って、これで痩せないってどういうこと?
代謝がないにも程があるだろうよ?
何がダメなのかなー。
・・・と悩みつつ昨日は筋肉少女帯のLIVEに行ってきました。
「これまで幾度となくリリースしてきては轟沈し続ける筋少のシングル盤に果たして意味はあったのか?」と(今更ながらに)ファンに問う、題して「筋少シングル盤大戦!」。
いやーひさしぶりの曲も多くて今回も楽しかった(^o^)。
各曲それぞれのリリース時を思い出しつつ声を限りに叫び、拳を突き上げ、首を振りまくったら帰宅後なんと体重がここしばらくで最低になっていました!!
おそらく私の場合、筋肉量不足ではなく筋少力不足であったのでしょう。
思えば確かに「熱量不足」なのだろうな、と思います。
どんなに科学的だろうが理にかなっていようが、身体を燃やすのに何より効果的なのは「心が燃え上がること」なのだと思います。それが向上心やら努力、感動といった善なるものではなく、恨み、つらみ、屈辱、怒りといった負の感情であっても、とにかく「心が揺り動かされる」ことがヒトの活動エネルギーを増大させる何よりの要因なのだと思います。オカルティックであろうとなんだろうとそういうものなのです。
だからこれからも歯を食いしばり、良くも悪くも「フンガー!」とたぎるような精神の、魂の高揚を追い求めて脂肪を燃焼させようと思います!
もちろん最終目標は好きな女の人からの「ウッフ~ン、Gachifoさんってば素敵ィ~!抱いてほしいわ~ん」という言質GETです。それこそが生きる糧なのですから。
GachifloZ
P.S.
成功にせよ失敗にせよそれを評価するものは己以外になく、過去になしえてきた全てのことに対し意味があったのかどうかについても己自身の心が決めるもの。かっこよくてもダサくても、きっとそれでいいのです。きっとそれだけでいいのです。
ぎゃふんばかりの日々なれど。
家のBLレコーダーで録画したディスクをリッピングしようと会社に持ってきたつもりがメディアのケースだけ持ってきてしまった。
ギャフン、である。
朝起きてAppleWATCHをしようとしたら昨夜風呂に入る時に脱衣場に置きっぱなしで充電できてなかった。
ぎゃふん、である。
以前脱獄したiPhone3GSのジェイルブレイクが解けてしまっていたのでやりなおしたいがいくらやってもうまくいかない。初期化するのもめんどくさい。
これはトホホ、である。
会社で飲む用にコンビニでスティックコーヒーを買ったら砂糖入りだった。ダイエット中なのに。
ぐぬぬ、である。
いきなりステーキで肉ダイエットというのをしている人が多いとマスゴミに踊らされ何回か通ったがお財布が持たない。
むぬう、である。
夢の中で気難しいラーメン屋さんでうまく注文できず落ち込んだ。さらに食後っ常連さんにダメ出しされてしまい落ち込んだ。
めめめのくらげ。
かくの如く世の中はうまくいかないが、いいことだってある。
いいこと、っていうのも見方次第で実はちっとも良いことじゃなかったりするけれど、僕は気にしない。気にしないというより考えない。
なんであれ「気にしない」「考えないでいられる」というのは最近気がついた僕の才能だ。
とてもありがたい才能だと思う。
感謝感謝。
GachifloZ
お腹がひっこんだらモテモテになりますか?
この前ふと鏡を見るとお腹周りがバンバンビガロ並にぶよよ~んとしていました。自分でもドン引きするくらいです。バンバンビガロならまだ張りがあるというものです。ぶよよよよ~んなのです。
「これでは女の人に嫌われてしまう!」と一念発起して久しぶりにダイエットをすることにしました。
しかしとにもかくにもまず大敵なのが心に巣食う「もったいないおばけ」です。
職業柄しばしば給食の試食といいますか、検食と呼ばれる毒味役をしなければならないのですが、これが流石に栄養豊富(特に炭水化物が豊富)なのです。
そして何より問題なのはこれが「残せない」ことです。
基本的にお育ちがよろしいものですから、出されたものを残すことに対して非常に強い罪悪感、嫌悪感があるのです。
自分の作ったものならともかく、人様が想いを込めて作ってくれたものを残すことが本当に申し訳ない。
自分も日々家族のご飯を作っていますが、やはり残されると「あれ、不味かったのかな・・・」とか「怒らせることしたかな・・・」「死ねッ!とか考えてるのかな・・・」と思ってしまいます。
おまけに食べ残したお皿というのは本当に汚い!それもすごく嫌なのです。
さらに「今日は昼ごはんの検食も無かろう(^ ^)」とコンビニで鮭おにぎりなんて買っていった日に限って検食を頼まれてしまいます。もちろんおにぎりも食べる。そうすると高カロリー+高炭水化物+高糖質のヤサイカラメアブラマシマシ状態です。
食べなきゃ良いじゃんって思ったそこのアナタ!せっかく買ったおにぎりがもったいないじゃないですか!セブンイレブンのセントラルキッチンのおにぎりマシーンが私のために心をコメて握ってくれたと言うのに!
そんなわけでまずはそこらへんをクリアします。
(1)白米類は全て残す。残すが、箸でギュウギュウにおしつぶし、お茶碗の片側に押し付け、いかにも「半分食べました」のテイにする。
(2)おかずのうち、イモ類や揚げ物のコロモ類などは、はじいたあとにお皿に残したまま下膳せず、ティッシュなどで拾い上げこっそり別に捨てる(これも相当な罪悪感がありますがひたすら耐える)。
(3)麺類の日は検食を頼まれるタイミングの時にひたすら事務所を離れる!
どんな用事でもいいから離れる。麺類はごはん類と違って「のびてしまう」という特性があるので、10分15分席を外せば私以外の人に検食が振られる可能性が非常に高い。
(4)コンビニおにぎりをあらかじめ買って会社に行かない!
基本的に検食を毎日振られるつもりで考える。検食が無ければ昼休みにコンビニへ走ってローソンのブランパンを食べる。
これで最近のボテッ腹の大きな要因である検食に因る栄養過多はほぼ防げるはず!!
この上で、引き続き朝食はシリアル100g。
夕食は炭水化物を完全に抜いて野菜メイン。
もちろん食後のデザートはガールズにあげちゃう。
風呂上がりのアイスもやめた。
お休みの日の二郎めぐりも一時休戦。
ラーメンだけでなく、すた丼も大好きなカツ丼も一時休戦。
毎週金曜日はカレーの日だが、これはもう国家の行事なので仕方がない。お寿司1貫くらいの白米に具なしルーで食べている。
腹筋も再開した。寝っ転がっている時はいつも両かかとを床から10cm上げている。
本当は腹筋と腕立てをいつも一緒にやってたんだけど、いつからか腕立ての姿勢を取ると本当に手首が痛くて仕方ないので無理しないようにした。
相変わらず胃腸の機能はひどいもんだけど、以前のように下剤をガンガン飲んで自己消化機能をさらに低下させることの無いようビオフェルミンやらビフィズス菌やらの整腸剤をきちんと飲むようにした。
お風呂も基本的にカラスの行水なのだけれど、本を読みながら気持ち長めに浸かるようにした。本と言ってもリリパットアーミーの戯曲だったり、オーケンのエッセイだったり、肩の凝らないものにした。
久しぶりにスパへ行った。
久しぶりに献血をした。
暇な休日は1万5千歩をノルマに歩いている。
約10日で4キロ落ちたんだけど、全然落ちなくなってきた。
ただお腹は引っ込んできた。
まあ体重が落ちなくてもお腹が引っ込めばいいや。
ああ早く痩せて宇都宮餃子会監修「焼餃子ダブル」弁当をお腹いっぱい食べたいッ!!
GachifloZ