綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

未知生、焉知死 DEATH!


♪リセットなんかじゃなく〜振り出しに戻れ〜♪あなたと出会ったあの日まで、何コマでも戻れ〜♪・・・というわけで毎日心のダイスを振り続けているGachifloZです。ま、過去に戻りたいと思ったことなんて一度もないんですが。しあわせなので。


最近お仕事で毎日毎日クサクサくさくさしていて、本当に毎日嫌なことばかりで、若かりし頃ならば「ああもうこれは死んでしまうしかないわ」とさぞや世をはかなむところなのだろうと思うのですが、さすがにここまでおじいちゃんともなると「たかが仕事」とそれなりに生きられてしまいます。


基本的には身代わりマリー理論(注1)とバチかぶり理論(注2)により生きながらえているのですが、最近そろそろそういうことを考えること自体やめちゃおうかなとも思ったりしています。
思うまま、時の過ぎゆくままにするのも悪くないと思ったりしているのです。


先日、17歳のアイドルが事故で他界しました。
名前だけは聞いたことがあるグループのメンバーで、事故の原因は明らかにされていませんが、心を長いこと病んでいたということなのできっとそれにまつわる事故なのでしょう。

しかし事故の原因がなんであれ、やはり死んではいけない。死のうと思って死んだのではないとしても、死にたくないと思いつつ死んだのだとしても、やはり死んではいけない。そう思います。

これはもう理屈ですらないのですが、「死ぬこと」と「しあわせ」「ふしあわせ」はリンクさせちゃいかんのです。「ふしあわせだから死ぬ」と言う人は多いですが、「しあわせだから生きる」と言う人はあまりいません。みんなしあわせだから生きているわけではなくて、生きているから生きているのです。だからふしあわせだから死ぬなんざロジックがおかしいのです。中二どころか小二からやりなおせなのです。


とはいえかく言う僕も10代の頃、毎日毎日家のかもいにロープを掛けて首を吊っている自分を想像していました。
それを救ってくれたのは映画だったり本だったりプロレスだったりロックだったり片思いの女の子だったりAVのお姉さんだったりしたのですが、とりあえず死ななくてよかった。なんでかっていうと今こうして仕事をサボって日記を書いて誰かに思いを伝えようとしていられるからです。サボろうが逃げようがごまかそうが生きてるもん勝ちなんです。理屈はあとで適当につけりゃいいんです。日記を書くことは生きることなんです。



僕は自分の中で『俺は変わってる』っていう意識が完全に確立されてるので「人と違うこと」に対して全く戸惑いがありません。友達いなけりゃふつう寂しいし、誰にも理解されなきゃ悲しいもんだし、理解してもらいたいとか理解してもらおうとか普通は思うもんですが、僕ははじめからそんなの望んでないからなんとも思わないんです。

ただ理解はしてもらわなくてもいいんだけど、誤解してそれを流布されたり、やりたいことを邪魔されたりするのはちょっと嫌なんです。人と違うこと自体は別にどーでもいいんですけど。だから時に攻撃的にしゃべりすぎてしまう。コミュ障だから人と会話のキャッチボールが出来ず、ひたすらしゃべり倒してしまうんですね。まさにこの日記です。要するに支離滅裂なんですが、自分で支離滅裂とわかっているので自分の中じゃあんまり支離滅裂じゃないんです。万能感と無能感が同居してたっていいんです。ここ、大事なところです。



昨日一昨日と幕張メッセでBABYMETALちゃんの日本凱旋LIVEがあって、モッシュシュしてとことんハイになってきたのですが、「メギツネ」という曲で「ソイヤソイヤソイヤ〜♪」としてたら巻いていたタオルがどこかに行ってしまいました。

カミさんにそれを話すと「バカーー!探してきなさいよ!あれもう売ってないのよ!どうすんのよ!!」と怒られてしまいました。
「次のLIVEでまたタオル買うからいいよ別に・・・。俺が楽しかったんだからいいじゃんか。むしろいい思い出だろ。『あん時タオルがどっか行っちゃってさ〜』って10年後に俺きっと笑うからそれでいいじゃん」と言ったら更に怒られました。どうしてあんなに怒るんだろう。

確かに価値観は人それぞれ。大切に思うものも人それぞれ。
つらい日々、苦しい日々も人それぞれ。

だから「わかるよ」とか嘘八百だから騙されちゃダメ。そんなもん誰もわかりゃしないのです。
でもそれでも、そんな嘘八百は言葉を送る側からのことで、言葉を受け取る側のほうがそれを優しさや友情、愛ととらえたならば、きっとそれは本当に珠玉のたからものなのです。

あとはただただ、「死んだらアカン」。



自暴自棄という言葉がありますが、昔「死ぬのはダメだけど不健康なことはどんどんしよう!俺にはきちんとバチを与えておかないといかん!」と思っていた時期がありました。深酒して100mダッシュとか逆立ちとか、灰が痛くなるまで煙草を吸うとかもそうだし無理な減量や過度の運動とか、よくやりました。食事抜いてマラソンして献血してサウナ入るとか。本当にキチガイですね。

健康で、食うにもとりあえず困らず、センベイ布団であろうと寝場所がある。一から十まで恵まれているからそんなこと考えるんでしょう。さらに言えば、一から十まで恵まれていると思いこめる仮想世界をむりくり作り上げたとも言えます。うん、そこらへんはちょっとがんばったなあ。しあわせだと無理矢理思い込むことだけは頑張った気がする(笑)。


神戸で小学1年生女子が行方不明だそうです。
これももうどうにもいたたまれない。
いたたまれない。
いたたまれません。
俺が今日会社で怒られたら発見されるかもしれないな。
どうか無事保護されますように。

GachifloZ

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妄言注釈

(注1)身代わりマリー理論:この世のしあわせとふしあわせの総数は常に一定であるという妄想。
自分が心底苦しんでいる時、大切な人は同じだけ楽しんでいるのだという妄想により現実逃避を行う。恋人が浮気相手とHしてる時、捨てられた俺はその瞬間心底引きちぎられる思いをしているが、恋人はその瞬間まさに喜びと恍惚の絶頂にあったという体験談に端を発する。その後、質量保存の法則や量子色力学までも手を伸ばし研究したが理解出来ず、最終的にはマンガ「鋼の錬金術師」を読んで「まさにこれこそ幸せと不幸の等価交換、万物普遍の法則の法則」と再認識したバカ理論。
ちなみにやりすぎると精神崩壊。

(注2)バチかぶり理論:辛く苦しい時に「これは天罰なのだ」と思い込む妄想。
人間誰しも生きていれば大なり小なり倫理的道徳的によろしくないことの体験がある。それを記憶の重箱の隅から引っ張り出し、ひたすらに自分を苛めることで「不遇なのも仕方ない」と自分に暗示を掛けることを主な手法とする。どんな理不尽なことでも卑怯なことでも、自分の罪に対する天罰だと思えば「あーでもこれはこれでしゃあないか」と不思議に納得してしまう魔力あり。なにせ原因は相手方にあるのではなく自分の中にあるのだから、これはもう黙って受け入れるしかない。明らかに自分に非が無いのにそれを受け入れざるを得ない場合に多く使用される。
これもやりすぎると精神崩壊するので「ふざけんなバカヤロー!!」あるいは「DEATH! DEATH! DEATH! 」と発散する機会を必ず同じ分量だけ用意しなければならない。


仮面女子/スチームガールズの月宮かれん逝去
http://natalie.mu/music/news/125568

神戸で小1女児が行方不明 県警が情報提供呼びかけ
http://www.47news.jp/news/2014/09/post_20140912211445.html


今週のお題「書くこと」