綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

それでも、あしたのために その1



この前ふとテレビをつけると、ある女優さんがこんなことを言っていました。
ジョー、本当に好きなんですよ。人生の大切なことがみんな詰まっているというか。ジョーを見て気付かされたことがたくさんあるんです。ジョーで人生が変わりました。」
まだ若い女優さんなのにジョーを読んでるなんてちょっと意外だな、好感持っちゃうな、と思ったのですが、彼女の言っているのはあしたのジョーではなくて「(ヱヴァンゲリオン新劇場版)序」でした。なーんやそれ。

友人がいないせいか、どうも世間の感覚とズレているところがあります。物事の受け止め方とか。例えば老後の不安とかあんまりないんです。子供の進学問題とかも全然。要するに将来のビジョンというか、計画性がないんですね。ひたすらその場しのぎで生きてきたので、将来がどうとかこうとかそういう感覚が麻痺してるというか、もはや壊死しているのでしょう。だから不安もないんでしょう。バカですね。
しかしいつからこんなふうになったんだろうと時折考えます。昔は計算高い子だったのに。
僕は小5の時に教室の窓から外を眺めながら一生の生活設計を描いていたのをよく覚えています。今思えばそれはほとんど妄想に近いのですが、なまじ途中までその全てを実現させてきたというのが今思えば逆に良くなかったのかもしれません。

その小5の妄想はこんな感じでした。
まずしっかりお勉強をして有名私立中学に入る。中高一貫なので高校受験がないから、高校受験に必死な奴らを横目にみながら毎日好きなことをして遊びほうける。高校にエスカレーター進学したらぼちぼち大学受験に向けて勉強を始める。東京六大学のどこか(当時はMARCHや日東駒専といった分け方をしていなかったのです)に入って、かわいい女子大生の彼女を作る。楽しいキャンパスライフを送ったら、どのジャンルでもいいから日本一の会社に入ってエリートコースをひた走る。25歳くらいで大学の後輩の彼女と結婚して女の子を産む。その女の子が3歳になったら小田原へ3人でピクニックへ行って、お城を背に海を眺める。僕は原っぱに横になって空を見ている。娘が風船を追っている。風がそよぎ、雲が流れる。美人のお嫁さんはニコニコしながら娘を見ている。そろそろお弁当の時間・・・。




・・・
・・・・って、弁当食って終わりかい!って感じなんですが、小5ではそこから先が妄想出来なかったんですな。たぶん。で、実際僕は有名かどうかよくわからない私立中学に滑り込み、妄想に忠実に全く勉強をせず赤点ばかりを取りまくって母親に泣かれ、高校に入って勉強に本腰入れたらそれなりの点は取れるようになったけど、学校のテストと受験のテストは全く違うものなので結局一浪してしまいつつもなんとか六大学に滑りこみ、欲望のままに女子大生の彼女を作り、バブルの恩恵を受けて見せかけだけでも一流らしき企業に就職し・・・と、ここまでは多少の行き違いというか誤差?はあれど、小5目標を達成し続けてきたんです。
しかしここで一大転記が訪れるんですね。女子大生の後輩ちゃんにフラレてしまったんです。
まあ今思い出してもあの時の凹み方はひどかった。人生で初めて思うように行かなかったわけですから、そりゃあもう凹みました。人生なんて計画を立てるだけ無駄だ、人生なんてその時その時しかないんだとこの時に思い知ったのかもしれません。



それからの僕は計画性よりはむしろ段取りに重きを置くようになった気がします。目の前のことをいかに効率良く、最大限のリターンを得るための短期計画というか、そういうものをひたすら刹那的に追い求めてきたような気がします。時代背景もあったんだと思います。バブル絶頂から崩壊までを10代後半から20代前半という多感な時期に体感してきたわけですから、「将来への投資」とか「いずれ価値が」みたいなのの欺瞞というか嘘八百というか、そういうものにほとほと嫌気が差していたのかもしれません。「未来」そのものがバブルなんじゃないのか、と。

「今が楽しけりゃいいじゃん」というのは決していい言葉としては使われませんが、今を楽しくすることすら困難なこの時代に「未来のために」と叫び続けるのもそれはそれでどうなんだろうって思ったりするわけです。「あしたのために」、それくらいがちょうどいいんじゃないかと、そう思うのです。ハイ。

GachifloZ
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