綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

あーりんさんとまいんさんとぼく

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毎日ヒマである。
ヒマであるからして余計なことをたくさん考える。

初めて観た時はまだ中1だったあーりんが二十歳になった。人生とはいったいなんだろう。そういえば小学生だったまいんさんだってもうすぐ18歳だ。選挙権獲得だ。かえすがえすこの止まらないライフストリームは一体なんなのだろう。


作文が子どもの頃から得意だったので、大学に入った時「本を書きたい」と思った(勉強しろ)。それにその頃はライブハウス通いもしていたので、音楽もやってみたかった(だから勉強しなさい)。更にはそれまでやっていた演劇と美術(絵画と造形)も活かせる活動は無いかと考え、人形劇をやることにした(何しに大学へ行ったのかもはや不明)。

自分で脚本を書いて音をつけて様々な人形やら小道具、機械仕掛けの大道具を作り、自ら演じてみたらとても楽しかった。
それ以来、マルチプレイヤー一色の人生だ。

とにかくなんでも自分でやる。仕事もそうだけど家事にしても育児にしても介護にしても「やらなければならないこと」はなんでもやれたし、やってきた。出来ないのは「やらなくてもべつにいいこと」ばかりだ。たとえば球技が出来ない。野球ならライト頭上の凡フライだって捕れない。フルマラソン42.195kmは走れない。シタールは弾けないし、トロール船の運転も未だに出来ない。

しかしそんな「出来なくてもいいこと以外はなんでも出来る」オレ様がなによりも誰よりも全く出来ないのは「人とコミュニケーションを取ること」だ。なんでも小器用にやれるのに、人としていちばん大切な能力が完全に欠落しているというのはきっとなんでも出来る能力の裏返しなんだろうと思っている。人は何かを得るために何かを失わねばならないのだ。


親父様は「友人を作れ。作らないと今に後悔するぞ」とオレが幼少のみぎりから口を酸っぱくして言い続けてきた。友人というやつはどうやらオレを助けて下さるらしい。
しかし友人を作らぬまま半世紀近くが経過したが「うむう、こ・・こんな時、友人がいてくれたらなあ!」と思える機会についぞ巡り合わなかった。おそらくは「友人が真に必要な時期」をはるかに通り越してしまったような気もするので、どうせならこのままでも良いような気がする。


ただ、最近は身体の不調が顕著だ。この前インドカレー屋でランチサービスのナンをおかわりしたら夕飯がまったく入らなかった。以前は特大ナン3枚は食べていたのに。心の病気かもしれない。
そういえばかわいいおねえさんのスカートが風に吹かれて舞い上がっても全く動じない。これはもう自分の中になにか重大な異変が起きていると認めざるを得ない(←単なる老化)。

だいたいハレの場に足を運ぶ機会がめっきり少なくなった。
今年ももう半分が終わろうというのに2月に特撮のLIVEが2回、3月にステーション♪解散LIVEとももクロさんのドームツアーが1回。年間20本は軽く観ていた映画もオデッセイとレヴェナントを観たのみだ。そして7月にもなんの予定もないときた。暇なのに、だ。

それでいて毎日忙しい。暇なのに毎日忙しい。
いや、忙しいというよりは活動限界が異様に短い。だいたい夜の8時とか宵の口もいいところなのに既に眠くて仕方ない。赤ちゃんかっ!これまで22時、23時まであった「いちにち」が20時には閉店ガラガラなのだからそりゃ忙しくも感じる。

前にも書いた通り手首も相変わらず痛いしさ。
ああこんな時友人がいてくれたら!
真の友さえいてくれたら!!

 

・・・いてくれたらどうなのか、さっぱり想像出来ない。
うーんやっぱり近くの友より遠くの恋人だ。


Gachiflo

 

しあわせのじゅもん

 

 


smoothscriminal.flv

 

こんちは。

ここのところ毎日毎日眠くてつらくて仕方なかったのですが、先日「オレはいつも眠い眠いと言っているが本当に眠いのか?」と考える機会がありました。

きっかけは全く逆の話で、ものすごく夜更かししてしまった次の日に全く眠くなく、「なんでだろう?」と思ったら単にその翌日が休みだったからと気が付いたことからでした。

 

次の日が休みだと寝不足でも眠くない
→次の日も仕事だと思うと寝ても寝ても眠い
→要するに「眠い」のではなく「仕事したくない」のだと気付く
→眠いと思っていたのは勘違いで実はちっとも眠くない
→眠くないのでつらくない
→つらくないのでつらくない

というわけで毎日毎日最近とても楽なのです。


心の持ちようと言ってしまうと身も蓋もありませんが、自分で自分に呪いの暗示をかけてしまっていたのだと気付くと逆に自分に幸福の呪文もかけられるような気がして日々プラスの言葉を使うようにしています。

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もしあなたが「自分は大変なんだ」と思っているならまだ大丈夫。
逆に「自分は大変なんかじゃない」と思っているならかなり注意したほうがいい。
「大変なんだか大変じゃないんだかわからん!」というオレのような人間はたいてい大変ではないので、仕事中に日記なんぞ書いとらんでもう少しちゃんと働け!


「女性のほうが大変」という女性はちょっと言いかたを考えたほうがいいかも。
「男性のほうが大変だよ!」という男はろくでなしどころか生きる価値なし。

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一方、「男性のほうが大変」と思う女性はこれ以上無く愛おしく思う反面、非常に危うい気がする。そんなことは思ってはいけないよ。
「女性のほうが大変」と思う男性は粋だなあと思う。ただしそこはやはり女性を守りながら全身に矢が刺さったような状況でなければ格好つかない。

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「女性のほうが大変」と言ってはばからない女性とは一生理解しあえないような気がするけれど、「男性のほうが大変」と言い切る男よりはなんぼかまし。それを言うなら「男はつらいぜ、トホホ」だろう。

 

ガールズには「男はバカであり、消耗品であり、ナマケモノでありケダモノである」といつも言いきかせている。

結構真面目にそう思っているのだけれど、実は「そう言わないと恥ずかしくて生きていけない生き物なのねw」と思ってほしい・・・と願っているのだ。

そこらへんの機微をわかるような大人の女性に育ってほしいものです。

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GachifloZ

 

変な歌ばかり聴いているから!



昔から何度も書いているんだけど、例えば好きなアイドルちゃんがいるとする。彼女のCDを100枚買えば彼女の所属する事務所は確かに喜ぶけれど、僕はそういうのはやはり違う気がする。100枚CDを買うよりも1枚のCDを100回聴くほうが価値あるような気がする。

もちろんビジネスなんだからCD100枚売れるとの1枚売れるのとでは大違いだけれども、僕はやはり1人が100枚買うよりも100人が1枚ずつ買うほうが健全だと思う。100枚買ったら握手券じゃなくて、友達10人LIVE連れてきたら握手券のほうがまだマシだ。連れてこられたご新規さんを取り込めるかどうかは実力次第なわけだし。


さらに言えば僕は「CD100枚買いましたよ!」「僕はグッズ全種類持ってます!」と言われるよりも「本当につらい時、あなたの歌で何度も救われました」「よし、僕もがんばろうと思って一生懸命受験勉強して目標校に合格しました」といった言葉に喜びを感じるようなアイドルちゃんでいてほしい。

アイドルにせよミュージシャンにせよ役者にせよスポーツ選手にせよ、やはりどこか祈り子的な存在であってほしい。「僕は僕のためにやってるんです」というのがカッコいいという風潮もあるだろうけど、やはりどこかで「誰かのために」という軸も持っていてほしい。


自分ががんばることで誰かがどこかで喜んでくれてる。
だから誰かのために直接的に何かを出来なくとも落ち込むことはないのだ。たとえ遠く離れていようが、報われぬ想いだろうが、それを心に病むことはない。大切なことはそこには無いからだ。


自分がダメなことをしたら「あいつはいっつもアイドルばっかり聴いてるからだ」みたいに言われる。こちらにしてみれば「アイドル関係ねえし!」なんだけど、他人はそう見る。これはもう間違いなく。

だから、好きな人を守るために好きな人とは全く関係のない遠いところで僕はがんばろうと思う。





・・・がんばろうと思いつつ仕事をサボって日記を書いている身なのが如何ともし難いが。がっくし。

GachifloZ

ステーション♪全国横断エクスプレスツアーファイナルに行ってきた。

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鉄道アイドル「ステーション♪」ちゃんのラストワンマンツアーファイナルに行ってきた。

 

要するに解散公演である。
しかも主要メンバーは芸能界を引退しちゃうのである。昨年解散したBiSのように個々で活動を継続し、時には同じステージにメンバーが揃うなんてことももう絶対無いのである。つまり本当に見納めなのである。

場所は六本木morph-tokyo。
小さなハコである。あのクソ狭いEggmanより更に狭く、四谷コタンよりかなり広い。調べたところキャパ250人とのことだがそんな小さなハコに150人から200人弱の客・・・解散LIVEなのに。僕は正直「こんな狭いハコで解散か…」と残念に思った。

 だがしかし。
ハコの狭さなどどうでもよかったのである。

まあセトリだのトークだのなんだのについては他にも書かれているであろうから割愛するとして、オレはオレしか書けないオレの感想を述べさせてもらうがこれがもうとにかく実に素晴らしかった。早くも今年NO.1のLIVE確実である。秋にはベビメタちゃんの東京ドーム公演があるが、この解散ライブを超えられるかとなるとはなはだ疑問である。とにかく圧巻であった。会場の熱量が半端なかった。どんなLIVEでも中には冷めた素振りの客が一人や二人いるものだが、狭いキャパゆえか会場の客全員が彼女たちを見つめ、賞賛し、愛していた。

これまでいろんなライブに足を運んだが、本当にごくごく稀に呆れるほどの爆発的な情念が渦巻くライブに出会うことがある。この日のライブはまさにそんな感じなのであった。返す返すも解散とはもったいない。もったいない。実にもったいない。無念と言ってもいい。

これを取材しないナタリーさんはまったくもって音楽ジャーナリズム失格である。
QJもまるまる一冊ステーション♪特別臨時増刊号を出すべきである。
翌日のZIPにもめざましテレビにも彼女たちの話題はなかった。
「メディアは現場から常に3年遅れている」と言われるが、まさにそれを実感するこのメディアの「なにごともなかった感」である。
実に、実に残念だ。
彼女たちの閃光を全世界に届けずして何がメディアじゃ。インターネットじゃ。


映画「銀河鉄道999」のラストでメーテルは鉄郎に「いつか私が帰ってきてあなたのそばにいても、あなたは私に気が付かないでしょう」とつぶやくが、彼女たちとの別れはまさにそんな感じである。いつか街のどこかで彼女たちの誰かに出会ってもおそらく僕は気が付かないだろう。気が付かない。絶対気が付かないけれど、それでも心の中から彼女たちの記憶が消え去ったわけじゃない。いつまでも彼女たちはあの黄色い服を着てあの時の姿のままで踊っているのである。たとえ10年後でも20年後でもだ。

 訳知り顔で誰が彼女たちのことをどうぬかしてもあの日あの夜オレの心に打ち込まれたあの空間の熱量は永遠なのである。幻影だってなんだってそんなもんどうでもいいのである。


ももクロさんLIVEもベビメタさんLIVEもとんとご無沙汰なのに俺はステーション♪のLIVEには行ったのである。その事実こそがオレが彼女たちに贈れる勲章なのである。

さらばステーション♪。
春は別れ、いや旅立ちの季節。
彼女たちの未来にありったけの幸あらんことを。

GachifloZ


追伸
文中に記載の四谷コタンが今月末で閉店とのこと。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~YotsuyaKotan/

10代の頃に随分通ったなあ。
寂しいな。でも忘れない。
ありがとう。
46年間おつかれさまでした。

LOVE!DEATH!ネコネコネコネコ!いぬいぬいぬいぬ!

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犬派かネコ派かと問われれば星の瞬きよりも早く「ネコ派!」と応える。高橋英樹が「越後製菓!」と答えるよりも更に早く、さながらマッハの速さで僕はネコを選ぶ。それくらいネコが大好きだ。犬とネコ、どちらを選べど獣のように生きるしかないトホホな我が人生ではあるが、それでも僕は迷わずネコを選ぶ。


今の我が家ではおそらくオレより長生きするであろう亀がベランダに一匹と、室内のミニ水槽にヤマトヌマエビが5匹、同じくタニシ1匹が細々と生息しているのみなのだが、高校生の頃のマンション規約改正によって犬猫が飼えなくなるまではずっとネコを飼っていた。

生まれた時からネコだけはずっとそばにいたからなのだろう、本当にネコが大好きだ。公園で昼寝をしているネコを見ているだけでしあわせな気分になる。逆にねこカフェやペットショップのケージにいるネコはちょっとかわいそうだ。こうるさいガールズたちが一人暮らしを始めたら管理人さんに見つからないようそっとネコを飼ってしまおうとさえ思っている。


ちなみに幼少のみぎりはネコのみにあらず、実に様々なペットを飼っていた。
特に印象に残っているのは「錦鯉」で、子供目線とはいえ50cm級の錦鯉が何匹も家の中を泳いでいた。錦鯉といえば庭の池で飼うのが一般的に思うが、たぶん180cm級であったろう水槽が2つリビングに鎮座ましまし、そこで彼らは優雅に泳いでいた。

お袋の話ではもともと横浜の邸宅の池で飼っていたものを都心に引っ越すにあたり無理矢理持ってきたものらしい。子供心にもそれはよほど美しく映っていたのか、縁日の和金から後にらんちゅう育成にまで至るマイ金魚ブームの源泉がここにある。

 

もうひとつ特に印象に残っているのが「スカンク」だ。
そう、あの臭いおならをするスカンクを飼っていた。よく覚えているのはスカンクがなにかの拍子に家を逃げ出し、一族総出でタライやらなにやらを持って町中を追いかけ回したことだ。錦鯉と違って何がどうしてスカンクを飼うことになったのかは謎だ。錦鯉もそうだがなかなかスカンクを飼っていたというのも珍しいのではないだろうか。えっへん。

 

たぶんその頃には犬も飼っていたような気がするが、ほとんど記憶にない。そのかわりネコには有り余る思い出がある。楽しい思い出もたくさんあるけれど、思い出と言っていいのかトラウマと言うべきか、とにかくいちばん強烈に脳裏に残っているのはやはりその死と、増え続ける子猫を捨てた時のことだ。子猫が産まれるのだからおそらく去勢手術をしていなかったのだろうけど、幼い子に子猫を捨てさせるなよな・・・。ほうらこんな大人になっちゃったぢゃないか!

 

それにしてもペットを飼うことで本当にいろんなことを教わった気がする。愛情も生も死も大切なことはみんな彼らから教わった気がする。冒頭に書いたけれど、「この亀がオレより長生きする(かもしれない)」という事実だけでも実に大切なことを考える機会を与えてくれている気がするのだ。
鷲巣様もネコを飼っていれば狂人にならずに済んだかもしれないのにな。

 

GachifloZZ

 

今週のお題「犬派? 猫派?」

ワタシがカレーに入れたモノ

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僕の務めている職場は年中無休なので必然的に僕のお休みも不定休だ。土曜も日曜も祭日すらもないので、どんどん曜日の感覚が狂ってくる。とはいえ実は社会に出て以来お役所のような「土日休み」という職に就いたことがないのでいい加減慣れっこなのだけれど、それでもしょっちゅう「あれ今日何曜日だっけ」という事が起こる。社会人としてそれも困るので、うちは海軍にならって金曜日をカレーと定めている。「今日はカレーから2日経過したのでどうやら日曜日だ!」という具合である。言うならば西暦グレゴリオ暦もびっくりのカレー暦だ。

そんな大切なカレー曜日の先週金曜日、ちょろっとルーの種類を変えたらこうるさいガールズ共が揃って辛い辛いとぬかしやがる。「カレーは辛いからカレーなんだよ」と嘘八百を並べても「それって『つらいのはキミだけじゃないというセリフをよく聞くけれど、他人がつらいこととワタシがつらいことは関係無い』ってやつだよね」と教えたばかりの妄言を駆使して口答えしやがった。

悔しいので・・・じゃなかった、優しいのでオレは辛口カレーを甘くしてやろうとリンゴにハチミツをとろーり溶かしてやろうと思ったのだがあいにくリンゴもハチミツもない。どうしようと途方に暮れていたら目の前に置かれたバナナに気がついた。これだ。同じフルーティな甘さだから大丈夫だろう、少なくともケーキシロップ入れるよりマシだろうとバナナをすりおろしてカレーに入れてみた。

 


・・・
・・・・
・・・・・


クソ不味いので決して真似をしないように。
とほほ。
またしても家庭内株価指数は急下降だ。ブラックフライデーだ。来週は素直にイチゴジャムでも入れてみよう。

GachifloZZ

 

カリフォルニア物語


Green Day - Basket Case [Official Music Video]
 幼少のみぎりから卒業式と冠される場で泣いたことがない。単純に心が壊れているからだと○十年思い込んできたが、どうやら違うらしいことが最近わかってきた。

 今日も今日とて仕事中にサボってこれを描いているわけだが、午前中がんばってお仕事をした自分へのご褒美として給湯室のお菓子をつまみ食いしたらこれがもう不味いのなんの。フィナンシェだったんだけど、もうこの世のものとは思えないほどパッサパサ、いやバサバサで思わず吐き出してしまった。おえおえおー(T_T)。


 これもそれも昨日寝っ転がりながら観た聖飢魔II特番「地球デビュー30周年記念・期間限定再集結・大黒ミサFINAL」のせいだ。いやベビメタちゃん久しぶりの新MV「KARATE」の呪いかもしれない。いずれにしても悪魔憑きキツネ憑きの類には違いないものの、仕事のご褒美がクソ不味いバッサバサのフィナンシェというオレの人生はいったいなんだろう?本当に寂寥とした砂の味がした。

 

はてさてそんなことはともかく、先日とても前驚いたことがある。
音楽というのはとても不思議なもので、十年ぶりだろうが二十年ぶりだろうがとにかく久しぶりにその曲を聴くとその時の情景が鮮やかに蘇ってくる・・・と俺はずっと信じてきたのだが、どうやらそれも人によるらしい。
この前夕食後にガールズたちと「冷凍庫内に残されたカミさん(全国巡業中)のジャイアントコーン争奪イントロドンをやっていた時、「ももクリ2012のOPで流れた洋楽」とか「ももクロ夏のバカ騒ぎ2013のEDで流れた洋楽」とか、子供が印象深く覚えているであろう曲をセレクトしたところ全くわからない上に、解答を出してもポカーンとしてやがる。「ほら、入場が1時間押しになったSSA覚えてるだろ?!このメロディ聞いたらあの暑かった西武ドーム思い出すだろ!?」と言ってもぜーんぜんわからないのだ。えっオレだけなの?!

 

いろいろ調べいろんな人に話を聞いたところ、どうやらこれは人によるらしい。
人によっては記憶を呼び覚ますものが音楽だったり、助手席から見た道路標識だったり、手紙についた香りだったり、隆起した二の腕の触感であったり、愛情込めて握ったおにぎりの塩味であったりするらしいのだ。かくいうオレだって「むむッ!この味は1993年三ツ沢球技場で食べたじゃがべえの味!あの時の大観衆大声援、果ては悪魔の左足、エドゥーの40mフリーキックの味ッ!」と微妙に間違ってるセリフを海原雄山に言われても「ああ、そうです・・・かね」としか返しようがない。そしてミジンコほどの感性も無いゲスの極みジジイと思われてしまうのだ。ああ悔しい。

 

卒業式でぽろぽろ泣く人間としらーッとする人間がいるが、実はそれも似たような構造であるのかもしれない。感動を呼び覚ますファクターが送辞の人もいれば帰り道のアスファルトの裂け目だという人もいれば二度と着ることのない制服を脱いだ時に感じた綿の感触だという人もいるのだ。

 

人はみな違う。卒業式で泣かない人が皆冷たい人なわけではなく、感性の鈍い人なわけでもなく、もちろん障害やらなんやらでもなく、それは単なる「違い」だ。「私ってばきっとなんちゃら障害なのだわ」とか「きっと心が壊れているのだわ」「人生って一体何なのよ」と私のように可愛く思い悩んでいる全国一千万の美人妻のみなさんの肩を優しく抱きながら耳元で「大丈夫だよ」お甘いミンティア味の吐息を吹きかけながらささやいてあげたい。そしてもしも男で同じように悩んでいる人がいたらやはり心配するなと声をかけてやろう。「キミの場合は単なる無神経もしくはノータリンだ」と。

 

と、そんなこんなを考えつつおうちに帰り、夕食時に「実は今日は一日かけて大学受験と高校受験の違いについて調べておったのだが・・・」と嘘八百を並べると食卓にいた全員から一斉に「仕事しろよ!」と怒られてしまった。ううぬ、カミさんはともかく年端もいかぬ小中学生に「仕事しろよ!」と怒られ涙にむせぶオレ・・・今日も空が灰色だ。人生とはいったいなんだ?

 

GachifloZZ
今週のお題「卒業」