綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町

らもさんふうなタイトルをつけたものの(そのまんまじゃねーか)、僕の住む街について思うことはたくさんある。ただずっと変わらないのはやっぱり「子供が住むところではない」ということに尽きる。

なんつったってチャリに乗れるようになった小学生の頃から走り回っていたのが歌舞伎町のネオン街だったり新宿中央公園かいわいの浮浪者街だったりするわけで、そりゃあ教育上よろしくないことこのうえない。

おまけに物心ついた頃から「ぼっち」だったから行動は常に一人で、今思えばよく北朝鮮人民軍に拉致監禁されなかったものだと思う。よほど貧乏そうに見えたのか、よほどヤー公とプータローに溶け込んでいたのか、今となっては闇の中だ。

今よりもはるかに物騒な街であったにもかかわらず本当に不思議なほど棄権な目にはあっておらず、強いてあげるとすれば中学生の頃だったか高校に入った頃かに「お兄ちゃんお兄ちゃん、おっぱい見せてあげるよ、500円!500円だよ!」と袖口をつかまれ強引に地下にひっぱりこまれ、本当に500円しか持っていなかったために「本当に500円しか持ってないのかよ・・・」となかば同情されてお姉さんにおっぱいをチラ見させてもらった時が唯一「ヤバかった」思い出だ。


そういえば幼少の僕が闊歩していた界隈は今はホスト街になっていて、この前朝早くあのあたりを徘徊していたら(何してんだ?オレ)、仕事明けと思われるゴールデンボンバーのようなお兄ちゃんたちに「お疲れ様ッス!」と頭を下げられたっけ。あれは誰かと勘違いしたのかなあ。それともそういうもんなのかな。

浮浪者も本当にいなくなった。いることはいるけど、昔はもっと強烈な人がいっぱいいたし、だいたい道端で死んでる人が本当にいなくなった。「立ちんぼ」も減ったし、「立ちんぼ」をあっせんしている謎の老婆もすっかり見なくなった。むかしはそこかしこにいて、「ぼうや大きくなったら遊びに来てねえ」と声をかけてくれたのに。どうやら僕が大きくなるまで待っていてくれるほどお人好しではなかったようだ。

しかしなんというか僕はあそこが棄権な街だという事を本質的に知っている。邪悪な雰囲気というのもなんとなく皮膚感覚でわかる。あたかも野生動物が毒のある野草を本能的に避けて食べないかのごとく、「あ、ここはやばそう」というのがなんとなくわかる。これって結構貴重なスキルだよな。

基本的にヤー公にもプータローにもロクなやつはいない。声高に平和を訴える奴にもロクなのがいない。そこら辺は先生も教えてくれなかったし、テレビはあいつら礼賛だし、けっこう「僕の住む街」が教えてくれたのかもしれない。ありがたいな。

まあでもなにはともあれ「何十万人に一人の先天性脳疾患で脳出血した妊娠4ヶ月の妊婦を深夜に受け入れて母子ともに助けてくれる病院」が救急車で10分圏内にあるというこの事実に対しては感謝すべきで、この国のこの街でよかったと本当に心から思う。つくづく思う。ほとほと思う。

なんだかんだ言って別に好きじゃないけど感謝はしてる。
それが僕の住んでいる街です。


GachifloZ

今週のお題「僕の住む街・私の地元」