綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

たとえ忘れられなくとも、永遠に思い出さなければ表層的には同じこと

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久しぶりに筋肉少女帯のライブに行ってきました。
「『猫のテブクロ』完全再現+11」と題された今回のライブは1989年に発表されたアルバムを28年越しに完全再現するという企画もの(?)。古くから筋少を聴き続けてきたフリークとしては非常に嬉しい内容でした。

以前はツアーといえば1ヶ月以上に渡って全国各地を連日連夜公演して回った筋少ですが再結成以降はほとんど東名阪3箇所のみのツアーとなっています。こっちもそうですがあっちもおじいちゃんだから仕方ないけれど、せめて月一くらいのペースでライブがあればいいなあと思います。

何ヶ月も空くとストレスがたまって仕方ないし、昨日みたいに頭痛に襲われるし。

あーでも楽しかったな。



昔聴いていた音楽を聴くとその頃の感覚が蘇ることがありますが、僕はそれがとても顕著なのです。音楽だけでなく、香りや場所、気温とか風とかで過去のいろいろな事がぶわああっと表出してきます。そりゃあもう誰よりも鮮明に。

まわりの人に「ああっ、この曲聴くとあの頃が蘇るよね!ほら、あの時ああでこうでさ!」と言ってもだいたいわかってくれません。「そうだっけ?」とか言われると僕はとても悲しくなってしまうのですが、最近になってその理由がわかってきました。


何かいやーなことがあった時、僕はそれに打ち勝とうとはせず、一生懸命それを忘れようとします。とにかく「嫌なこと」が脳細胞にあるのがイヤなんです。

たとえば嫌いな人がいるとして、僕はその嫌いな人のために脳細胞の1ミクロンたりとも使うのが嫌なんです。名前を覚えているのも嫌。だから忘れようと思う。でも人間の脳みそというのは高性能というかそんなに器用でないというか、思うように忘れさせてくれません。むしろ忘れようとすればするほど強く忘れないように仕組まれているような気さえします。

だからとにかく考えないようにしています。たとえ忘れられなくとも、永遠に思い出さなければ表層的には同じことだからです。

でも違ったんですねえ。

思い出さないだけで忘れていはいませんから何かキッカケがあればひょっこりと出てくるわけです。しかも僕の場合は普通の人なら良くも悪くも乗り越えてくる過去をひたすら抑え込んで見えないようにしてきたものですから、ふとしたきっかけでそれらが噴出してくる量も半端ないのです。

ま、でもそういう目次を作らない記録術というか、そういう記憶術というのも悪くはないです。
「『猫のテブクロ』完全再現+11」ではあのアルバムを聴いていた頃のことを鮮明に思い出していました。僕は高円寺にいました。初夏だったと思います。空が青かった。

いつまでもいつまでも、おじいちゃんになってもあのアルバムがあれば僕はあの頃の僕になれるのです。

GachifloZ