綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

性の目覚め

保母さんを先生と読んでいいのかどうかわかりませんが、5歳の時に昼寝しているフリして薄目を開け、巡回中の保母さんのおぱんつを布団の中から覗こうとして「・・・エッチ!」と言われた瞬間が僕の性の目覚めです・・・ってそういう話じゃないか。


思い出の先生というか、覚えている先生自体数少ないのですが「一升瓶を抱えて授業していた体育の先生」「美術室でタバコを吸っていた美術の先生」「生徒に胸ぐらを掴まれ震えていた先生」といった、先生個人そのものよりも先生を取り巻く学校の1シーンならいくつか覚えています(どんな学校だ)。

僕の場合中高生時代というのがまさに「失われた6年間」で、ほとんど記憶らしい記憶がありません。たぶんきちんと毎日学校へ行っていたはずなのに、ほとんど全て覚えていません。もっと正確に言えば「ここ四半世紀、思い出したことがない」だけかもしれません。僕は忘れるというよりは物事を「考えないようにする」達人なのではないかと思ったりしているのです。

いいことはともかく、悪いことってのも人生しょっちゅう起こるわけですが、そんな時僕はとにかく考えないようにしています。嫌な思い出が少しでも脳裏をかすめようものなら頭をぶんぶんと振ってその思考を打ち消します。嫌なこと、嫌いな人のために脳細胞を1ミクロンたりとも使うのが腹立たしくて仕方ないからです。
ホームズではないですが人が使える能細胞には許容量があって、何かを覚えれば何かを忘れてしまう。そんな貴重なスペースを嫌いなヤツのために使うことすら我慢ならないわけです。

だから考えない。とことん考えない。忘れようとすらしない。忘れようと考えることすら腹立たしい。脳裏に浮かんだ途端に速攻で思考チェンジです。ホテトルなら怖いお兄さんが殴りこんできそうなくらいチェンジします。どんな思考チェンジでもいいのです。女の裸でもいいし、過去の性体験でもいいし、一昨日見たお姉さんのパンチラでもいい。なんでもいいので他のことを考えるのです。
それを繰り返していくといつしか「考えなくなる」。それが「忘れた」と同義なのかどうなのかはわかりませんが、事象としては同じですから。


しかし全然覚えていないというのも先生方に申し訳ない。
きっと一生懸命教えてくれたのだろうに。誠に申し訳ない。でも先生の顔や名前は忘れても間違いなく僕は学校へ行き、先生の授業を聞いていたんだろうとは思います。それもかなり真面目に。先生が伝えたかったことだって決して先生の顔や名前じゃなかったはず。そしてそれはたぶん僕の中で生きている。だから名前すら思い出せないのも大目に見ていただきたい。

いままでいろんな人の顔に泥をひっかけて来た気がします。
それについては本当に申し訳ない。だけどそうしたくてそうした人なんてほとんどいないんです。常日頃から地獄行き人生だなあと思っているのですがそれを免罪符にするつもりもありません。ただひたすらに野垂れ死ぬだけ。

だから僕がおっ死んだ時にはぜひ広く周知していただいて、なるべく多くの方にざまあみろとツバでも吐きかけていただき少しでも溜飲を下げていただければ幸いと思う次第です。ハイ。

人生後悔しかないなあ。なんでだろ。

「私と出会ったことも後悔しているのッ!?」なんて考えてくれる美人のお姉さんがいたとしても、それは「オレなんかと出会わなければキミはきっともっと良い人生を歩めたと思うよ」という趣旨の後悔ですので悪しからず。

(つづく)

今週のお題「思い出の先生」