綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

ただ前だけを

先日3歳の女の子が親から虐待を受けて死亡するという事件があった。ネットには顔面にアザをつけた女の子の写真がアップされ、まあ普通の人なら胸がクランプでギリギリと締め付けられるであろう陰惨な殺人事件だ。犯人には極刑以上の極刑を求めたいが数年で出て来るんだろう。虐待どころではない拷問につぐ拷問の責め苦を延々味あわせ、死後はどうか永遠の苦しみを閻魔大王より与えられんことを。

・・・と、言いつつ心の奥底では「本当にそうなのか?それでいいのか?」という思いもある。扇情がお得意のマスゴミに踊らされてはいないか?報道された内容が全てなのか?そんなもんオレにはわからないから【報道された内容からのみで判断すると】という注釈をつけておくべきか。

なんでもそうだけど、誰にも本当のところなんてわからない。その上ある日突然運命は理不尽に変わる。昨日と同じ今日が明日が来るなんて思っちゃいけない。良い方にも悪い方にも同じこと。いちいち過剰に受け止めてたら心が持たないし自分が何とかできるなんて思っちゃいけない。第一本当に「そう」なのか誰にもわかりゃしない。もう言われるまま受け入れるしかないようなことばかり。そんな中で出来る事と言ったらもう気の持ちようしかない。

理不尽以外の何モノでもない職場での腹立たしい出来事も、カミさんに食洗機内のヤマザキ春のパン祭りでもらった皿の並べ方が悪いと叱責を受けた時も、飲み終えた生協の牛乳パックをたたんでいないと怒られた時も、去年の大晦日に行われたももクロさんのカウントダウンLIVEで7時間に渡ってすし詰めの直立状態で身体中がバッキバキになった時も「これは天の御心なのだ、受け止めねばならんのだ」と思って耐え続けた。耐え切った後になんの解放感があるわけでもなく、「ああやっと終わった」とただただそれだけ。そしてそれでいいのだ。それ以上何も気にすることはない。


バスケ部のガールズ1号が対外試合中に指を激しく負傷した。「フッフッフ、これでまた通院保険がガッポガポだわい」と内心ほくそ笑んでいたが、3日とたたずに練習に復帰した。結構な負傷だったので、いかに親譲りゾンビ並の生命力の持ち主とはいえ完治しているはずもない。「おいおいそんな指じゃ練習にもなにもならないだろう。まだしばらく休んだほうがいいんじゃないか」と仏陀のような優しい声掛けをしてやったにも関わらず「パパちゃんには部活の楽しさなんてわからないのよ!」と言い返してきやがった。

温厚な僕にはそれが「オメーみたいな友達ゼロのヒキコモリ野郎にオレっちのリア充ライフはわからねえんだよ!」と聞こえてしまい(実際そういう意味で言ってるのだが)「なにおう!おまえなんて静かに公園のベンチでひとり本を読む寂寥感満載の楽しさも映画館の暗闇の中にひとり溶け込む孤独感満載の安堵感もわからねえくせに!」と言い返してやったが「なにそれ意味わかんない」とあまりピンと来ていないようだった。フン、まだまだ赤ちゃんだぜ。


この世に「なんだかなー選手権」あるいは「なーんやそれ!ワールドグランプリ」があったら日本を背負って戦いの舞台へあがってやらんこともないと思うくらいしょーもない日々が続いている。
それは別名「平和」とも言える日々なのだが実際は「こんなに呑気でいいのだろうか」と恐怖におののく毎日だ。

実際にはこんな極悪非道なオレがそんな平穏で天下泰平な人生など送れるわけもなく、日々いろんなことが起きている。
しかし全てが見たまんまとは限らないし、本当に全てがどうでもよく思える。一種の不感症が為せる匠の技にも思えるが。
職場でも家でも全ての出来事がなるようになるし、なんとかなるし、たとえならなくてもそれなりに受け止めて良い方向へ受け流してしまう。悪いことがあってもたいして凹まない代わりに良いことがあっても「ああそうですかそれはどーも」程度にしか思わない。

毎日毎日お仕事はする。家事もする。趣味的なこともする。おおっぴらに恋もすると書くといろいろ差し障りやら誤解があるかけれど、まあ恋もするとしよう。それらの中で常に感動はある。嬉しい楽しいキモチいい。哀しい悔しいムカつくぶち殺したい。感動の種類は異なっても感情を激しく動かされることが枚挙にいとまがない。
だがしかし。それでもただただ受け入れるのみ。

全てを受け入れ、そして全てにあらがえ。