綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

世界を逆さにしてしまいたい

昨日だか一昨日だか久しぶりに「はじめてのももクロ」観てたら泣いちゃったよ。おじいちゃんは涙腺ゆるくてダメね。


ここだけの話ですが、私は性格がそうとうねじ曲がっています。人が右と言えば必ず左を向くし、混ぜるな危険と言われれば思い切り混ぜたくなってしまいます。よく言って天邪鬼、悪く言えば単なる人格異常者です。

この性格、いいかげん矯正しようもないのはわかっているのですが「一体なぜこんな性格になってしまったんだろう」「なにがいけなかったのだろう」と最近よく考えるようになりました。

テレビやネットでよく「逆張り」の人を見かけます。つい先日も多くの人が非難していたパクリデザイナーについて「いやいや彼は間違っていないんだよ」とか言っちゃう人がいました。困っている人がいれば「でも彼自身にも否があるよね」とか言い出しちゃうような人のことです。

こういう「逆張り」の意見というのはもちろんマイノリティなわけですが、中にはどうも希少と貴重を混同している人が多くいるらしく、簡単に感化されてしまう人たちを見ると僕はいつも「危険だなあ」と思ってしまうのです。
「そういう見方もあるかもね」くらいならいいのですが、どうも希少意見には真実味があるように思えてしまうのかもしれません。もちろん少数意見の中にも正論はあるでしょうが、基本今の日本は多数決社会ですからマイノリティを尊重「しすぎる」のは危険なように思います。

閑話休題、そんで私のことですが流石におじいちゃんにもなると今さら「マイノリティがカッコイイ!」とも思いませんし、「メジャーは敵だ!」とも思いません。貴重な意見やいわゆる「正論」はメジャーな論調にもあるしマイナーな意見の中にだってあります。見方によって時代によってどちらが大勢を占めるか、ただそれだけでどちらかがチョイスされていくだけの話なんですから。

だから選択というのはロングスパンで見れば時にはいいほうに転ぶこともあれば悪いほうに転ぶこともあるわけです。うーん、ずっといいほうに転ぶ選択方法はないものかしらん。


へそ曲がりゆえに「あんたバカ!?」と言われれば「そんなことないゾ」と優れた能力を発揮し、「さすが!天才!」と言われれば「そんなことないゾ」とバカなことをやってしまう。そんな自分を自分はとってもイヤなんだけど、そのループからは絶対逃げ出せない。
だから自分はさておき世のため人のためと考えれば僕はずっとバカにされ続けている状態がきっといいんだろうと思います。そして大好きな人だけがわかってくれているという、そんな状態がきっといちばんいいんだろうと。そして今はそれにかなり近い。ありがたいことです。

(つづく)