綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

在るリリシズム

自分が撮った写真を破かれたらイヤじゃないですか。写真に限らず、自分が描いた絵でも自分が書いた小説でも和歌でもタイバニのエロ同人誌でも、やっぱりそれを無碍に扱われたら誰だってそりゃやっぱり嫌だろうと思うわけです。

それは上手いとか下手だとか、高貴だとか下衆だとか、賞をもらって云々とか思い入れがどうしたこーしたとかそういう話でもなくて、要するに誰かが作ったものを他人が勝手に壊してはいけないと思うのです。





もちろんそれらの創作物が誰かを深く傷つけたり、不快な思いをさせることだってあると思いますし、それを考えると一定の規制やシバリは必要だろうと思いますが、ハッキリ言ってそれを杓子定規にやっていくと本当にキリが無いので、そこはもう人としてのさじ加減というかファジーな線引きでいいんじゃないかと僕は思っています。


ただ、ソレナリに一生懸命書いた作品を読みもせずに一方的に破られたらイカな仏のような僕としてもソレナリに腹が立ちますが、その反面「それがどこにあるか」について僕はけっこうどうでもよかったりしています。

エロ本がエロ本コーナーにあるのは差別でも規制でもないと思っていますし、いわさきちひろの絵本は絵本コーナーにあるべきだと思います。アガサとハインラインはやっぱり別のところにあったほうがわかりやすいと思います。乱歩とエロトピアは同じ棚でもいいような気がしますが、いちおう分けたほうがいいかもと思うくらいです。

だから僕の書いたものもどこに同分類するかはそれは読んでくれた人の自由で、それがゴミ箱だって本当はそれは別に構わないのです。

さらに言えば僕は「どこにあるかわからなくても別にいい」とさえ思っています。どこかに「在る」こと自体が大事なのであって、「どこにあるか」は結構どうでもいいんですね。


書泉ブックマートのどこに週刊プロレスがあるかわからなくても、それがちゃんとあるならば(と自分が信じられるならば)、例え店の右奥の棚にあろうが、左隅に平積みされていようが、レジの斜め前で「ぱふ」とかと一緒に雑多に扱われていようが、極端な話ブックマートには無くって高田書店にだけあったりしても、それはそれで僕は別にいいかなと思うのです。



僕は「存在しない」と「どこにあるかわからない」の違いがよくわかりません。だから「ずっとアクセスしないブログ」と「URLを忘れてしまったブログ」の違いもよくわかりません。


振り返ることができようができまいが、読みもしないで「公序良俗に反するので削除しました」とか言われたらそりゃ悔しくもなりますが、このまま静かに封印されてゆくのならそれはそれで神様のやさしさかな、思し召しかなと思ったりもしています。




Gachiflo
oooxxx

今週のお題「私の『芸術の秋』」