綾鷹カワウソ妄想譚

一生涯の愛をこめて

7月+前後3日間の遊び歩き記録

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大和和紀画業50週年記念原画展
サンシャイン水族館
某郊外の地下博物館
ももクロ×スイパラ コラボフェア
某近所の銭湯&コーヒー牛乳&マッサージチェア
宇都宮餃子祭りin新宿
某劇場版エースをねらえ!鑑賞(出崎統オールナイト)
某劇場版あしたのジョー2鑑賞(出崎統オールナイト)
某劇場版コブラ鑑賞(出崎統オールナイト)
橘高文彦パネル&ギター展
某郊外の閉鎖された牧場見学
某アリスイン・ワンダーランド2鑑賞
シン・ゴジラ鑑賞
某TOO YOUNG TO DIE鑑賞
某インディペンデンスデイ2鑑賞
某KPPトレイン乗車
某LaLa40週年原画展
ガンダムORIGEN展
都知事選挙

サンシャインシティそば処一久庵ランチ
某眞久中でニンニクヤサイマシ
名代富士そばでとろろそば
吉野家の麦とろ御膳
某所のイタリアンランチ
某スタバのフラペチーノ
某レストランのピザ食べ放題
かっぱ寿司
デニーズでハンバーグ
麺屋武蔵本店 濃厚つけ麺
某駅構内の蕎麦屋
某京橋ど・みそ オロチョンファイヤー
某銀座凮月堂 ケーキセット

子供の保護者面談
子供の三者面談
子供の誕生日イベント
子供の受験勉強指導
子供の学校説明会
子供のPTA活動

日々終わらない家事(掃除洗濯料理他)

たまに仕事

追伸
行けそうにないもの
キモイ展(怖いから)


思いつくまま。

 

 

オープンダイアログに君と

先日「○○市で児童養護施設建設反対という住民活動があった、これはとても哀しいことだ」という記事を読みました。

要するに「みなしご(死語)やら障害児やら『ろくでもない境遇』で『ろくでもない育ち方』をしているであろう子供たちと一緒の環境にいたら地域の子供たちに悪影響が出るに違いない!」という実によくあるやつです。

んで、僕はそういう反対運動をしている腐れ人間をたくさんたくさん見てきて、たくさんたくさん(なんで平身低頭せにゃならんのだと思いつつ)平身低頭してきたので「お前らみたいなレイシストに育てられる子供たちのほうがよっぽど可哀想だっつーの!」的な怒りのツィートをしてしまったのですが、そしたら全然知らない人から「子供を育てているのはそういったレイシストたちじゃないですよ」というレスがありました。


・・・ちょっと意味がわからなくてとりあえず弱気で事なかれ主義の私は速攻0.3秒で(0.3秒が好きだなオレ)ツィートを削除したのですが、未だにどう〜〜にも釈然としません。


「子供を育てているのはそういったレイシストたちじゃないですよ」に対して僕はどうリアクションすべきだったのでしょうか。



「その地区の子供の親は全てレイシストだ!全員抹殺すべし!N2地雷用意!」とでも聞こえてしまったのでしょうか。
それとも「レイシストが子供を育ててるわけじゃないから別に大丈夫ですよ」という意味だったのでしょうか。

最初の意味で捉えられたのならまだいいのですが(よくないか)、もし二番目の意味でつぶやかれたのなら僕はそれちょっとどうなの?と思うのです。


だって実際問題子供たちを育てているのは父母だけじゃないと僕は思うからです。

子供たちを育てる軸はそりゃもちろん親でしょうけど、学校の先生にしたって近所のうるさいクソジジイにしたって優しいコンビニのおばちゃんにしたって路上で寝てる浮浪者にしたって昼間からパチンコしてるフリーターにしたって選挙期間中だけへりくだる政治家にしたって子供たちに絶対影響を与えているじゃないですか。
少なくとも僕は幼いころ自転車で走り回った歌舞伎町で客引きしてるヤー公やホスト、大久保の裏道のタチンボ、死んだ魚の眼をした予備校通いの浪人生らを見て育って、彼らが自分の人格形成に多大なる影響を与えたと感じています。

(あれっ、「育てる」って単純に肉体的に「生育する」って意味じゃないよね!?家畜じゃないんだから。)

だから冒頭のキチガイじみた運動をするレイシストだって子供を育てる環境に存在するショッカーの如き悪徳構成員だと思うので、それに対して「お前らこそが即刻立ち退けそれこそ北の収容所にでも入って来いや」と憤ってしまったわけです。
オレ間違ってんのかなあ。やっぱり相当頭おかしい?


親が子育てに最大の影響を及ぼす存在であるのは間違いないとしても全てじゃないと思うんです。むしろ全てであってはいけないと思う。子供は親を選べないんだから。親は全知全能の創造主じゃないんだから。そんななんでもかんでも親のせいって「親の因果が子に報い」の世界ですよ。いつの時代だよ。そんななんでもかんでも出来ねえよ。
なんでもかんでも周囲のせいにするモンスターペアレントは論外としても、子供を取り巻くすべての人達が子供を育てているというこの感覚おかしい?



あと、「つらいんだね」「かわいそうに」「がんばってね」についてもずっとモヤモヤしているのです実は。

よくある話で「あんなにがんばってる人にがんばってって言うなんて酷」ってありますよね。「かわいそうに・・・っておまえ何その上から目線(-_-メ)」みたいなやつとか。僕はあれも実はよくわからないんです。


鬱で苦しんでる人に「がんばってね」とは言いませんけど、例えば子供が転んで泣いてるの見たら「かわいそうに」って思いませんかね普通?
あれ、「かわいそうに」って思ったらダメなんですかね。かわいそうって思うキモチは「上から目線」なんですかね。がんばって立ち上がろうとしてる子供に「がんばれがんばれ」って思ったらダメなんですかね。酷ですかね?そこらへんのさじ加減が全然わからないんです。


僕は基本的に誰にも直接がんばれとも言わないし、誰にたいしても直接かわいそうとは言いません。
でも「相手に投げかける言葉」ではない「自分の感情を表す言葉」として「頑張れ」とは言うし「かわいそう」とも言います。

サッカー観ててマジで死にそうになりながら90分走り続けている選手には「がんばれがんばれ」と言います。難民や戦時国の人々、テロに巻き込まれた人々のニュースを見たら「なんてかわいそうなんだろう」とつぶやきます。
これって上から目線?安全なところからの戯れ言?相手のがんばりを無にする行為?なんか違わないかそれ。

かわいそうって言われることで屈辱的に感じる奴もいるだろう。
でも「わかってくれるんだ」と受け止める人だっているだろう。
結局それはさ、言葉を受け止める側の問題だよな。
言葉を送るほうの問題じゃないと思うんだよな。
セクハラ問題みたいなもん?受け止める私が不快に感じたら不快、みたいな?


かわいそうって言われてなんでそんな卑屈になるのかな。
頑張れって言われてなんでそんなに「オマエが頑張れや腐れ外道」って怒るのかな。

結局「何にもしてくれないくせに」ってことでしょ。そんなのあたりまえじゃん。誰も何もしてくれないよ。何言っちゃってんの。他人がしてくれることなんて共感や哀れみが精一杯だよ。誰も何もしてくれない。笑っちゃうくらい役に立たない。

世間は何もしてくれない。ただ存在するだけ。
だから何も気にしなくていいんだ。
そしてその代償として自分が変わらなきゃ何も変わらないのがこの世界。
答えは自分の中にある。


養護施設の建設を周辺住民が反対


GachifloZ


追伸
あっ、読み返してみたらやっぱリ少し頭がおかしいかも!
「人と人との距離というか要するにコミュニケーションが構築出来ない平和な国に生まれた脳天気で無責任なヒキコモリ人間はこういう思考回路を持つのだ」と感じていただければさいわいです。

ピーマン2016

こんちは。
今日は池袋文芸座で「出崎統オールナイト」を観に行くのです。
「劇場版あしたのジョー2」「劇場版エースをねらえ!」「劇場版コブラ」の三本立て。
まさにおじいちゃんホイホイで今から涙が出そうです。
たのしみだなあ!


・・・・・・



会社のひとに「あっ、GachifloさんもポケモンGO始めたんですか?」と聞かれたので、

「ん?ああ、ポケモンGO?いやあもうだいぶ前からUSアカウント・・・僕アメリカのAppleID持ってるからさ、向こうの公開と同時にインストールして遊んでたのよ実は。でもほら日本はずっと開始してなかったからさ、歩けども歩けどもポケモンおろかポケステも無いのよ。つーかアメリカまで行かないとコラッタすら出現しないわけ(笑)ほらUSアカウントだから(笑)。で、もうポケモン探しにアメリカまで行っちゃおうカナ!ももクロさんのアメリカ縦断ウルトラLIVEもあるしさ!と思ったんだけどね、さすがにね!つーわけですっかり歩き疲れちゃったからもう飽きたかな。あ、日本は昨日公開されたんだっけ?ああそうなんだ(笑)ハハハ気付かなかったよ(笑)」

・・
・・・
・・・・・と、0.3秒でセリフを組み立てたのですがあまりにバカっぽく思えたので結局、

「え、ああポケモン・・・ウン、いちおう入れてみたよ・・・」

とだけ答えて席を立ってしまいました(なぜ逃げる!?)。



頭がおかしいというか意思が弱いというのか単なるバカというか、面白おかしく話して会話を盛り上げようと思うあまりいつも詰め込みすぎて(話を盛りすぎてしまう)しまいます。それに加え、それを話したあとの相手の心の声までも脳内心霊脚本に書いてしまうため何も言えなくなってしまいます。

実際さきほどのくだらないUSアカウント話にしても自分のセリフのあとに会話相手のリアクションとして、

『えっ、何なに?何言ってんだこいつ?自慢?ひょっとして自慢してんのかなこの人?ギャグにしても全然面白くないしシラケちゃうな本当に。空気読めないんだな仕方ないなこの人マジで精神性ヒキコモリだからな貧乏だしそれに最近お腹も出てきたしそれなのにSサイズとか見栄張って着てるもんだからパツンパツンじゃんか潔く中年太り認めろよな、つーか老年太りか早く死ねばいいのになこれだからバブル世代は現代日本の害悪の中心点だって言われるんだよな』


・・
・・・
・・・・・と、やはり0.3秒で脚本を書き上げてしまうのです。
そうするともう立ち去るしか無いじゃないですかッ!!


同僚との会話なんてもっと自然でいいし、気楽に話せばいいのになと自分でも思いますが、それが出来ないんだよな。
だいいち一言一言話す前に脚本書くか普通?そんなことしてるからいっつもしつこすぎるかあっさりしすぎかどちらかに寄ってしまう。そうすると「変な人だなあ」という印象だけが相手に残り、いつしかそれが蓄積され固定概念化されてしまう・・・と思い込んでしまいやっぱり何も話せなくなる。


と、いうようなことばかり考えながら寝たら<どんどん周りの人の心が壊れて行き、やがて僕の周りの人全てが壊れてしまった時、僕こそが「壊れている人間」と周囲から認定され隔離され幽閉されてしまう>という安っぽいフジテレビの低視聴率打ち切りドラマのようなショボい夢まで見る始末。ああもっと壮大で雄大でのびやかな夢が見たい。そんな人間になりたい。


出崎監督ごめんなさい。ジョーにもコブラにも宗方仁にもなれなかったよ。

Gachiflo

ジェームス小野田は本当に三芝理なのか説

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こんちは。
エディこと三芝理さんのピアノを久しく聴いておらず寂しい熱帯魚なGachifloZです。それにしてもエディは小野田さんに似てるよな。

 


学校出て就職した会社はそれなりに大きい会社でしたが、僕はそこで11年働い後なんやかやとあり結局ドロップアウトしました。いやドロップアウトなんて横文字でごまかしません。落伍者ですね。落ちこぼれです。

 

その事自体には別に自分自身納得してるんで別にいいんですが、やっぱり懐かしくもなる時もあってたまにその会社のウェブサイトやなんを覗いたりしてしまいます。すると同期入社した人や当時の同僚がナントカ支店長とかドコソコ支社長とかになっていたりして、「うーん頑張ってるな~」とぼんやり思ったりしています。


・・・というのは嘘です。正直言うと「ま、まだやってたんだコイツ・・・うそだろ」に近い感覚なんです。「ルバング島で小野田さん発見!」の報に触れたような感覚でしょうか(例えが古すぎて誰もわからないな)。


もちろんこちとらドロップアウト・・・じゃなくて落ち武者組なので未だ最前線で戦い続ける彼らに対するリスペクトの感は間違いなくあるし、きっとお給料いっぱいもらってんだろうな~と思うと実に羨ましくもありますが、じゃあ「やめなけりゃよかった」という感情があるかというとそれは全くありません。


おそらく彼らは今の僕のようにお気楽極楽に毎日毎日会社を定時上がりしては子供と夕飯作ったりバラエティ番組観ながら家族でご飯を食べたりすることはまず出来ないし、ほぼ自由に決められる休日に好きなお芝居観たりLIVE行ったりなんてことは到底出来ない。

したくないお付き合いやお愛想やおべっかやおべんちゃらやらも言わなくてはならないし、ヤクザやチンピラ相手に戦うこともキチガイクレーマーやヤク漬け患者に深夜までお付き合いすることもしなくてはなりません。おまけに深く人生を知る文学に没頭する時間も少ないとなれば実に可哀想と思うけれど、それは生き方なのだから人それぞれ。ましてや敗残兵がとやかく語るべきものではありません。


うーん、でもやっぱり外車乗れても新築一戸建てを建てられるとしてもオレは無理だなー。いやもちろんくどいようだが尊敬してる。あの苦難の日々を10年20年と続けているなんざ並大抵の精神力では出来ないこと。変態か異能者かジャパニーズビジネスマンだ。少なくともオレには無理。本当にすごいなと思う。でも真似したくはない。


あーでもやっぱりお給料だけは彼らくらい欲しいな。オレもポルシェ欲しいぞ!超高層階のマンションでスーパーカー乗り回し、それでいて今のような日々定時帰りのお気楽な生活をして日曜出勤には仕事サボってバカブログを書き連ねていたい。ああなんというダメ人間。男なら上を目指せ。死ぬまで働け!


GachifloZ

P.S.

ちなみに上の写真が三芝さん、下が小野田さん(笑)。

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おーい山田くんちょっとデスノート持ってきて!

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こんちは。

この前、駅前の立ち食いそば屋へ行ったら店員さんに「あ、すいません。前のお客さんにトイレ汚されちゃッたんで10分くらい待ってから来てもらえますか?」と言われてしまいました。

ナイーヴでセンシティヴで気の弱い私は「あ、はい、わかりました。ではまた出直してきます」と素直に答え、迷いなく駅前にもう一軒ある名代富士そばに向かいました。

いやあもう二度とあの店の暖簾をくぐることはないでしょう。だって「汚れたトイレ」以外の印象をもう持てないもの。少なくとも「むむ、そういえばあの汚れたトイレの店のそば、食べてみたい」とは思いません。自覚があまりないのですが結構根に持つタイプなのかもしれません。


嫌なことがあった時の反応は人それぞれです。
ヤケ酒を飲んでクダをまく人、他人にや物に当たり散らす人、自分で抱え込んでしまう人、スポーツや音楽などで発散する人、犯罪行為に走る人。それはもう本当に人それぞれで、もちろんそれらに優劣なんてありません。
でもやっぱり出来ることなら他人に迷惑を掛けず、自分自身をも苛めずに済む怒りの処し方がいいんじゃないかなと思います。


ちなみに僕は昔から寝たら忘れるタイプなのです。だから嫌なことがあったらとっとと寝てしまいます。一晩寝るとたいていのことは気にならなくなります。単なるアホという気もしますが、そういう自己催眠を掛けているのかもしれません。


一晩寝ても依然腹立たしく思ったり凹んでしまう時もたまにありますが、ボルテージはかなり落ちています。そしてそれでもどうしても怒りが消えない時は、とにかく考えないようにしています。例えば大嫌いなクソ野郎がいたら、「あのクソバカゾウリムシ野郎なんぞのためにワシの貴重な記憶細胞を1ミクロン足りとも使わせてなるものか!」と思うのです。もうとにかく「脳裏に浮かべたら負け」くらいに考えてひたすら無視してやります。そのうち名前も思い出せなくなる。そしたらこっちの勝ちなんです。


長いこと生きているとやっぱり裏切られることも騙されることも理不尽な手痛い仕打ちを受けることもたくさんありました。あったけれど、起こってしまったことはもう仕方がない。出来れば一生関わりあいになりたくなかったクソバカキチガイ鬼畜ゾウリムシ野郎でも出会ってしまったらもう仕方ない。是々非々は考えずとりあえず受け入れて、そして一切考えない。これまでそうして過ごしてきました。


でもやっぱり忘れるわけではないんです。
思い出そうとすれば思い出す。思い出せばはらわたが煮えくりかえる。全然怒りが消化されいないんです。怒りを怒りのまま心の奥底で冷凍保存している感じ。

よくドラマとかで「大喧嘩したあとの仲直り」みたいなシーンがありますが、絶対無理です。「許す」という言葉がきっと僕の脳内広辞苑には載ってないんです。今も「許す」って打とうとして「殺す」と打ってしまいそうになりました。


怒る時はしっかり怒ってスッキリ出来るような、そんな性格だったらよかったなと思います。だって許すっていうシステムが無いってことは脳髄駄々漏れクソバカキチガイウジムシ鬼畜ゾウリムシ野郎を許せないと同時に自分自身をも許せないわけです。自分に対する怒りの炎ももう半世紀近く冷凍保存しているわけで、本当にそれを思うと今にそれらが南極大陸つんざいて光の巨人となって出てくるような・・・そんな気がして日々ガクブルなんです。ああもうとっとと寝ようっと。

 

GachifloZ

 

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やさしさ

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最近どうも家庭内での扱いが悪いような気がするので、昨日「キミたち、もうちょっと私に優しくしたまへよ」と娘らに厳しく説教かましてやりました。
しかし彼女たちは口をそろえて「こんなに優しくしてるのに!」と言い張るのです。

私は『どこがやねん!』と心で思いつつも冷静を装い「それでは優しくしていると思う行動を各自3つ述べてみたまへ」と松本ちえこの恋人試験のごとく彼女たちに問いただしました。すると彼女たちは自信満々に答え始めたのです。

「家に帰ってきたときオカエリと言ってあげている!」
「自分の食べた食器を自分で片付けてあげている!」
「麻雀アプリがやりたいと言われたらiPadを貸してあげている!」
「お風呂で変な歌を歌っていてもたまに文句言わないであげる時がある!」
「変な歌(筋少のことらしい)をいつも聴いてることをみんなに言いふらさないであげている」
・・・etc、etc

百歩譲って1番めのを優しさだと認めるとしても2番め以降は微妙じゃないか?
なんだよ「iPad貸してあげてる」って!もともとオレのじゃんかっ!
いいよ別に筋少聴いてることキミらのお友達に話しても!


だがまあしかし、誰がどう見ても「それは優しさと言わないのでは」ということであっても、やってる本人が「やさしさ」だと思っているならそれを受け止めるほうはそれを「やさしさ」だと思うべきなのかもしれない。


でもこういう考え方こそが「DVから逃げない人たち」を作るということも知っている。
だから僕は声高に叫ぶのだ。

そんなん優しさじゃねえよッ!!
ギブミー優しさッ!!


本当に優しさとはいったいなんだろう。


Gachiflo

 

 

あーりんさんとまいんさんとぼく

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毎日ヒマである。
ヒマであるからして余計なことをたくさん考える。

初めて観た時はまだ中1だったあーりんが二十歳になった。人生とはいったいなんだろう。そういえば小学生だったまいんさんだってもうすぐ18歳だ。選挙権獲得だ。かえすがえすこの止まらないライフストリームは一体なんなのだろう。


作文が子どもの頃から得意だったので、大学に入った時「本を書きたい」と思った(勉強しろ)。それにその頃はライブハウス通いもしていたので、音楽もやってみたかった(だから勉強しなさい)。更にはそれまでやっていた演劇と美術(絵画と造形)も活かせる活動は無いかと考え、人形劇をやることにした(何しに大学へ行ったのかもはや不明)。

自分で脚本を書いて音をつけて様々な人形やら小道具、機械仕掛けの大道具を作り、自ら演じてみたらとても楽しかった。
それ以来、マルチプレイヤー一色の人生だ。

とにかくなんでも自分でやる。仕事もそうだけど家事にしても育児にしても介護にしても「やらなければならないこと」はなんでもやれたし、やってきた。出来ないのは「やらなくてもべつにいいこと」ばかりだ。たとえば球技が出来ない。野球ならライト頭上の凡フライだって捕れない。フルマラソン42.195kmは走れない。シタールは弾けないし、トロール船の運転も未だに出来ない。

しかしそんな「出来なくてもいいこと以外はなんでも出来る」オレ様がなによりも誰よりも全く出来ないのは「人とコミュニケーションを取ること」だ。なんでも小器用にやれるのに、人としていちばん大切な能力が完全に欠落しているというのはきっとなんでも出来る能力の裏返しなんだろうと思っている。人は何かを得るために何かを失わねばならないのだ。


親父様は「友人を作れ。作らないと今に後悔するぞ」とオレが幼少のみぎりから口を酸っぱくして言い続けてきた。友人というやつはどうやらオレを助けて下さるらしい。
しかし友人を作らぬまま半世紀近くが経過したが「うむう、こ・・こんな時、友人がいてくれたらなあ!」と思える機会についぞ巡り合わなかった。おそらくは「友人が真に必要な時期」をはるかに通り越してしまったような気もするので、どうせならこのままでも良いような気がする。


ただ、最近は身体の不調が顕著だ。この前インドカレー屋でランチサービスのナンをおかわりしたら夕飯がまったく入らなかった。以前は特大ナン3枚は食べていたのに。心の病気かもしれない。
そういえばかわいいおねえさんのスカートが風に吹かれて舞い上がっても全く動じない。これはもう自分の中になにか重大な異変が起きていると認めざるを得ない(←単なる老化)。

だいたいハレの場に足を運ぶ機会がめっきり少なくなった。
今年ももう半分が終わろうというのに2月に特撮のLIVEが2回、3月にステーション♪解散LIVEとももクロさんのドームツアーが1回。年間20本は軽く観ていた映画もオデッセイとレヴェナントを観たのみだ。そして7月にもなんの予定もないときた。暇なのに、だ。

それでいて毎日忙しい。暇なのに毎日忙しい。
いや、忙しいというよりは活動限界が異様に短い。だいたい夜の8時とか宵の口もいいところなのに既に眠くて仕方ない。赤ちゃんかっ!これまで22時、23時まであった「いちにち」が20時には閉店ガラガラなのだからそりゃ忙しくも感じる。

前にも書いた通り手首も相変わらず痛いしさ。
ああこんな時友人がいてくれたら!
真の友さえいてくれたら!!

 

・・・いてくれたらどうなのか、さっぱり想像出来ない。
うーんやっぱり近くの友より遠くの恋人だ。


Gachiflo