綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

価値なき値


新しいiPadが欲しいんです。
iPad miniも欲しいんです。
MacBookProも欲しい。
でも全然買う理由が見当たらないのです。
今朝のニュースでも取り上げられていたので朝ごはんをぱくつきながら「いいなあ、欲しいなあ〜みんなでお金出しあって買おうよう〜みんなで使おうよう〜」と言ったらガールズに「うーん…500円までなら」と言われてしまいました。「ヤッタ〜(◍›◡ु‹◍)☆!!」って、買えねーよ!

ちなみにカミさんは「欲しけりゃ買えばいいじゃん」と仰られますが実際に買ったらそれはそれで絶対怒ります。それはいかに僕が「みんなのために!」と言ってもそれがいかに嘘っぱちであるかすっかり見透かされているからです。トホホ。

誰かのためになにかをするというのは本当に難しいもので、ほとんど不可能に近いんじゃないかと思ったりします。
なにをしたって、なにを思ったって、結局は誰かのためにじゃなくて自分のためだったりするからです。
僕が誰かのためになにかをしても、たいていは「誰かになんとかしてあげた自分という単なる自己実現」だったり、「誰かになんとかしてあげなかった時の自分に対する自己嫌悪回避行動」だったりしてしまうからです。

なので、誰に対する行動も、僕はある時から「全ては自分のためにしていることだ」と思うようにしました。
地下鉄で妊婦さんに席をゆずるのも自分のため。
泣いている子供をなぐさめるのも自分のため。
もちろんお仕事も自分のためだし、家事も親孝行もみんな自分のため。
はっきりそう思っています。

でも、みんながみんなそうだと結構世の中ギクシャクしてしまうような気もするので、「自分が誰かにしてもらったこと」は、例えそれがどんなに下心が見え見えであろうとも、それはもう誰がなんと言おうと「愛である」と思うようにしています。

駅前で「お祈りさせて下さい」と言われるのは愛!
洋服屋で「よくお似合いですよ〜☆」と言われるのも愛!
たとえどんなに怪しげな通販の美顔器であろうと、「あなたのために」と言われたらそれは絶対愛なのです。

「するほう」がこう思って「されるほう」がこう思ってれば、結構世の中うまくいくんじゃないかな〜と思ったりしているのです。
あ〜どっかにiPadAir落ちてねえかなあ〜。

GachifloZ