綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

まっくら森の歌


昨日帰りの電車で「顔面の容貌に障害を持った人」が座っていました。僕は目が悪いので必要な時以外は眼鏡を外し、街行くお姉さんがみんな綺麗に見えるよう配慮しているのですが、そんな僕ですら「あれ?」と気がつくほどその方の容貌には障害がありました。

いろいろなことを考えました。
「僕なら絶対家から出られないな、いや部屋からすらも」
「マスクとかするだろうな、せめてサングラスとか」
「勇気があるな、それにひきかえ僕はなんだ」

しかし、しかしですよ。
真夜中に白杖をついて歩いている方を見かけ、「こんな夜中になんて危ない!」と思った次の瞬間「ああ、この人にとっては『暗くて危ない』という僕の感覚は意味がないんだ」と気が付き、自分の尺度で他者を推し量ることの愚かさ、傲慢さを痛感したというネタを以前日記に書きましたが、まさに彼にしたってそうなのではないかと。つらいかつらくないかなんて本人以外誰にもわかりゃしない。しあわせか不幸かなんて本人以外にわかるはずもないのです。そりゃあイケメンのほうがいいに決まってるけど、それがしあわせのための絶対値ではないのです。

というのも最近自分がしあわせでしあわせで仕方ないのです。
もうちょっと正確に言うと、他人が不幸に見えて仕方ないのです。
僕は稼ぎも悪いですし(なんてったって障害福祉関係のお仕事ですからね)、家もクソ狭い。背も低いし、学歴は中途半端だし、球技も出来ない、楽器も弾けない。
そんな僕なのに、周りの人が僕以上に不幸に見えて仕方ないのです。

前の職場で社長さんをしていたおばあちゃんは何十億という資産を持っていましたが身寄りがおらず、いつも誰かが財産を狙っているのではないかと疑心暗鬼になっていました。自分の代で先祖から受け継いだ財産が途切れることに猛烈な罪悪感を持っていました。
大手町の官公庁に入り半沢ナントカどころか島耕作なみに出世街道まっしぐらだった大学の先輩はDVを繰り返し今は一人ぼっちだそうです。
僕と別れ、しあわせな家庭を築いているはずの恋人はそのDVであばらを折られたと聞きました。
僕は労務管理系のお仕事もしているのですが、回ってくる書類は離婚再婚離婚離婚、あれっこの人結婚したの半年前だよね?ってそんな感じです。
いったいなんなんでしょう。

お金があったってしあわせとは限らない。
いい大学出ていい会社に入ってもしあわせとは限らない。
豪華な結婚式を海外で盛大にあげたってしばらくすればあばらを折られる。
いったいなんなんだと。それじゃあ俺のほうがよっぽどしあわせじゃないかと。
困るんですよ、コンプレックスこそが我が生ける原動力なのに!

なんかこう、しあわせいっぱいな人を見たいと思います。
そして卑屈に「チキショー、今に見てろよ!」とウジウジ言ってみたいのです。

GachifloZ