綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

鵯(ひよどり)越えの逆落とし


ある朝窓の外からまばゆい光が差し込み、「なんだなんだ?」とカーテンを開けると謎のUFOが今まさに飛び立つところで、その謎の光を浴びた俺は透明人間となる超能力を身につける。
会社の女子更衣室や女風呂は覗き放題、あまつさえ好きな女の人が彼氏とラブホのベッドでアッハンウッフン(死語)しているのを俺はその傍らでジッと見つめながら…

と、若い頃は非現実が妄想だったのに今じゃ現実が妄想だ。

いつだって「出来ないことが出来るようになる」「持たざるものが手に入る」といった事ばかり考えていたのに、いつの間にか「俺、出来るし。」「俺、それ持ってるし。」みたいな感覚が妄想となってしまった。
本当はもう出来ないのに。何も持ってやしないのに。

10代の頃、一週間練習すれば出来るようになったことを今一週間練習しても出来るようにはならない。つーか、一週間練習すればもしかしたら出来るのかもしれないが、実際は一週間練習する事自体が不可能だ。
なぜなら一週間練習しようという気力が続かないからである。

しかし「一週間あれば出来る」という感覚だけは残っているから厄介だ。世の老害と呼ばれる奴らは例外なくここらへんに気がついていない。
実はもはや何も出来ないやしないのに、肥大化した自意識で物事を見るし、必死に時代を作ろうとしている若い子たちを意のままに動かそうとしやがる。そんな老害は早く死ねばいいのだ。


出来ないことを「なんとしても出来るようになってやるコンチクショー!」というのと、出来るとわかってることを取説通りやるのは全く心構えが違う。面白さが違う。達成感が違う。だから俺ら老害は何もやれない。


実は新しいことにチャレンジしようと思っているのだが、最大の敵はこの「出来る」という自信、いや過信だ。

絶対無理!不可能!自信が無い!
もしそんな感覚があったら、さぞかし謙虚に素直に前向きに生きられるような気がする。

だから本当は出来るだけやったことがないことに挑戦したい。見知らぬ世界を覗いてみたい。そうすれば少しは前を向いて生きることができるような気がするのだ。


【今日の日記】
会社で部下ちゃんに「出来るというのと期日までに終わるというのは全く似て非なるものだ。君はもうなんでも出来るから、これからはどこをパンクさせ、どこを死守するかを考えて仕事してちょ。」と可愛く言ってあげた。泣きそうになっていた。
台風一過で月がとても綺麗だ。

GachifloZ