綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

「ゾンビの神様」ジョージ・アンドリュー・ロメロ監督に捧ぐ

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地獄がいっぱいになると・・
死者が地上を・・
歩き始めるんだ・・


ロメロおじいちゃんが無くなった。
なんたる喪失感のなさ。いい意味で。

A.ロメロは言わずと知れたゾンビ映画の数々を産んだ名監督。彼のゾンビ観は今も僕の心に深く突き刺さっている。

「肉体は朽ち果て、ただ本能のままに動き回る人々で世界は溢れている」
「生きているのか死んでるのかさえわからない人生」
「それでもここではない何処かにある楽園を求め、さまよい続けるしかない」
「そして、結局どこにも逃げ場などなかった」

夢だの希望だの愛だの平和だのに絶望し続けてた厨二病罹患者には染み込むんだな、これが。

人に誇れるような才能もなく、異性に好意を持たれるような容姿も持たず、おまけに金もないのに自尊心だけはいっちょまえ。いつまでも(と言っても中学高校生だけど)親のスネをかじり依存して生きている自分。日々目標もなく怠惰に過ごし、ただ日が昇りただ日が沈むだけ。一人好きな本を読み、暗闇に包まれたカビ臭い劇場で映画を観ている時だけがシアワセ。

当時の僕の姿をこうやって書けば書くほど頭を抱えて押入れに隠れたくなるけれど、実は今もその感覚は変わっていません・・・。絶望は希望と共にあり、希望もまた絶望から生まれると描くロメロ監督の世界観は僕の人生観そのもの。どれだけ救われたかわかりません。

今、しあわせに怯えている人たち、今、絶望的未来に怯えている人たちはもれなく「それでも希望を信じて逃避行を続ける主人公たち」の生き様をぜひ観てほしい。いやおうなしに生きていかざるを得ないと感じながら生きている生命の意味をきっと見つける事ができる。

あまりにもロメロイズムが身に染み付いていて、例えロメロ監督が鬼籍に入ろうとも僕の中でロメロ監督はいつまでもいつまでもゾンビとなって徘徊している。さびしくなんてないさ。なにひとつ失われていないのだから。

ありがとう、ロメロ監督。
お疲れ様でした。天国で退屈している天使たちにたくさんゾンビ映画を作ってあげて下さい。


GachifloZ





反逆って厨二病っぽくてカッコいいよね

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「人生最大の選択」が思い浮かばないので箇条書きにしてみる。

周囲の反対を押し切って18の夏に家を出たこと
周囲の反対を押し切って最初の会社をやめたこと
周囲の反対を押し切って結婚したこと
周囲の反対を押し切って娘を産むことを選んだこと


まあ他にも
周囲の反対を押し切って買ったMacbookとかiPadmini4とか
周囲の反対を押し切って観たクソ映画「インシテミル」とか
周囲の反対を押し切って買ったゴジラの巨大ソフビとか
周囲の反対を押し切ってはじめた10kgダイエットとか
周囲の反対を押し切って飲んだ日本酒一升瓶イッキとか
周囲の反対を押し切って食ったラーメン二郎ブタ大ダブルとか

まあまあここに書くと周囲の反対どころじゃ済まなそうな選択含め枚挙にいとまがないが、どれも共通しているのは徹底して「周囲の反対を押し切って」いることのようだ。

逆に言えば周囲の応援や賛同を得て行ったことには全く心を動かされていないらしい。それも変な話だなあ。
受験にしろ就職にしろいろんな場面でたくさんたくさんいろんな人に応援してもらって生き方を選択してきながらそれらには全く感慨がないというのも我ながらひどい話だ。

まあ、他者との関わりが希薄な人間にとって応援される選択なんざ妥協の産物とも言えるようなもんだからそりゃ仕方ないか。「誰がなんと言おうとこの道を行く」という決意に勝てるわけない。

これからもそんな決意をだくさんするんだろうか。
するんだろうな。
だってオレだもんな。
だってそういう選択でひとつたりとも後悔してることないしな。
(あっ、映画「インシテミル」を観たのは後悔してるな)


よーしこれからも周囲の反対を押し切るぞー。
エイエイオー。

GachifloZ

器用貧乏の憂鬱

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リハビリ日記その2。

僕は他者との関わりが非常に希薄で、なんでもかんでも自分でやらなければならない人生を送ってきた反動から「器用(貧乏)ですね」と言われることが多くあります。
んで、あれこれよくモノを頼まれたりします。

昨日は「小箱を落としてしまい、蓋が開かなくなったので直してもらいたい」と頼まれました。
これが野郎なら即座に断るか無視するか桜花雷爆斬でも食らわせるところですが、きれいなお姉さんだったので鼻の下をデレデレ伸ばしながら「ふふふ、おじいちゃんにまかせときんしゃい・・・ここか?ここがええのんか?」と安請け合いをしました。

見ると箱の、フレームが少しゆがんでいました。
軽くトントン叩いてやると、蓋がパカっと開きました。
「うわー、すごいGachfloさんてば天才!!」と即座におだてられ、僕は本当に気分が良くなって、あわよくば一発、とも思ったのですが、冷静に考えれば「なんでこんなことが出来ないんだろう?」とも思いました。


ちょっと見ればゆがんでるのはすぐわかる。
ゆがみが蓋を開けづらくしているのは見ればわかる。
でもわからない。わからない人にはわからない。

わからないんじゃなくて、わかろうとしないんじゃないのか?
わかろうと考える事をしないんじゃないのか?
・・・と思ったのですがそういうものでもないな、と思いました。


先日、ガールズ1号(高1)に「絶対値の入った不等式の解を求める問題がひとつわからんのだが教えてしんぜしめんたり」と言われたのですが結局答えられませんでした。
僕は高校に入ってから英国社以外ほとんど勉強してこなかったので、「絶対値の入った不等式?なにそれ美味しいの?」状態なのです。いかに器用貧乏でも知らないルールのパズルは解けません。

でもわからないままなのは悔しいので、ネットで「やさしい高校数学」をググり、「ふんふん、絶対値というのはこういうルールなのか」とひたすら基礎の理解を進めています。

ガールズに聞かれた問題はさながら将棋の封じ手のごとくしてもらっていて、僕の理解が甲1女子に追いついたら再度解かせてもらうつもり。
数学はパズルなので、ルールさえしっかり理解したら後は頭の中の展開力応用力なのできっと解けるハズ。たぶん。


知らないことは無数にある。
「曲がったものを伸ばすと真っ直ぐになる」ということを知らない人もいる。そういう「ルール」を知らなければゆがみを直すこと出来ない。

そして、「知らない」のはその人がそれをそれまで知らないで済んだからであって、別にその人のせいじゃあない。能力の話でもないし、ましてや人間性の話じゃない。

かといって皆が教え合えばいいのかというと、それもまた違う。人に必要なものは人それぞれで、不必要なものだってたくさんある。
だから慢性的に困っていたり不要な手間を掛けてしまっていて、助けを求められたお姉さんにだけ教えればいいと思っています。えっ、野郎に頼まれたら?やりません、絶対に(笑)。

他者との関わりって本当に難しいね。


GachifloZ

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イイネ、ヨクナイネ。

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リハビリ日記。

なんとなーく減量成功。
なんとなーく、というのは献血400cc抜いたら目標達成するところまで来たというもの。達成はしてないけど実質達成だよな、ということで。マイナス10キロでした。

というわけで
チャーハンを食い、餃子を食い、ステーキを食い、カレーを食い、まぜそばを食い、親子丼を食い、パンケーキを食い・・・な毎日。
なんだかなー。
なんのために痩せたんかなー。


だいぶ前インスタグラムへUPした写真に(どこでどう目に止まったのか謎なのですが)見知らぬ外国の方たちから立て続けに「イイネ!」がつきました。

僕はインスタグラムをTwitter的な感覚で捉えているので、決してリアル知人に知られたくないし、自撮り写真もUPしません。朝のバラエティ番組が大っ好きな「インスタ映え」とか本当にクソだと思ってるから、「イイネ」がつくとかつかないとかマジでどうでもいいと思っています。

Twitterはただ「つぶやくこと」そのものに意味があると思っているし、SNSへの共感も反感もそりゃ十人十色でいいんじゃないの、としか感じません。たくさんイイネをくれた方、ありがとう。イイネ返ししなくてごめんなさい。だってめんどくさいんだもの。

やりたいからやる、つぶやきたいからつぶやく、痩せたいから痩せて、食べたいから食べる。それでいいよねえ。だめかなあ。だめなんだろうなあ、きっと。


GachifloZ

あなたがわたしにくれたもの

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昔好きだったLP(死語)です。
車のエンジンスタート音や走行音、ドアの開閉音(笑)などを収録したアルバム。大好きでよく聴いていましたが、今思えばやっぱり病気っぽい。

先日ラジオで換気扇のファン音でメーカーはおろか機種名年式まで当てるという「換気扇マニア」の方が紹介されているのを聴きました。あれもすごいなあと思いますが、やはり凡百の市井の民には理解できないでしょう。でもすごい。

僕にも誰かに誇れるものあるかしら、とたまに考えますが何にもありません。何か誰よりも出来るものがあるひと、うらやましいな。そうなりたいとは思わないけど。
だって何かを得ている人はかならずその代償として何かを失っているものだから。

そして逆もまた真なりで、何か途方も無いものを失った人はその分なにかを得ている。それが望むものであるかどうかは別として。

若い頃はお金をたくさん持っている人が羨ましかったけど、おじいちゃんになるまでにたくさんのお金持ちを見てきて、もう100%共通して思ったことが「ああ、こうはなりたくない」だった。

ほとんど家に帰ることのない人、近づく人すべてが信じられない人、周りが全てご機嫌取りの醜悪な人間ばかりの人・・・ああ嫌だ嫌だ。

今のまま、100億万円くらい手に入らないかな。
ああでもそうしたら100億万円分の何かを僕は失うのか。
それなら100万円くらいでいいかな。
いや、1万円くらいでいいか(笑)。

ううん、やっぱり今のままでいいや。


GacifloZ

いつも下心でいっぱいです。

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さっききれいな女の人に「ありがとうございます」と言われたのですが、いつもなら「感謝の言葉よりもおっぱいもませて」と思うところが、「この人(=オレ)は『ありがとうございます(にっこり)』と言っておけばきっと喜ぶだろう」と思ってそう言っているんじゃないのか、今の言葉はそう聞こえたぞ・・・という気がしました。
なんなんだろう?普段そんなこと感じることない単細胞ミドリムシ人間なのに?

きっとその直前に人生でいちばん嫌いな女は誰だったろうと考えていたからかな。
ああやっぱりそんなこと考えるんじゃなかった、ノーカンノーカン。まあでもその女の名前すら忘れていることがわかったから良かった。このまま記憶の宮殿の地下35階の掃除用具入れロッカーの奥にでも突っ込んでおこう。ギギーガッシャン。カチャッ(鍵を掛けた音)。

 

4月の終わりにダイエットを始めて50日くらい経ちます。
かつて行ってきたような気違い沙汰のダイエット方法(絶食+サウナ+献血+下剤+ハードな運動、をセットで繰り返す)ではなく、確かな知識と豊かな経験に基づいたダイエット法を続けています。

現在マイナス8キロで停滞中。
目標のマイナス10キロまでもう少しですが、慌ててはいません。のんびりやっています。

ダイエットに成功したら、食べたいものがあります。
すた丼、二郎、ラーメン、まぜそば、餃子、チャーハン、カレー、とんかつ。毎週毎週お休みのたびに一つずつご褒美をあげたいと思っています。ああ楽しみだなあ。

ガールズには「一週間で元に戻るね!」と揶揄されておりますが、気にしないのです。だってそしたらまた50日間ダイエットすればいい。「やれるんだ」という事がもうわかっているので別に怖くないのです。

受かるか受からないかわからない受験勉強はやりたくありませんが、やれば受かるとわかっているなら苦になりません。
これまでどんだけやっても自分の意思では、努力では、どうにもならないことばかりが続いていたので、本当に気が楽です。


いろんなことがたくさんあって、いろんな経験値を積み重ねて、今ようやく楽になりました。思えば遠くへ来たもんだ。みなさんもしあわせでありますように。きれいなお姉さんに「おっぱい揉む?」って言われますように。


GachifloZ

私、結構「不幸そう」に見られるのですが

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・・・見られるのですが、実はそうでもありません。

「大変そうだね」「つらいね」とか言われると「そうなんですよ~」と言っておくほうが何かと都合がいいのでそう思って頂いておくことにしますが、本人的には実はそうでもないのです。「むしろお前らのほうが大変そうだぞザマーミロ」と心の中で思っているのは内緒です。

 


この前、夜にベランダで洗濯物を取り込んでいたら子どもの叫び声がしたんです。
「やめて!やめてよう!」次はがんばるからやめてよう!とか。それはそれは大きな声でした。

僕は「すわ(死語)、虐待!?あるいはヤンキーにでも絡まれてるのか?」と思い、ベランダから声のするほうへ視線を向けましたが植樹に隠れて何も見えませんでした。

「やめてよう!なんでもするからあ!おねがいだよう!」と叫び声はその後もしばらく続き、僕は様子を見に行こうか、あるいは警察に通報しようかさんざ逡巡しました。
今思えば逡巡する前に行けよ、行けばわかるさ、ダー!!と思うのですが、田舎じゃあるまいし人通りがない場所じゃないし、おそらく近隣中に聞こえてたでしょうし、なんで誰も覗きに行かないんだ?いや、そんなわけはない、とすると一体何が起こっているんだ???という想像ばかりが膨らんでいました。

その後とんでもない叫びが聞こえてきました。

「おかあさん自殺なんてやめてよう!」


えええええええええええ!!!
僕は思わず家を飛び出そうとしましたが、その瞬間に叫び声が止まりました。
おそらく道行く傍観者がさすがに声でも掛けたのでしょう。


それきり静寂が流れ、結局救急車もパトカーの音も聞こえてきませんでしたから、とりあえずその場では事なきを得たのだと思います。

叫び声の正体はまさかの「逆・虐待」。
こんなこともあるのですね・・・。だめだろそれ・・・。

 


僕のまわりには家庭に問題をかかえ一人苦しんでいる女性が結構います。本当にこちらが「生きててすいませんんんん!」と叫びたくなるほど気の毒な方たちです。100%その女性に非は無いのが更に心をえぐります。

正直、過労心労でいつ事故にあっても起こしても不思議じゃありません。自ら生命を絶とうとしても不思議ではありません。そんな人たちに僕は何も出来ません。


何か出来ることはないのかな、とは思いますし、もしかしたら何か出来ることがあるのかもしれません。でもあの子どもの叫び声をただ何もせずベランダで聞いているだけだった僕なんぞに出来ることなどやっぱり何もない、とも思います。


なんというか、善人ぶっても結局のところは紛争地帯で苦しむ難民の人を見ているような、そんな感覚なのかもしれません。あるいは勝手に人様に「カワイソウ」のレッテル貼りして、むしろ悦に入ってるんじゃね?とも思います。

 


いっつもわからなくなるのですが、とにかく僕は手の届く人が望むなら、望むなら、精一杯手を伸ばそうと思っています。なんとかしたいし、してあげたい。間違った手の伸ばし方をしてしまうかもしれないけれど、それでも救いたいというわがままな衝動も大切にして行きたい、そう思う次第なのであります。

ご迷惑お掛けしていたら本当にごめんなさい。

 

GachifloZ