「やる気」の正体見たり枯れ尾花
毎日毎日暇で退屈で仕方ないのに仕事のやる気はナッシング。
しかし、思いかえせばものすごーいボリュームで仕事をこなしているときも「やる気」なんて全然なかった。ただひたすらこなしていただけだっとと思う。
そもそも「やる気まんまん」でなにかをしたことって一度もなかった気がする。
誰かに「やる気満々じゃないですかw」と言われたことは腐るほどあるし、今もそう言われることは多いけど、けっこう本人的には「やる気」になんてなっていない。
やらなきゃいけないから一生懸命やる、がんばらないと終わらないから一生懸命前向きにやる、そういうのはある。
でも、「やる気があって」やってるわけじゃない。
別に仕事に限ったことじゃない。
この前も他人の不幸話が大好きな上司に過去のあれこれを聞かれたので素直に答えてたら、「本当にがんばったんだねー」とか言われてしまい、まあ客観的な状況と当時の行動だけ考えたら確かにがんばっていたんだろうなとは思うんだけれど、別に「やる気があった」わけじゃない。
やる気があってやったことってなんだろう?
大学受験?演劇学校?就職活動?同人誌作成?
どれもちょっと違う。
確かにどれも自分の意思でやろうと思ってやったけど、「やりたかったから」というのとはちょっと違う。
「表現したいものやオリジナリティなんて本当はなくて、自分を表現したいという欲求があるだけだった」とオーケン(大槻ケンヂ)が言ってたけど、きっとそれと同じようなものなのかしらん。
「やる気」ってのは結局「認められたいきもち」「褒められたいきもち」なの?
好きな女の人を口説くときはそりゃもう渾身の、ありったけのやる気マックスでデートプラン考えてたりしたけど、そりゃもう「やる気まんまん」というより単に「ヤる気マンマン」だったような。
スポーツの世界で、例えばこの前のワールドカップで日本代表になったような人は「やる気まんまん」でサッカーをやってたんだろうか。「好きだったから頑張った」「憧れていたから頑張った」というのはすごく理解出来るんだけど・・・。
結局のところ「やる気」なんて他人の心にしかなくって、本当は誰の心にもないような気がする。「決意」とか「義務感」「使命感」「向上心」とかがあるだけで。
だから(他人から見てじゃなくって)自分の中の「やる気」ってのは結局「一歩踏み出す勇気」なんだろうと思う。
「やる気がないなー」っていうのは、やるべき事やらなければならない事に手をつける勇気が出ないってこと。
だからこれからは「やる気ねえなー」という代わりに「やる勇気が出ねえー」と言い換えようっと。
うん、なんか少し腑に落ちる気がする。
GachifloZ